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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.9] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[60]
−カワセミの語源−

カワセミは清流での小魚獲りをする美しい小鳥だが、都会でも結構見かける。多摩動物公園に居たりする。もちろんケージ内での話ではなく野生。三島では住宅地に囲まれている源兵衛川の定番スポットで。これが、いつまで続くかはわからぬが。[→]

昔は、そこかしこで見かけた筈。
そんな鳥の名前の当て字に"蝉"はなかろう。"瀬見"とでもして欲しいところ。[→]

と言うことで、名前について考えてみた。

先ず「古事記」だが、八千矛神が大后の嫉妬を切欠として倭国へ出立のシーンで、青色を引き立たせるための形容的用語で登場。[→]
 (そにどり)の 青き御衣を ま具ぶさに 取り装ひ 沖つ鳥
さらに、天若日子の殯では御食人(みけびと)として登場する。
ところが、萬葉集には取り上げられていない。

この古代名ソニドリ(鳥)がカワセミに換わる訳だが、小生は、川セミと山セミという言い回しをするために新たに作った言葉と見る。鳥が翡翠となりつつあり、それはヒスイを指す文字でもあったから(大陸で、鳥名を玉の名称に当てた。)、新しい呼び方が欲しくなったのだと思う。
ただ、それは無理を通した訳ではなく、翠鳥蘇邇杼理ソニドリの流れに乗った変化。但し、解説でよく見かける、古語のソニ→セミと言う音の変化から生まれた訳ではないと見る。

それはともかく、京を遠ざかればそのような変更も無視されがち。赤翡翠と表記しながら、赤セミとは読まず、それより古くから使われている赤ショウビンもママ。こちらは、ソニの音変りとの解説だらけだが、音声的に自然とショウビに置き換わっていくとは思えない。自称の囀り声と考え、聞きなし用語として星座の官名である少微ショウビをあてたのでは。

 翡翠//川蝉カワセミ
  or 魚狗,
  or 翠鳥蘇邇杼理ソニドリ
 赤翡翠/雨乞鳥/水恋鳥アカショウビン(=南蛮鳥)
 山翡翠ヤマセミ

様々な名称由来説があるが、よく見かけるのは、ソニとは、埴輪の赤土ハニに対応する青土という話。ホホウ、そうかと思いがちだが、それならそのような土が特定の用途に使われそうなものだし、青色用語関係でも全く耳にしないから眉唾モノ。

この辺りがグチャグチャになるのは、大陸では、"翡翠"が♂♀各1文字からなる言葉とされているから。性別の外見上の違いを気付かせない鳥だから、常識的には、翡は赤翡翠で、翠が翠鳥ということだろう。さもなくば、翡はいわば形容的付属表現。つまり、翠鳥に緋色が存在することを示すために用いているだけ。エメラルド色が美しい鳥と言っても、それはあくまでも背側であって、腹側は赤色なのを表現した訳だ。
ここらの発想の理解ははなはだ難しいが、宝石の扱いを眺めるとなんとなくその感覚がわかってくる。大陸で霊力ありとされ玉器に使われたのは白色軟玉ヒスイで、羊脂玉が最高級品。(例外的に、ツングース系王朝だけが硬玉ヒスイ彫刻を喜んだ。)青白玉もあったが、ここだけ見れば、カワセミの色とは無縁である。ところが、例外がある。緑(♀的色)と緋(♂的色)が入った硬玉ヒスイ「翡翠玉」だけは古代から珍重されていたのだ。

そんな風に考えていくと、という文字や魚狗も、優れた表現であることがわかる。この鳥、水面下を覗き見することもなく、背を正した"立ち姿"で枝に止まっているのだ。それが、突然急降下して漁獲。この習性は驚異的。魚狗は空から一気に落ちて来る天狗同様ということ。(「酉陽雑俎」今村与志雄注によれば、天狗=[→])

そうなると、セミとは、エメラルド色側の"背見せ"の意味と考えてなんら不自然ではなかろう。実際、カメラの放列を前に枝に止まっている様子は、そんな姿勢を貫いている鳥そのもの。
気分的には"背美"としたくなる。
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

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