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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.5] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[26]
−干潟で鳴き渡る番−

「万葉集」には結構な数の鶴を詠んだ歌が収録されている。鶴の種類については無頓着だったのだろうか。如何に歌を並べてみたが、長歌は別として、詠まれているのは刈られた後の田圃での情景ではなく、ほとんどが、海辺か葦が生えている地。水田での歌など例外的存在。しかも、望郷と妻恋しの憂いがかった歌だらけ。
"たづ"は田鶴とばかり思っていたが、[→]後世の当て字と見るしかなかろう。干潟や湿地が減少したのか、危険すぎるのかはわからぬが、仕方なく田圃で生活するようになったというのが実態だろう。
それに、鶴と松の吉祥感覚を示唆する歌も皆無。"古来長寿の動物として尊ばれた"との説明だらけだが、そんな吉祥イメージとは程遠い。後世、松鶴延年との中国思想を導入したと考えざるを得まい。

日本においては、鶴は大きくて通る声で鳴き交わし、求愛ダンスをすることによって、番を形成する渡り鳥との認識以上ではなかったと見てよいのではないか。もちろん、縄文期から、真菜としての価値が高かった鳥である。

ある意味、それは当然であろう。中国ではヒマラヤを越えて飛ぶのが鶴と見られていたからこそ、仙鳥とされたに違いない。実際、【馬王堆[@湖南長沙]一号墓T型帛画】の天部の髪を乱した人頭人身赤色蛇尾神の上に描かれているのは、首を伸ばして鳴く5羽の仙鶴なのだから。[→] よく知られるのは"千之鶴,隨時而鳴,能登於木,其未千載者,終不集於樹上也,色純白而腦盡成丹。"で、丹頂ということになる。[@葛洪:「抱朴子」内篇巻三對俗]

一方の日本では、あくまでも、干潟で餌をあさる図体が大きな、鳴き渡る鳥としての扱い。丹頂を峻別する意向も全くないのである。
ちなみに、名称から鳥をどう見ているかが、なんとなくわかるものだが、日本と中国では相当に違うことは間違いない。
 《鶴》ツルGruidaeたづ  :出水渡来記録種 :中国名
  真鶴/真名鶴/真菜鶴マナヅル 白枕鶴
   丹頂タンチョウ 丹頂鶴
   鍋鶴ナベヅル 白頭鶴
   黒鶴クロヅル 灰鶴
   袖黒鶴ソデグロヅル@アフガニスランと隣国(迷鳥渡来) 【白鶴
   尾黒鶴オグロヅル@チベット/青海〜新疆ウイグル〜カシミール 黒頸鶴
   加奈陀鶴カナダヅル@極地棲(北米〜シベリア北東部) 沙丘鶴
   アメリカ白鶴@北米 美洲鶴
   豪州鶴オーストラリアヅル@豪州〜パプアニューギニア 澳洲鶴
   大鶴オオヅル@印〜東南アジア〜豪州北部 赤頸鶴
   羽衣鶴ハゴロモヅル@アフリカ南部 藍鶴
   頬飾鶴ホオカザリヅル@アフリカ 肉垂鶴
  姉羽鶴アネハヅル@ヒマラヤ越え(迷鳥渡来) 【蓑羽鶴
  冠鶴カンムリヅル@アフリカ K

以下、歌を引いておいた。

大行天皇の難波の宮に幸せる時の歌 [巻一#71]
  ■渚の崎
大和恋ひ 眠の寝らえぬに 心なく この渚の崎に 鶴鳴くべしや
高市連黒人が覊旅の歌八首 [巻三#271, #273]
  ■年魚市潟@名古屋東部
作良田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る
  ■近江 八十の水門
磯の崎 榜ぎ廻み行けば 近江の海 八十の水門に 鶴さはに鳴く
神岳に登りて山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌 [巻三#324]
  ■山+川
三諸の 神名備山に 五百枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ嗣ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香の 旧き都は 山高み 川透白し 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川し清けし 朝雲に は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 哭のみし泣かゆ 古思へば
若湯座王歌一首 [巻三#352]
  ■葦辺 津乎の崎
葦辺には 鶴が哭鳴きて 湊風 寒く吹くらむ 津乎の崎はも
羈旅の歌一首、また短歌 反し歌 [巻三#389]
  ■敏馬の崎@神戸灘 東部
島伝ひ 敏馬の崎を 榜ぎ廻めば 大和恋しく 鶴多に鳴く
天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首 [巻三#456]
  ■
君に恋ひ 甚もすべ無み 葦鶴の 哭のみし泣かゆ 朝宵にして
丹比真人笠麻呂下筑紫國時作歌一首[并短歌] [巻四#509]
  ■御津の浜辺
臣女の 櫛笥に斎く 鏡なす 御津の浜辺に さ丹頬ふ 紐解き放けず 吾妹子に 恋ひつつ居れば 明け暮れの 朝霧隠り 鳴く鶴の 哭のみし泣かゆ 吾が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心も有れやと 家のあたり 吾が立ち見れば 青旗の 葛城山に 棚引ける 白雲隠り 天ざかる 夷の国辺に 直向ふ 淡路を過ぎ 粟島を 背向に見つつ 朝凪に 水手の声呼び 夕凪に 楫の音しつつ 波の上を い行きさぐくみ 岩の間を い行き廻り 稲日都麻 浦廻を過ぎて 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯の上に 打ち靡き 繁に生ひたる 名告藻が などかも妹に 告らず来にけむ
大納言大伴の卿の和へたまへる歌二首 [巻四#575]
  ■草香江の入江@河内湖
草香江の 入江にあさる 葦の あなたづたづし 友無しにして
笠女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌廿四首 [巻四#592]
闇の夜に 鳴くなる鶴の 外のみに 聞きつつかあらむ 逢ふとはなしに
 [巻四#760]
  ■竹田の原
打ち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の 間なく時なし 吾が恋ふらくは
神亀元年甲子冬十月五日、紀伊国に幸せる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌 反歌二首 [巻六#919]
  ■若の浦
(724年行幸。潮が満ちて来て干潟が無くなるので鶴が次々と飛び立っていく情景。)
若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る
帥大伴の卿の、次田の温泉に宿りて、鶴が喧を聞きてよみたまへる歌一首 [巻六#961]
  ■
湯の原に 鳴く葦鶴は 吾が如く 妹に恋ふれや 時わかず鳴く
春三月、難波の宮に幸せる時の歌六首 [巻六#1000]
  ■沖つ洲
児らがあらば 二人聞かむを 沖つ洲に 鳴くなる鶴の 暁の声
天皇のみよみませる御製歌一首 [巻六#1030]
  ■潮干の潟
妹に恋ひ 吾の松原 見渡せば 潮干の潟に 鶴鳴き渡る
難波の宮にてよめる歌一首、また短歌 [巻六#1062]
  ■葦辺
やすみしし 我が大君の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚取り 海片付きて 玉拾ふ 浜辺を近み 朝羽振る 波の音騒き 夕凪に 楫の音聞こゆ 暁の 寝覚に聞けば 海近み 潮干の共 浦洲には 千鳥妻呼び 葦辺には 鶴が音響む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲りする 御食向ふ 味経の宮は 見れど飽かぬかも
難波宮作歌一首[并短歌] 反歌二首 [巻六#1064]
  ■葦辺
潮干れば 葦辺に騒く 白鶴の 妻呼ぶ声は 宮もとどろに
摂津にてよめる [巻七#1160, #1164, #1165, #1175, #1198, #1199]
  ■難波潟@旧淀川河口
難波潟 潮干に立ちて 見わたせば 淡路の島に 鶴渡る見ゆ
  ■潮干
潮干れば 共に潟に出で 鳴く鶴の 声遠ざかる 磯廻すらしも
  ■潮満
夕凪に あさりする 潮満てば 沖波高み 己妻呼ばふ
足柄の 箱根飛び越え 行くの 羨しき見れば 大和し思ほゆ
  ■
あさりすと 礒に棲む 明けゆけば 浜風寒み 己妻呼ぶも
  ■形見の浦
藻刈り舟 沖榜ぎ来らし 妹が島 形見の浦に 翔る見ゆ
天平五年癸酉春閏三月、笠朝臣金村が贈入唐使に贈れる歌一首、また短歌 [巻八#1453]
  ■難波潟 御津の崎
玉たすき 懸けぬ時なく 息の緒に 我が思ふ君は うつせみの 世の人なれば 大王の 命畏み 夕されば 鶴が妻呼ぶ 難波潟 御津の崎より 大船に 真楫繁貫き 白波の 高き荒海を 島伝ひ い別れ行かば 留まれる 吾れは幣取り 斎ひつつ 君をば待たむ 早帰りませ
湯原王七夕歌二首 [巻八#1545]
  ■川瀬
織女の 袖纏く宵の 暁は 川瀬の鶴は 鳴かずともよし
天平五年癸酉遣唐使の船、難波よりいづる時、親母が子に贈れる歌一首、また短歌 反歌 [巻九#1791]
  ■
旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の
詠鴈 [巻十#2138]
鶴が音の 今朝鳴くなべに 雁が音は いづくさしてか 雲隠るらむ
寄水田 [巻十#2249]
  ■
鶴が音の 聞こゆる田居に 廬りして 我れ旅なりと 妹に告げこそ
鶴に寄す [巻十#2269]
この夜らの 暁ぐたち 鳴く鶴の 思ひは過ぎず 恋こそまされ
寄物陳思 [巻十一#2490, #2768, #2805]
天雲に 羽打ちつけて 飛ぶの たづたづしかも 君しまさねば
  ■
の 騒く入江の 白菅の 知らせむためと 言痛かるかも
  ■伊勢の海
伊勢の海ゆ 鳴き来る鶴の音 音驚も 君が聞こさば 吾恋ひめやも
[巻十四#3522, #3523]
昨夜こそは 子ろとさ寝しか 雲の上ゆ 鳴き行く鶴の 間遠く思ほゆ
  ■阿倍の田の面
坂越えて 阿倍の田の面に 居るの ともしき君は 明日さへもがも
右の八首は、船乗りして海つ路に入る時よめる歌。 [巻十五#3595, #3598]
  ■武庫の浦 潮干の潟@武庫川河口
朝開き 榜ぎ出て来れば 武庫の浦の 潮干の潟に 鶴が声すも
  ■玉の浦
ぬば玉の 夜は明けぬらし 玉の浦に あさりする鶴 鳴き渡るなり
古き挽歌一首、また短歌 反歌一首 [巻十五#3626]
  ■葦辺
鶴が鳴き 葦辺をさして 飛び渡る あなたづたづし ひとりさ寝れば
物に属きて思ひを発ぶる歌一首、また短歌 [巻十五#3627]
  ■葦辺
朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに 大船に 真楫しじ貫き 韓国に 渡り行かむと 直向ふ 敏馬をさして 潮待ちて 水脈びき行けば 沖辺には 白波高み 浦廻より 榜ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隠りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに 吾が心 明石の浦に 船泊めて 浮寝をしつつ わたつみの 沖辺を見れば 漁りする 海人の処女は 小舟乗り つららに浮けり 暁の 潮満ち来れば 葦辺には 鶴鳴き渡る 朝凪に 船出をせむと 船人も 水手も声呼び にほ鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 吾が思へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 榜ぎ我が行けば 沖つ波 高く立ち来ぬ よそのみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦に 船を留めて 浜びより 浦礒を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ わたつみの 手纏の玉を 家苞に 妹に遣らむと 拾ひ取り 袖には入れて 帰し遣る 使なければ 持てれども 験を無みと また置きつるかも
熊毛の浦に船泊てし夜、よめる歌四首 [巻十五#3642]
  ■韓の浦@山口-熊毛-平生-尾国-可良
沖辺より 潮満ち来らし 可韓の浦に あさりする鶴 鳴きて騒きぬ
筑紫の館に至り、本つ郷のかたを遥望け、悽愴みてよめる歌四首 [巻十五#3654]
  ■志賀の浦@琵琶湖南西湖岸
可之布江に 鶴鳴き渡る 志賀の浦に 沖つ白波 立ちし来らしも
[巻十七#4018]
  ■奈呉の江@住吉大社西方
水門風 寒く吹くらし 奈呉の江に 嬬呼び交し 鶴多に鳴く
天平二十一年、春三月の二十三日、左大臣橘の家の使者造酒司さの令史田邊史福麿を、守大伴宿禰家持が館に饗す。爰に新歌を作み、また古詠を誦ひて、各心緒を述ぶ [巻十八#4034]
  ■奈呉の海
奈呉の海に 潮の早干ば あさりしに 出でむと鶴は 今ぞ鳴くなる
国の掾久米朝臣廣縄、天平二十年に、朝集使に附きて京に入り、その事畢りて、天平感寶元年閏五月二十七日、本の任に還到る。仍長官の舘に詩酒宴樂飲べり。その時主人守大伴宿禰家持がよめる歌一首、また短歌 [巻十八#4116]
  ■奈呉の海
大君の 任きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事結ね持ち 玉ほこの 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が兄を あら玉の 年ゆき返り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥 来鳴く五月の あやめ草 蓬かづらき 酒漬き 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて 行く水の いや益しにのみ 鶴が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 吾が待つ君が 事終り 帰り罷りて 夏の野の 早百合の花の 花笑みに にふぶに笑みて 逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず
防人の情に為りて思を陳べてよめる歌一首、また短歌 [巻二十#4398. #4399, #4400]
  ■葦が散る 難波
大君の 命畏み 妻別れ 悲しくはあれど 大夫の 心振り起し 取り装ひ 門出をすれば たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻は取り付き 平らけく 我れは斎はむ 好去くて 早還り来と 真袖もち 涙を拭ひ むせひつつ 言問ひすれば 群鳥の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いや遠に 国を来離れ いや高に 山を越え過ぎ 葦が散る 難波に来居て 夕潮に 船を浮けすゑ 朝凪に 舳向け漕がむと さもらふと 我が居る時に 春霞 島廻に立ちて 鶴が音の 悲しく鳴けば はろはろに 家を思ひ出 負征矢の そよと鳴るまで 嘆きつるかも
 反し歌
海原に 霞たなびき 鶴が音の 悲しき宵は 国辺し思ほゆ
  ■葦辺
家思ふと 眠いを寝ず居れば 鶴が鳴く 葦辺も見えず 春の霞に

(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

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