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■■■ ジャータカを知る [2019.6.27] ■■■
[109] ブーリダッタ竜王と宝珠
仏像の持物として如意宝珠はよく見かける。特に、金剛界曼荼羅三昧耶会は[→]尊像は蓮台上の持物や印相で表現されるので、何がシンボルなのか分かり易い。
当然ながら、五鈷杵だらけだが、三弁宝珠も少なくない。地蔵・虚空蔵・如意輪観音等の菩薩や吉祥天等の一尊の持物でも見かける如意寶珠チンターマニCintāmaṇiである。時に、仏像台座(蓮台)から延びた柄の先についていることもあり、この場合は摩尼宝珠と呼ばれることが多い。お堂の屋根上や五重塔先端相輪水煙上に載っている飾り宝珠も同じである。
桃の種形状だが、本来的に道教とは無縁とされており、その出自は摩竭の脳中なのだと言う。(「雑宝藏経」卷六)
従って、海底の宮に住む龍王が持つ呪術珠とされている。
(調べていないが、経典で良く知られる話は、「大智度論」第十二卷 釈初品中檀波羅蜜法施之余の能施太子・摩尼宝珠譚とか「賢愚經」との解説が多い。如意宝珠で海の水が引いてしまうのだが、龍が珠を返して深謝する話である。)

綿津見~之宮に渡航し、三年雖住の後に帰路につく際に"山彦"に授与された、"鹽盈 鹽乾珠"とルーツは同じだろう。(「古事記」)

ジャータカでも、そのような龍王の珠が登場してくる。

もちろん、[#543]ブーリダッタ竜王BHŪRIDATTA/槃達龍[→コブラ]である。
すでに極く簡単に取り上げて来たし、巻末10本生譚(Mahanipata Jataka)にも入るので、そこでも紹介したが[→カンダハーラ司祭官]、数行で中身を表すだけでは本質を見失うリスクは小さなものではない。
詩節の数が多く本格的な叙事詩なのでもう少し見ておきたい。

尚、英訳ジャータカでは、特別な珠としての用語は使われておらず、gemあるいはjewelである。尚、海の王宮にはこうした宝石だけでなく黄金も。(the golden and jewelled palace複数形)

譚の記述はどれも同じ形式であり、説法場面の状況から始まり、詩節とそれを繋げるために後付けの解説的散文が付いた本文に、釈尊の一行解説と前生指摘の3部分からなる。この譚は他に比べると極めて長いので、"昔々"から始まる本文は8部に別れている。

先ず、頭だが、これは在家用の話であるとのこと。
と言うことで、末尾に記載されている、講師たる釈尊の在家信者への法話解題も先に書いておこう。
 仏陀誕生以前の時代にもかかわらず、
 信心深い賢者達は 竜族の栄華の状況から脱し、断食的生活を一心に追求したのだ。
一番最後に明かされる前生対応だが、読んでいけばなんとなく想像がつかないでもないが、主要登場者を予め知っておいた方がそのイメージが湧いて分かり易かろう。・・・
 大王一家
    ⇒釈尊の父母

 アウトカーストの婆羅門
    ⇒デーヴァダッタ
Devadatta/提婆達多…違背分派リーダー
 ソーマダッタ
Somadatta
    ⇒アーナンダ
Ānanda/阿難…多聞第一の弟子
 アッチムキー
Accimukhī
    ⇒ウッパラヴァンナー
Uppalavaṇṇā/蓮華色比丘尼…女性の弟子
 スダッサナ
Sudassana
    ⇒サーリプッタ
Sāripputta/舎利弗…智慧第一の弟子
 スバガ
Subhaga
    ⇒モッガラーナ
Moggallāna/目連…神通第一の弟子
 カーナーリッタ
Kāṇāriṭṭha
    ⇒スナッカッタ
Sunakkhatta/善星…奇跡無しの釈尊を見限って還俗した弟子
 ブーリダッタ
Bhūridatta
    ⇒釈尊


カーナーリッタの登場には注意を払う必要があろう。
宗教屋のパフォーマンスに目移りする愚かさの象徴であると共に、自分こそ本物と信じ切っている似非教祖になる危険性は常にあることを自戒する必要ありと述べているようなもの。止むに止まれぬ慈悲心からの行動にしても、一見、妥当に映るが、それが苦悩滅失に向かわないのなら、たいした意味無しとの覚めた目がそこにある。

そんなこともあり、この譚は釈尊の説く精神性を感じとるには最適だと思われるので、ストーリーを追っていこうと思う。

と言うことで、常に"Once upon a time"で始まる本文。・・・

【I】
ベナレスBenaresのブラフマダッタBrahmadatta王の息子は王の代理を務めていたが、偉大との名声を浴びるようになり、王位奪取を懼れた父に出奔を迫られ同意。ヤムナーYamunā川と大海との中間に草庵を建てて生活。
一方、大海には竜宮があり、未亡人の竜女が煩悩に耐えかね抜け出して岸辺を彷徨しており、その草案を見つける。出家者が住んでいると予想し、なんとか愛欲生活ができぬものかと、魅力的な草庵作りに精を出す。
両者の波長は一致。一緒に生活することに。竜Nāgaには神の力があるので、豪勢な生活を送り、そのうち子供が産まれた。
 息子 サーガラ・ブラフマダッタSāgara-Brahmadatta
 娘 サムッダジャーSamuddajā
そうこうするうち、たまたま訪れて歓待された猟師が王家にここで生活していることを知らせることに。ところが、都に着くと王逝去。そこで重臣達は王子を継承者に決め招請にやってくる。
王子一家だが、妃は竜なので王宮では皆が危険に晒されるので無理で、竜宮Nāga-worldに戻ると。子供は水棲というだけだから、都に行くことに。
王宮住いに馴れた頃に、子供達は蓮池に亀が棲み付いていることに気付きヤッカyakkhaであるということで、懼れる。ヤムナー川の渦に放り出す刑罰に処すことに。
ところが、亀は竜宮にたどり着き、ダタラッタDhataraṭṭha竜王の王子に捕まってしまう。そこで、チッタチューラCittacūḷaと自称し、自分は王の遣いであり、王女サムッダジャーを嫁に出す話を伝えるために訪問したと嘘を言う。
竜王はその話を信用し王女もらい受けの使節を送るが、ヒトと竜の縁組は有りえぬとことわられてしまい、竜族は激怒。
竜の示威行動が始まり、都の人々は畏れおののき、王女を贈れと。
結局、王もそれに対応し王女は竜宮に。そこは、黄金と宝石の宮殿で天上の都のような場所だった。ベッドも神々用であり、竜族を人間と思っていたので互いに愛し合う生活が続いた。


【II】
王女とダタラッタ竜王の間には子供ができた。息子である。
 スダッサナ
Sudassana
 ダッタ
Datta
 スバカ
Subhaga
 アリッタ
Ariṭṭha
竜族との結婚であることを知らなかったが、末息が突然姿を表したので仰天し、子の眼を裂いてしまう。竜王は子を罰することにしたが、息子を愛する母の願いを入れて許す。これを期にカーナーリッタ
Kāṇāriṭṭhaと呼ばれるように。
成長すると、王は子供達を独り立ちさせ、親と同等な国の統治の任との栄誉を与える。父母とはご機嫌窺いの交流が続く。
ダッタは菩薩であり、力を発揮していた。ある時ヴィルッカ
Virūpakkha王が竜族家臣と共に三十三天に昇り帝釈天Sakkaの周囲に座した際問題が勃発したのだが、これも解決したので、大地のような広大な智慧ありとされ、以後、ブーリダッタBhūridattaと名乗ることになった。
そして、帝釈天に仕えるようになったのだが、その素晴らしい宮殿やかしづく天の妖精達に接したので、天界に憧れを感じるようになってしまった。蛙喰の蛇的な竜の世界から神々の世界に転生したくなり、竜宮に戻って、父母の了承のもとで竜王国内で断食修行を始めた。しかし、公園や庭園で竜女に取り囲まれた状態であり、危険ではあるものの、人間界で最上の修行をしようと堅く決意。妻だけに知らせて、ヤムナー川岸の大きなベンガル菩提樹の側の蟻塚の上に。夜明けに、竜女達が迎えにくるまで、臥して修行。
それがずっと続いていた。


【III】
ベナレスの城門近くの村に住み、鹿狩りを生業とする婆羅門とその息子ソーマダッタSomadattaが、狩の都合でベンガル菩提樹で一泊することになってしまい、御迎えに来た竜女達に出くわしてしまう。皆、去ってしまい、神々しい姿をしたブーリダッタと会話することに。竜王は素性を隠さずに語り、そのまま二人を返すのはためらわれたので、竜宮に招待し歓待し、住まわせる。それ以外は、元のような生活が続いた。
二人は、1年もの安楽な生活を送っていたのだが、人間界に帰りたくなってきた。そこで一計を案じ、竜王の修行を褒め称え、親族にも合いたいとの気持ちを発露することで、帰還を認めてもらう。そこで、年老いたら出家すると語る。
竜王は、早速、無病息災で家畜も子孫も増えるチャームの宝石
jewel/gemを授けたが、受け取らない。そこで、急いで、4名の若い竜に送らせたのである。
人間界に着き、そこにあった蓮池で水浴すると、昔の姿に戻ってしまい栄華をしのぶ物はすべて消滅してしまった。ソーマダッタはがっかり。家に帰り、ことの次第を息子から聞かされた妻は、何も持ち帰らないことに立腹。しかし、いかんともしがたい訳で、以前のように鹿狩り生活が続くのであった。


【IV】
ある時、雪山Himavatの黄花棉樹silk-cotton treeに住む一羽のガルラGaruḷa birdが南方の大海に出向き、羽搏いて水をとばして竜の支配地に降りてそこに居た竜王の頭を急いでつかんで、ほとんど爪に引っ掛けるような状態で元のヒマラヤ向かって飛びたった。途中、竜は大きなバンヤン菩提樹に尾をからませたが、鳥は怪力なので根こそぎ抜けて一緒に運ばれていった。そして、ガルラは黄花棉樹で竜の腹中をついばみ、残りは大海に捨てたが、轟音がしたので始めて樹木を引き抜いたことに気付く。
その樹木では、普段、カーシ
Kāsi国婆羅門出自の隠者Kosiyaが休息していたので、悪行を働いてしまったかと気になり、姿を変えて仙人に聞いたが、誰も悪くないとの返事。それに満足したので、ガルダ王であることを名乗り、不要と言われたものの、無類の呪文アーランバーヤナĀlambāyanaと薬草をお礼に贈呈し去って行った。
その森で死のうとベナレスから借金漬けの婆羅門がやってきて隠者に感銘を受けて居付くことに。そこで、その貰った呪文と薬草をこの婆羅門に。教えてもらうった内容は生活の糧になると気付いたため、上手く理由をつけて森から抜け出す。そして、呪文を唱えながら、ヤムナー川岸へ。どころが、そこでは望みを叶える宝石を持ってきた、竜女達が水浴び中だった。ガルダの呪文を耳にしたので、恐怖のあまり、宝石を持たずにすぐに身を隠してしまった。婆羅門はそれを得て流石呪文の効果と。
その宝石に気付いたのが、先の鹿狩人婆羅門。あれこそブーリダッタがくれると言った物。これは騙して手に入れるにしくはなしと。
息子のソーマダッタは、財産が欲しいならブーリダッタのところへ行って請えばよい。友を騙して義を踏みにじれば地獄行だから止せと。しかし、父親は目の前の利益には喰らいつくもの、と言い放ち説得不能。この先は別の道しかないと、出家してしまった。その後、修行して梵天界に転生たと。
この鹿狩人婆羅門は、どうせ行くとこ無しと、この離反をほとんど気にせず。そして、イライラしてきた、蛇を懼れないアーランバーヤナ者に、ブーリダッタを見せてあげようと蟻塚に誘う。そして、竜王を捕らえ、価値ある宝石を取れと叫ぶ。"偉大な人"は、あの時宝石を受け取らなかったアウトカーストの鹿狩人婆羅門とすぐにわかったが、対応すれば修行の価値を無くしてしまうので、無視することに。アーランバーヤナ者にどうされようとかまわぬという思いで。


【V】
アーランバーヤナ者は(もともとが蛇使いであり)、竜と対面できたので、それだけで大満足。持っていた、竜女が置いていった宝石を鹿狩人婆羅門に投げてよこした。
地面に落ちてしまうと、それは地中に入り込んで消えてしまった。息子を失い、ブーリダッタとの交流も消え失せ、宝石も無くなってしまい、それを嘆いて家に帰るしかなかったのである。
アーランバーヤナ者は聖なる薬を自分の身体に塗りつけつと共に、口からも摂り、呪文を唱えて近付き、尾を持って持ち上げて頭を押さえて口を開けさせ、吐き出して薬草汁を入れた。その上で振り回し、骨が砕けたようだった。しかし、竜王の決意は固く苦しみを耐え、目も開かずなすがままで怒りもしなかった。
そこで、蛇使いの僕として、村々を回って見世物踊りを続けた。次第に裕福になり、蜂蜜、揚穀物、蛙肉といった餌が与えられたが、竜王は決して手をつけなかった。
そして、ベナレスの王宮に。人々が集められ、中庭に鑑賞席が準備されたのである。


【VI】
竜王である菩薩がアーランバーヤナ者に捕獲されたちょうどその時、その母サムッダジャーは悪夢を見て、よからぬことが発生する危惧の念におそわれてしまう。実際、長男スダッサナ、三男、四男は何時ものように父母のご機嫌伺いに来るのに、次男ブーリダッタは来ない。行方知らずなのだ。母を慰めても埒明かずで、会えないなら死ぬと言いだす始末。そこで天界・雪山・人間界をそれぞれ分担探索することに。
スダッサナは菩薩を愛する異母妹アッチムキー
Accimukhīを蛙に変身させて髪のなかに入れ、一緒になって捜索。すぐに、蛇使いに捕らえられて村々で演技させられていることを知り、ベナレスへと向かう。
折しも、蛇踊りが始まるところ。蛇王は辺りに親族とガルダがいないか見まわし、スダッサナを見つけたので何時ものよう踊らず兄のところへ近寄る。状況を理解した兄は、毒無しの蛇を使うアーランバーヤナ者に自分の蛙と賭け勝負するようにと言い放つ。こちらの蛙は猛毒ということで。その毒で国が亡びかねないと王に告げ、結局、蛇使いの薬草を穴を掘って焼却することに。すると、アーランバーヤナ者は大火傷。恐れて蛇を解放。
途端に、スダッサナ、ブーリダッタ、アッチムキーは帝釈天のような神々しい姿で立ち現れた。そして、系譜を説明し、王は伯父に当たるとし、法を説いた。王は泣いて、竜宮の母の元に急いで帰る彼等を見送ったのである。


【VII】
戻ったものの、街は悲嘆の声で埋まった。一ヶ月も閉じ込められた生活で患ってしまったからで、さらに見舞い客を制限しなかったので疲れ切ってしまったこともある。そこで、乱暴者ということで天界捜索を担当になってすぐに戻ってきたカーナーリッタが門番役に。
一方、雪山探索役のスバガは、ヤムナー川を調べながら帰途についていたが、そこで水浴して悪を浄化しようとする鹿狩人婆羅門の言葉を耳にしてしまった。これは生かして置く訳にはいかぬと、溺れさせたが、理屈をこねるので竜宮に連行して兄弟の判断を仰ごうと決める。


【VIII】
カーナーリッタは連れてこられた婆羅門を見つけ、迎えに出て、スバガに語る。
 婆羅門を傷めるな、彼らは、偉大なる梵天の子供なであり、
 子供が虐められたら梵天は竜王国を破壊してしまうだろう、と。
カーナーリッタは直前の前生は供犠を執り行う婆羅門だったのである。そんなこともあって、供犠すべきと言い出したのである。供犠とヴェーダ経典は不滅なりと言って、スバガにさらにカーストの素晴らしさを示し始めた。
 婆羅門
Brahminは学習し、
 クシャトリヤ
Khattiyaは命令する。
 ヴァイシャ
Vessaは土地の耕作。
 シュードラ
Suddaは召使いとして他に仕える。
 この4つは梵天の命である。
そのような詩節を次々と詠い、婆羅門達、供犠、ヴェーダ経典を称えたのである。
訪れる竜達はその通りと思ったようだが、これを聞いていた病床の菩薩は、沐浴して着飾ッてから説法を始めた。
 ヴェーダ経典の学習は賢者には骨折り損でしかない、から始まって徹底的な批判の詩節を謳いあげたのである。・・・

この後にかなり長くその辺りを語る詩節が続くことになるので、ここらで止めよう。

話の真意とはかけ離れてしまうが、読んでいて、釈尊の出自である釈迦族はコブラ神信仰だったのかも。その本質は地中棲的精神にあり、その気になれば黄金や宝石に囲まれた華やかで安楽にして、物質的に豊かな生活が約束される。しかし、静寂な森で安らぎに浸る体質とは水と油。しかし、そんな社会に生まれてしまえば親族のしがらみもあり、切り捨てれば過酷な世界に放り込まれるだけで、いかんともし難い訳である。
そんな釈尊の見方に共感を覚えれば、それは在家仏教徒に他ならないいうのがこの時代の感覚ではなかろうか。

しかし、そんな共感も、供犠と聖典を前にすると、あっけなくどこかへ吹き飛んでしまうのである。それが一般大衆の偽らざる姿。供犠を駆逐し、教えの典籍化をさせなかった初期仏教も、釈尊が入滅した瞬間、社会の現実に合わせて方針を変更せざるを得なくなるのである。

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