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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.19] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[40]
−白の吉祥感が確定していない鳥−

「本格的魚獲水鳥」の分岐図[→]に示した鳥を見ておこう。
今回は、鷺サギ

古事記にも登場。
天若日子の殯葬儀では、鷺は持掃者(ははきもち)[→]
御子が口がきけない理由の占いでは鷺の生死で判断。[→]

なんとはなしに、神から余り良くない話を伝える役割にも思えるし、縁起がよさそうではない印象だが、「萬葉集」ではそのような登場の仕方ではない。
右の一首は、白鷺の木を啄ひて飛ぶを詠める歌。 [巻十六#3831]
池神の 力士舞ひかも 白鷺の 桙啄ひ持ちて 飛び渡るらむ
鷺坂にてよめる歌一首 [巻九#1687]
白鳥の 鷺坂山の 松蔭に 宿りてゆかな 夜も更けゆくを
次の歌ではハクチョウの可能性もあるが、上記と似た印象があるので、鷺と見ておくか。
笠女郎が大伴宿禰家持に贈れる歌廿四首[巻四#588]
白鳥の 飛羽山松の 待ちつつぞ 吾が恋ひ渡る この月ごろを
鳥羽山なのだろうが、その場所は不明とされるが、佐保辺りだと思われる。
ともあれ、鷺は池の神のお遣いとされていた。天覧相撲の地、かつ五位鷺由縁でもある神泉苑での伎楽イベントでの力士舞を詠ったように見受けられる。名目は奉納だろうが、実質的には娯楽そのものだと思う。仏教守護役たる金剛力士が、鉾で悪役退治の大活躍劇と言えないこともないが、その舞とは"まら振り"であり、現代的に解釈すればエロ的爆笑演劇。そんな場に、突然、池から鷺が木の枝でも咥えて飛び立っていったのかもネ。
池神と言う割には、オチャラケ的。解釈が間違っているのかも。恋を巡る乱稚気騒動に係ってしまう鳥とのイメージを前提として見てはいけないか。

鷺舞はどの程度の歴史があるのかわからないが、今でも、お祭り的な儀式に登場することがあり、その辺りを彷彿させる。

ところが、「枕草子」"鳥は"では酷評。目つきが悪く愛嬌を全く感じさせないのであろう。"うたて"と表現する位だから、容姿今一歩を通り越し、不気味さを感じたようだ。
鷺は、いと見目も見苦し。眼居なども、うたて萬になつかしからねど、「ゆるぎ(万木)の森に独りは寝じ」と争ふらむ、をかし。
ただ、歌人にとっての常識を突然切り捨てる訳にはいかない。矛盾などどこ吹く風。流石、官女。これこそが一番の魅力。
ここで言う万木とは近江高島安曇川の地。
次の歌の地として知られている。
[「新千載和歌集」#2146]
いかなれば 万木の杜の 群鷺の 今朝しも殊に 立ちさわくらん
[「古今和歌集六帖」#4480]
高島や 万木の森の 鷺すらも 独りは寝じと 争ふものを
登蓮法師[「千載和歌集」#1179]
名にしおはば 常は万木の 森にしも いかでか鷺の いはやすく寝る

清少納言も気にいっているようだから、人々の琴線に触れるような鷺の伝承話があった可能性も。
もっとも、地名からして、様々な木々を集めた人工林だろうから、予想もしていなかった、とてつもない大規模な鷺の繁殖地ができあがってしまって驚かされたと考えるのが自然か。樹上の天辺辺りが青鷺の巣だらけになり名所化したか。当然ながら、春になると雄の激しい闘争を見物できる訳だし。

場所も違うし、そうした状況とは無関係そうな歌もある。
前大納言忠良卿[「夫木和歌抄」#7044]
霜むすぶ 入江の真菰 すゑわけて たつみと鷺の 声も寒けし
場所は摂津淀川の三島江か。

一般には、白鷺は吉祥とされているように思ってしまうが、これらの状況を考えると、そうとも言えない気がする。
古湯である下呂温泉の白鷺が発見したとの発祥話も、本当に古代から存在していたのかわからないというのが正直な感想である。

有名な、醍醐天皇の五位鷺の話にしても、白鷺とは別扱いかも知れぬが、出現を吉祥と見なしている訳でなく、あくまでも宣旨に従った鳥ということでのお褒め。しかも、本来は昇殿するような格ではないことを示しているのだから、鷺の地位はかなり低かったことになる。
もともと、鶴にしても、日本には特段の信仰があったとは思えないから、そんなものかも知れない。

・・・と言うことで、鷺の扱いがどうだったかは、こんな程度しかわからない。

おそらく、武家の時代に入って「雪に白鷺」とのイメージが禅宗と共に入ってきて、それにそぐわぬ恋物語や鳥占い的な残渣が一掃されてしまったからだろう。

宋の時代、鷺を飼っていた人もいた位で、鳥の見方も大きく変わってしまったのだと思う。
その頃の図画評価本の定番である郭若:「圖畫見聞志」には、"五客圖"が引かれており、鷺が登場する。好事家が好むような絵画らしいが、鷺の位置付けがよくわかる。
それによると、李正文が私的に育てていた5禽を詩篇題にしたものと。
 ツル…仙客
 孔雀クジャク…南客
 鸚鵡オウム…隴客(甘粛南東部)
 ハッカン…閑客
 シラサギ…雪客

雪客的姿はいかにも禅的なのである。
釋雲岫[1242-1324年]:「偈頌二十三首」 其十一 @「全宋詩」
一句子,玄中玄,妙中妙。
寒暑不相干,陰陽不相到,必竟如何通耗。
立雪非同色,明月蘆花不似他。
"個"あるいは"主体"が意識されるようになったともいえるし、宇宙観が生まれたと考えることもできよう。

(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

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