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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.25] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[46]
−鵠=ハクチョウ説が妥当−

白鳥と記載されていても、ホワイトという色を指しているだけだと、鶴や白鷺を指している可能性もあるので、以下の生物種としてのスワンかすぐにはわからないので厄介である。
  白鳥ハクチョウくぐひ(鵠, 久々井)
  黒鳥/黒鴨コクチョウ@豪州

小生は「萬葉集」での白鳥は白鷺[→]とした。
羽衣伝説も白い鳥であり、全国規模で伝承されてはいるが、おそらく渡来話。それなら、こちらは白鶴と考えるのが自然だ。

実は、鵠もハクチョウか、コウノトリかよくわからないが、前者でいくことにした。("鵲"カササギを"鵠"と記載する人が多いが、ミスとも思えず、恣意的にそうする理由がありそう。しかも、中国名も同じとの説明がついていたり。"鵠"=コハクチョウであり、"喜鵲"=カササギと思うが。"鵠"≒ツルと記載する本もあるから、諸説紛々なのかも知れぬ。)

そうなると、古事記では、ハクチョウは、尾張の美夜受比売との祝宴歌で倭建命が詠ったことになる。[→]
 久堅の 天の香具山 鋭喧に さ渡る鵠
倭建命の魂が、八尋の白智鳥の姿になって、浜へと飛んで行ったとの話も、流れから見て同じ鳥だろう。鶴なら、そう書いてもよさそうなものだし。

「風土記」は残存が僅かしかないので残念だが、出雲に鵠の記載がある。
【出雲國 出雲】全般に鵠。
【出雲國 秋鹿】南の《入海》@宍道湖には秋に白鵠。

「古事記」で、言葉を発しない御子が見た"高往く鵠"も同じ鳥と思うが、鳥を捕らえるためあちらこちらに移動するところを見ると、出雲が出色とも思えないが、その後の占いで出雲に関係するとの卦が出ており、その地では特別扱いされていたのかも。[→]

ただ、「常陸國風土記」には、全く系統が違う話が掲載されている。
【常陸國 香取】
郡の北三十里に白鳥の里がある。(鉾田大洋村辺り。太平洋に面する。)
古老曰く、伊久米天皇(垂仁天皇)の世に、白鳥があった。
天より飛び来て、僮女と化した。夕べに上り、朝に下る。石を摘み池を造った。其れ堤を築かんと為し、徒に日月を積み重ねた。これを築きては、これを壊しで、作成することを得ず。

 <誤脱箇所多き歌>
 白鳥の 羽が堤を つつむとき
  粗斑眞白き 羽壊えかく
口々に唱いて、天に升りて、複、降り来ざりき。此の由で、其を白鳥郷と號する處となった。

なんと、白鳥の有難さを否定するようなお話。

この他には、有名な、餅が白鳥になる伝説も収載されている。"稲→米→餅"という変化に対応した神霊の表象なのだろう。
【豊後國 速見】西南地区
[存在疑問譚]《田野》
此野廣大・・・大奢巳富 作餅為的 餅化白鳥
發而南飛 當年之間 百姓死絶 水田不造 遂以荒廢・・・
今謂田野 斯其縁也

【山城國】
[存在疑問譚]《鳥部里》@京都鳥辺野
南鳥部の里。鳥部と稱ふは、秦公伊呂具が的の餅、鳥と化りて、飛び去き居りき。其の所の森を鳥部と云ふ。
[存在疑問譚]《伊奈@伏見稲荷社
秦中家忌寸等遠 伊呂具秦公 上記と同様。

尚、[存在疑問譚]【近江國】《伊香小江》@余呉湖の話は羽衣伝説である。

(参照:ママ引用ではありません。) 秋本吉郎[校注]:「風土記」日本古典文学大系2 岩波書店 1958年
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