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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.10] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[61]
−鳥の王−

唐突だが、エジプト〜ペルシア〜欧州の伝説生物、頭鷲で身体ライオンの話から。

ヘロドトス「歴史」では黄金を護る役目の怪物とされて登場する。名称としてはグリフォン鷲獅子で通るが、それが元の名前を踏襲しているかはなんとも。スフィンクス@ナイルと似ているものの、それは元祖ではなく、おそらく、オリエント出自。禽獣最強生物像だから、そこらの王権守護神と見てよかろう。
USAはほんの僅かな歴史しかないにもかかわらず、その国璽は白頭鷲。そんな古層の意識を今でも大切に護っている訳だ。

小振りの鷲とも言える、鷹を明瞭に権力の象徴としたのは、日本では江戸幕府。それ以前も意識はしていたものの、曖昧にしていたようだ。
それは、鷹狩行事が渡来だったせいもあろうし、必ずしも鷲/鷹を鳥の王とは見なしていいなかったこともあろう。

実は、欧州でも、鳥の王と言えば、鷲/鷹ではなく、(Eurasian)Wren鷦鷯/三十三才ミソサザイ。小生は、出自はスラブ辺りと睨んでいるが、伝承が地理的に余りに広範囲に渡るので自信はない。(この鳥は、些細な違いはあるものの、ユーラシア域のアイルランドから日本まで1種と見なされている。しかし、一族メンバーは90種近く存在しており、発祥地は、分岐の多い中米ではないか。)
文献的な初出もはっきりしないが、アリストテレスが、そのニックネームは老人か王であると記載している。
The wren lives in brakes and crevices; it is difficult of capture, keeps out of sight, is gentle of disposition, finds its food with ease, and is something of a mechanic. It goes by the nickname of 'old man' or 'king'; and the story goes that for this reason the eagle is at war with him.[Aristotle(D.W. Thompson[訳]):"The History of Animals"@B.C.350年Book IX Part 11]
イソップを初めとする寓話が色々と残っているが、鷲との競争で王位を得たという点がポイント。大型猛禽の鷲を凌ぐ力、換言すれば、狡猾さが賞賛されていると言ってよかろう。
その典型は、熊や猪の耳に入って仕留めたという話で、身体の小ささと囀り声の大きさを上手く使ったとされている。一方、力もあり身体も大きい鷲は面子から無理をして挑んでしまい死んでしまう。又、王を決めるために高空滞空飛行競争が行われ、鷲の羽に乗って上昇し、鷹が疲れたところで飛行を開始することで1番になったとの話も人気があるようだ。

ともあれ、欧州では幸運をもたらす鳥とされていたようで、それぞれのローカルコミュニテエィが大切にして来たらしい。
しかし、例外もある。
ケルト@アイルランドは年末に大々的な狩猟行事をするのだ。(Wren Day@St. Stephen's Day.)古くなった魂を葬るための習俗とされてはいるが、網羅的な殺戮を行っていたようだから、本来的には違う意味があったと思われる。征服者に加担した鳥と見なされた可能性もありそう。

このミソサザイだが、すでにとりあげたように、日本では"さざき"と呼ばれており、大雀命[仁徳天皇]の読み。[→]
女鳥王が詠った謀反歌の最後句の"明き獲らさね"は"サザキ獲らさね"でもあり、"身体は小さいが狡猾な天皇を速攻で殺しておしまい。"と言うことのようだ。
"さざき"は大きなスズメではなく、キクイタダキと共に最小種ランクに位置する"大王"ミソサザイなのである。要するに、知恵が回って、すばしっこく、口がたつということ。
万葉人感覚では、それよりは、巣をあちらこちらに造って雌を惹きつけ、射とめたらその一つで巣作りさせる能力に感心させられた筈。言うまでもないが、成功すれば、すぐに新たな雌を見付ける算段。当然ながら、その広大なテリトリーに他の雄を寄り付かせないのである。マ、垂涎の鳥。

長々と書いてきたが、インターナショナルに状況を眺め、鳥王の見方が似ていると言いたい訳ではない。小生にしてみれば、違いが矢鱈に目立つ話ばかりだし。・・・
古き日本では、キメラ体や着飾った禽獣なぞ大嫌いだったし、造物主の命令で競争させられて、その結果で王位を決めるような文化はついぞ持ち合わせていない。
そんな違いに気付けば、それぞれの鳥王の意味も見えてくる。

そもそも、鷲/鷹は、大型獣の熊や猪が棲む森では無力。その威力を発揮できるのは、もっぱら乾燥地域であり、そこでは確かに鳥王そのもの。
文化的にはおそらく鳥葬地域。遊牧主体であろう。その後、その民は森を焼いて牧畜用野原にして定住化を進めたのだろう。
従って、森を愛する民に、鷲王尊崇感覚がある筈はなく、とてつもなき大声で鳴いて縄張りを死守する林棲の鳥を王と考えたくなるのは当たり前。

こう考えると、海人の国にはどちらも不適ということになろう。
つまり、日本には、別な鳥の王がいるのである。そう呼ばれた話は耳にしたことはないが。
それは、海彦山彦の頃から人と親しんでいた、鵜である。

鳥は群れることが多いが、その点では第一級。浜離宮では、海鵜の皆様に木々の葉を糞だらけにしないようにご配慮頂いている位だ。[→]

日本の聖数8を認識する鳥という話もある位で、知恵が働くようだ。(鵜飼では、8匹目を餌とする。それを怠ると仕事をしなくなると言われている。)
一見、強いところなどなさそうだが、群れている鵜のテリトリーを侵す鳥はいないいし、他の鳥のテリトリーに大挙しておしかけ乗っ取ったりとなかなかの強者なのである。
そこらは烏と似ており、一羽だと猛禽類に襲われるのだが、テリトリーに近づく輩に対しては群れで襲うので、そうやすやすとは殺られることはない。それどころか、テリトリー近辺に止まった猛禽類には大量糞攻撃を仕掛ける。嫌がらせとは違う。羽の汚れを落とせないと餓死が待っているからだ。

尚、烏は、あくまでも"お仕え仕事を担う鳥"であって、テリトリーを形成する鳥王ではない。
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

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