→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.14] ■■■ [76] 仙人空海 その空海だが、入定後の話が収載されている。・・・ 【本朝仏法部】巻十一本朝 付仏法(仏教渡来〜流布史) ●[巻十一#25]弘法大師始建高野山語 入定の所を造て、 承和二年と云ふ年の三月廿一日の寅時に、 結跏趺坐して、大日の定印を結て、内にして入定。年六十二。 : 其の後、久く有て、 此の入定の峒を開て、 御髪剃り、御衣を着せ、替奉けるを、其の事絶て久く無かりけるを、 般若寺の観賢僧正と云ふ人、権の長者にて有ける時、大師には曾孫弟子にぞ当ける、 彼の山に詣て入定の峒を開たりければ、 霧立て暗夜の如くにて、 露見不りければ、 暫く有て、 霧の閑まるを見れば、 早く、御衣の朽たるが、 風の入て吹けば、 塵に成て吹立てられて見ゆる也けり。 塵閑まりければ、大師は見え給ける。 御髪は一尺許生て在ましければ、 僧正自ら水を浴び、浄き衣を着て入てぞ、 新き剃刀を以て、御髪を剃奉ける。 水精の御念珠の緒の朽にければ、 御前に落散たるを拾ひ集めて、 緒を直ぐ揘て、御手に懸奉てけり。 御衣、清浄に調へ儲て、着奉て、出ぬ。 僧正、自ら室を出づとて、 今始て別れ奉らむ様に、覚えず無き悲れぬ。 其の後は、恐れ奉て、室を開く人無し。 生き仏であるとされる由縁だろう。仙人とも言える訳だ。それが、聖人としての当然の特徴とされていた風にも思えて来る。 注意すべきは、これは往生譚ではなく、入定後どうなったかが記載されている点。往生に際しての姿勢や、どのように息を引き取ったかが描かれていることは多いが、その後のことには無関心なのが普通であるから、仙人であることを示唆するために特別に収載したストーリーと見て間違いない。 日本に於ける仙人譚を収集した書は、大江匡房「1041-1111年]:「本朝神仙伝」と言われるが、その過半は仏教僧だからだ。仏教教義での究極目標は、道教的な不老不死ではないにもかかわらず、仙人を目指す僧は多かっただけではなく、代表的な僧も又仙人なのだ。空海はその代表と言ってよかろう。 どうも、空海は、もともと仙人とは浅からぬ関係があったようだ。 久米仙人が創建した久米寺についての話に不思議なエピソードが付け加わっているからだ。[→久米仙人] 大師、其の寺にして大日経を見付て、 其れを本として、 「速疾に仏に成るべき教也」とて、 唐へ真言習ひに渡り給ける也。 仙人については、すでに取り上げた訳だが[→仙境]、どうも聖なる深山と直接つながりがあるようで、聖人と見なせる仏僧の入定先が奥山になると仙人化するということかも知れぬ。 遺体がママのままというのはミイラ信仰に近そうで、道教はそこらの影響がありそうだが仏教例はそう多くはない。 一方、葬った地で聖なる霊がまるで生き続けているかのように聖跡を顕わすという信仰が、仙人信仰に被っている可能性は高そう。怨念で霊が死んだ地に留まるというのと対極的で、特別な死者は山の清浄な地に安置すべきと、それによって聖人として蘇って皆を導いて下さるとの観念が仏教伝来以前からあり、それがそのまま続いているように思える。 【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳) ●[巻十三#30]比叡山僧広清髑髏誦法花語 比叡山山王院の広清の話。 師の教えで幼くして比叡入山。法華経を学び、常に口唱。仏道精進。 始終、滅した後のことを、心にかけ生活していた。 前世因縁縁で、俗世間に係わって暮らしてはいるものの 俗世を離れて、修行三昧をしたいと思っていた。 そんなことで、日夜、お経を唱え続けた。 この徳こそ、後世で悟できると考えたのである。 ある日のこと、 広清は、堂内で夜を徹し法華経を唱えていてつい眠ってしまった。 すると、夢に、 黄金に輝き金銀宝石を身に纏ったお姿の八菩薩が出現。 恐れ多く、有り難きことと、拝み奉っていたところ、 一柱の菩薩様が、お告げを。 「広清よ。 そなたは法華経の教えを深く心に留めておる。 この善行で輪廻をから脱し真理の極みに達することを祈願。 これらは実に正しいこと。 このままで疑いの心を持たずに、ますます仏道を進むと良い。 そうすれば、我々八菩薩が必ずや極楽世界へと導く。」と。 そして菩薩達は消えてしまった。 その途端に夢から覚め、広清、涙。 それからというもの、さらに法華経口唱に心血を注ぎ込んだ。 夢を忘れることがなかったのである。 その後、 山を下り、京一条北のお堂に住むことに。 その姿勢はそのまま変わらず。 さらに、重篤な病に陥ったても、同じ調子だった。 しかし、回復することもなく逝去。 亡骸は弟子達が手厚く葬った。 ところが、 広清の墓から、毎晩、法華経を唱える声が聞こえてくるのである。 お経の一部を読み通すほど続いたので 弟子達は占ってもらい、 頭蓋骨を掘りだし、 山中の清浄な場所に改葬した。 それからは、山中から読経の声が響き渡るようになった。 現代、読経を耳にするのは、もっぱら法事であり、ほとんどの場合、抑揚なくリズム感にも乏しい棒読み調に聞こえるが、上記のような経典暗読の口誦の場合、和音的な音程やフィードアウトするような長音化が含まれていた可能性があり、自然音として聞き惚れておかしくない読経と考えた方がよいと思う。 山から読経の声が聞こえてくるというのは、実感そのものである可能性が高い。 法華経霊験譚群の巻に収載されてはいるもの、少々異質なものでは、直接的に"仙人"について語られている。この話、そこに眼点がある訳ではなく、入定した尼でさえ男を意識してしまうというヒトの本性を語っており、久米仙人の女性版ということであるが、仙人の観念がなんとなくわかる話でもある。 山中入定の尼が山に入ってきた僧に男を感じてしまい、長期に渡る修行の徳功を失ってしまった訳だが、そこには、奥深い山中で修行を重ね、その中の清浄なる地で滅すると仙人化するという大前提がありそう。・・・ ●[巻十三#12]長楽寺僧於山見入定尼語第十二 京東山長楽寺の僧が供花を探りに山深く入った。 日も暮れてしまい、木陰で野宿。 亥の刻、細く微かな法華経読誦が一晩中聞こえてきた。 「昼間はここらには誰もいない。 仙人であろうか?」と考えていた。 夜が明けてきたので、声の方角に歩いて行くと、 それらしきものが見えてきたので 「誰かいるのだろうか?」とじっくり眺めると、 すでに明るくなっており、 苔に覆われ茨が生えて被さっている場所にすぎない。 「お経読誦の声はどこからだろうか?」と謎は深まる。 そうなると、 「この岩上に仙人が座っていたのか?」とも。 まことに貴いことと感じて見入っていたのである。 暫くすると、その岩が変化し始め、ついには60余の女法師に。 僧は恐ろしくなって来て、 「どういうことなのでしょうか?」と尋ねると、 女法師は泣きながら答えた。 「私は長年ここに居りました。 一度たりとも、愛欲心など起こしたこともありません。 ところが、あなた様が来たのを見て、 悲しいことに 罪深い人間の姿になってしまいました。 元に戻るには、とてつもなく長くかかるでしょう。」と そして、山の奥深く歩き去って行くったのである。 尚、この長楽寺だが、僧尼の隠棲禅定の地と見てよいだろう。805年桓武天皇勅命で伝教大師開基(本尊:伝大師御親作観世音菩薩)らしい。絵師 巨勢広高が地獄変相図を描いたお寺でもある。[→巨勢派] その長楽寺山は、東山三十六峰の中心に位置しており、山頂には将軍(坂上田村麻呂)塚があると聞く。 [参考]------------------------------------ 「遊山慕仙詩」 空海 「性霊集」巻一 高山風易起 深海水難量 高山は風が起こり易く 深海の水の量は測り難し 空際無人察 法身獨能詳 空の際は人には察しがつかぬが 法身の智慧だけが詳らかにできる 鳧鶴誰非理 螘亀詎叵ワ 鳧と鶴は誰もが摂理上違いありと[「荘子」駢拇篇] 蟻も亀の違いで日昇は変わらぬ 葉公珍假借 秦鏡照眞相 葉公は假りの借り物を珍として貴び 秦始皇帝は真実を照らし出す鏡を求めた 鴉目唯看腐 狗心耽穢香 鴉の目は唯腐った物を見るだけで 狗の心は穢しい香に耽溺す 人皆美蘇合 愛縛似蜣蜋 人は皆蘇合の香りを美しいと感じるが 糞虫が糞の愛おしさに縛られているようなもの 仁恤麒麟異 迷方似犬羊 仁徳の情は麒麟の愛とは異なり[「論語」顔淵] 方向に迷った犬や羊の駆け回るのと同じ 能言若鸚鵡 如説避賢良 能く言う点では鸚鵡のごときだが 賢良を避け説いている如きもの 豺狼逐麋鹿 狻子嚼麖麞 豺狼は麋鹿を駆逐し 狻子/獅子は麖麞に嚼みつく 睚眦能寒暑 噱談受痏瘡 戦闘殺害者の睚眦は寒暑など無縁で 談笑(で口難)することで痏瘡を受傷させる[「抱朴子」擢才] 営営染白K 讃毁織灾殃 白をKに染まっていると営々と言い 讃辞と毀損で灾殃/災禍を織りなす 肚裏蜂蠆満 身上虎豹荘 蜂蠆の肚裏の毒に満たされていても 虎豹の荘たる身上を演じる 能銷金與石 誰顧誡剛強 (酷い妄言讒言は)金石をも銷却するが 誰がそれを顧みて剛強/傲慢さを誡とするだろうか 蒿蓬聚墟壟 蘭欎山陽 蒿蓬は廃墟や丘壟に聚落をつくり 蘭宸ヘ山陽の地に鬱蒼と生える 曦舒如矢運 四節令人僵 日月/曦舒は矢の如く運行し 四節の移ろいのように命令されて人は倒れ死ぬ 柳葉開春雨 菊華索秋霜 柳葉は春雨で開き 菊花は秋霜で散る 窮蝉鳴野外 蟋蟀帳中慯 窮した(秋)蝉は野外で鳴き 蟋蟀は几帳の中で慯しく啼く 松柏摧南嶺 北邙散白楊 南嶺の松柏も伐採され砕かれ 北邙の白楊も散る 一身獨生歿 電影是無常 人は誕生から没するまで独り身 稲妻の電影であり是無常 鴻燕更来去 紅桃落昔芳 鴻と燕は更代でやって来て去って行く 紅き桃も落ち芳気は昔のことに 華容偸年賊 鶴髪不禎祥 華麗な容姿も年齢という賊に盗み取られ 鶴のような頭髪も瑞祥ではない 古人今不見 今人那得長 古人は今は見えず 今の人が長寿になれるだろうか 避熱風巖上 逐凉瀑飛浆 熱ければ巖上の風で避暑 滝の瀑布の飛浆を浴び凉爽 狂歌薜蘿服 吟醉松石房 戯れに歌を詠み蔓織の粗末な服を着て 松石の地の山房で吟じ醉う 渇飡澗中水 飽喫煙霞糧 喉が渇けば幽靜な谷間で水を飲み 食糧として煙霞を満喫す 白朮調心胃 黄精填骨肪 薬草の白朮で心胃の調子を整え 薬草の黄精で骨や脂肪に充填 錦霞爛山幄 雲幕満天張 山で爛熟する錦の霞が幄舎 雲は幕となって満天に張りつめる 子晋凌漢挙 伯夷絶周粱 (周代の)王子晋は嵩山入りし高く挙って登仙 伯夷は暴虐な周を否定し絶穀首陽山に隠遁 老聃守一氣 許脱貫三望 老子は混然の万物生成の気を守り[「荘子」知北遊] (箕山隠者)許由は(尭帝に譲位と言われ)耳を洗い要望を流し隠遁 鸞鳳梧桐集 大鵬卧風床 瑞鳥鸞鳳は梧桐に集い 巨大な鵬は季節風に乗りその地の床に安臥 崑嶽右方廡 蓬莱左辺廂 崑嶽山は西方の殿廡 蓬莱島は東方の廂廊 名賓害心實 忽駕飛龍翔 名目だけの賓位を得ても心の実を害するだけ 棄てれば忽ちにして龍に駕乘し天空飛翔 飛龍何處遊 寥廓無塵方 龍は飛んで行きどこで遊ぶのか それは寥寂で廓大な無塵の彼方 無塵寶珠閣 堅固金剛墻 そこは無塵な寶珠の楼閣で 周りは堅固な金剛の墻/垣根 眷属猶如雨 遮那坐中央 その眷属は雨粒のように多種多様 中央に座すのは毘盧遮那仏 遮那阿誰號 本是我心王 毘盧遮那仏とは誰を号したのか それは本来的に我が心の王というべき 三密遍刹土 虚空厳道場 身密・口密・意密が遍く国土に広がり 虚空は荘厳な道場となる 山毫點溟墨 乾坤経籍箱 山は揮毫の位置で海/溟は墨 天地/乾坤は経籍を入れる箱 萬象含一點 六塵閲縑緗 万の事物事象は一点から出て一点に帰るだけ (色・声・香・味・触・法の)六境が表装書籍を査閲 行藏任鐘谷 吐納挫鋒鋩 行藏(出処進退)は鐘谷(信念表意)に任せ (↑ご注意:行藏・鐘谷は決定的に情報不足。) (行法の)吐納(腹中の悪い気を吐き出す)は 鋒鋩(はげしい気性)を挫く[「荘子」斉物] 三千隘行歩 江海少一嘗 三千世界は歩行するには狭隘で 大河や大海と雖も些少であり 一舐めの水滴に過ぎない 壽命無始終 降年豈限壃 寿命には始まりも終わりも無く 降したところで 年に限界や区切りがある訳ではない 光明満法界 一字務津梁 光明は法界に満ち 阿の一字が橋渡し/津梁を務める 景行猶仰止 思斉自束装 大道景行を進み猶仰ぎ敬い 思いを整斉し自ら行脚装束をそろえよ 飛雲幾生滅 靄靄空飛揚 飛ぶ雲は幾回も生まれては滅し 棚引く靄靄は空しく飛び揚がる 纏愛如葛旋 萋萋山谷昌 愛に纏いつかれるのは旋回する蔓草の如きで 萋萋と繁茂し山谷に隆昌するようなもの 誰如閉禅室 澹泊亦忀徉 誰ぞ禅室に閉じこもらん 淡白/澹泊にして逍遙/忀徉すればよし 日月光空水 風塵無所妨 日と月は空と水を照らしてくれ 風塵に妨げられる所なし 是非同説法 人我俱消亡 是も非も法で説けば同じ 他人と自我の境も消えて亡くなる 定慧澄心海 無縁毎湯湯 定慧すれば心の海は澄み渡り 絶対慈悲の念が度ごとに湯湯と流れる 老鵶同K色 玉鼠號相防 烏/鵶は老いても同じ黒色 玉鼠と号しても白色蝙蝠で相貌は別 人心非我心 何得見人腸 他人の心は自我の心とは違う 他人の腹の中は見ることはできない 難角無天眼 抽示一文章 兎に角難しいのは天眼が無いからで 一篇の文章に抽出して示してみた [ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |