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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.28] ■■■
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狐譚は結構多い。本朝ではもともと、人里に住んでいて猛獣という訳ではなく、うろちょろ出て来るから親しみ易さが格別ということか。
ただ、「今昔物語集」では、動物としてではなく、もっぱら端から人等に化ける者としての扱い。これだけの例ではなんとも言えないが、女性に化けることが多いのかも。
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#20]天竺自称獣王乗師子死語
  [巻五#21]天竺借虎威被責発菩提心語
  【本朝仏法部】巻十六本朝 付仏法(観世音菩薩霊験譚)
  [巻十六#17]備中国賀陽良藤為夫得観音助語[→観音ノ寺参詣]
  【本朝世俗部】巻二十三本朝(強力譚)
  [巻二十三#17]尾張国女伏美濃[→道場法師子孫の女]
  【本朝世俗部】巻二十五本朝 付世俗(合戦・武勇譚)
  [巻二十五#_6]春宮大進源頼光朝臣射[→源頼光]
  【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報
  [巻二十六#17]利仁将軍若時従京敦賀将行五位語[→芋粥]
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#32]民部大夫頼清家女子語
  [巻二十七#33]西京人見応天門上光物語
  [巻二十七#37]変大椙木被射殺語
  [巻二十七#38]変女形値播磨安高語
  [巻二十七#39]変人妻形来家語
  [巻二十七#40]託人被取玉乞返報恩語
  [巻二十七#41]高陽川変女乗馬尻語
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  なし

どのように化けたのか、巻二十七の譚を見ていこう。

先ずは、狐が題名に入っていない譚。当然ながら、狐の仕業とする根拠薄弱。
  [巻二十七#32]民部大夫頼清家女子語
 民部の大夫 頼清は斉院の年預だったが
  勘当され、木幡に移り住むことに。
 長く仕えていた参川の御許という小間使いは
  その都合で、京で暇をだされてしまった。
 その後、頼清から使いが来て緊急呼び出し。
  山城に家を準備済みと。
  そこで、5才の子を抱え、急ぎ出立。
  着くと、頼清の妻がもてなしてくれる。
  4〜5日忙しく過ごしたところ、
  その妻が、木幡で内緒で話たいと。
  そこで子供を預けて出かけた。
  木幡の家は賑わっており、
  どうした訳か山城の人達もいる。
  呼んだのにどうしていたのだとか言われ、
  様子がおかしいのである。
  狼狽し、子を置いて来た山城に急いで戻る。
 すると、そこは広野。人っ子一人いない。
  捜し回って荻や薄の茂る中で子供を発見。
  木幡に連れて帰ることができた。
 そんな話を皆に言うのだが誰も信じてくれなかった。
 しかし、子供を荒野に捨てて来たことになるので
  納得いかぬと思ったそうだ。

確かに、よくわからぬ事件である。
当事者はどうもワカランという姿勢であり、直接のお話には狐のキの字も記載されていないところを見ると、狐の仕業と思っている訳ではなさそうだ。しかし、世間の噂として広まると、第三者的にこんな見方しかできなくなるのだ。・・・
 此れを思ふに、などの所為にこそ有めれ。

もう一つ、こちらは当事者が狐談かネとしてしまった例。
 にこそは有らめ」
しかし、当人が確信しているという訳ではなさそう。上記と本質的にはなにもかわらぬ訳だ。と言うことで、末尾のご感想一行に人々の噂として同文を入れ込んである。
 「其れは、定めてなどの所為にこそは有らめ。」
  [巻二十七#33]西京人見応天門上光物語
 西京に住む家族。
  父は死に、思い病に伏せる老母と看病の子2人。
  兄はお屋敷に仕える侍で、弟は比叡山の僧。
 母小康。
  弟、早速、三条京極の師のもとへ。
 ところが、母、死期を感じすぐに弟に会いたいと。
  一晩もたぬともいうので、
  木枯し吹く夜中だが、兄は呼びに出かけることに。
 闇のなか、内野〜応天門〜会昌門と。
 師の房に到着すると、弟はすでに比叡山へ。
  しかたなく、元来た道を戻ることに。
  応天門にくると二階で鼠鳴きと笑い声。
   「狐にこそは有らめ」とと思ひ念じ、
  さらに西に進んで豊楽院の北の野に来ると
   丸く光った物がみえた。
  持っていた鏑矢で射たとこと
   射当てたと思った瞬間に消え失せた。
 家に帰り着いたのは真夜中。
 それから数日間高熱で寝込んでしまった。

話はこれだけにすぎぬ。
物の怪や化けた狐が横行すると言われていた、夜の京は、侍稼業の男でも恐ろしい場所なのである。異界との接点となりそうな建物はなおさら。通るだけで肝を冷やすものらしい。

ここからは、タイトルに狐が入る本格譚。
  [巻二十七#37]変大椙木被射殺語
 春日の宮司 中臣の甥である中大夫の話。
 奈良南 三橋で馬を放していたら失踪。従者一人と捜索に。
 すると、根元の太さが家二軒分、高さ二十丈杉の巨木に遭遇。
 不可思議なので、明朝再度検分しようということに。
 とりあえず、二人で同時に矢を射てみた。
 その瞬間、巨木消失。
 物の怪に違いないと、すぐに逃げ去ったのである。
 翌朝、見に行くと、
 一匹の老狐が杉の枝を銜え、矢を胸に受けて死んでいた。

巨木でなんらかの被害を受けた訳でもなさそうだし、馬の失跡と巨木が関係している訳でもない。歩いていて、騙し風景に遭遇したが、それがえらく気味悪しというに過ぎない。とりつかれでもしたら厄介だから、とりあえず射殺しておこうとなったのである。妖怪の類いに対処するにはなにはともあれ武器という観念は極めて強いのである。
異なる文化に接した時、そういうことがお嫌いなら必ず気味悪しとなる訳で、「今昔物語集」編纂者は、社会一般にはとはこんなものと達観していそう。

  [巻二十七#38]変女形値播磨安高語
 近衛舎人 播磨安高の若い頃の話。
 主が参内。しばらく宮内で待機していたが、
  西京の自分の家へと独りで帰宅することに。
  道は、内野通り。
  九月の十日あたりで、月で明るかった。
  夜更けは宴の松原辺りに。
 濃い袙に紫苑色の袙を重ね着した女童が前を歩いていた。
 安高は沓の音をがしないようにして速目に歩き
 横に並んでその女の顔を見た。
 女は絵が描かれた扇で顔を隠していたものの、
 情緒を感じさえたので、触れようとすると、
 薫物の香が立ち昇ってきた。
 話しかけて、家へ誘ったが
  どこの誰かもご存知ないのにとの応答。
 語っているうちに、殷富門へと。
 安高、その時、ふと、噂を思い出した。
  「豊楽院の内には、人謀る狐有。」
  これは驚かせて調べてみようと考え、
 突然、俺は追剥だと言い脅す。
  八寸の刀を肌に押し当て
  殺されたくなければ着物をよこせ、と。
  そして柱に押し付けた瞬間、
 女は臭い尿をかけて狐と化し
  鳴きながら消えていったのである。
 安高、わかっておれば殺せたもののと悔やむ。
 その後、夜中や暁と、内通りに出向いたが
 さっぱり、狐に出会ったことがないそうだ。


ご教訓として面白いのは、先ず狐について、化かして殺されそうになったことを指摘している点。マ、狐は懲りたのだろうが。
次ぎが人で、状況を考えず"吉き女などの見えむをば、広量して触這ふまじき"と。

ご近所も巻き込んだ大騒動勃発譚だが、マ、話半分だろう。
  [巻二十七#39]変人妻形来家語
 京に住む雑色の話。
 用事で暮れ時に出かけ妻の帰りが遅い。
 ようやく帰って来たと思ったら、
  しばらくしてもう一人帰ってきた。
 一人は狐が化けていると思ったものの、
  本物と偽者の区別がつかない。
 後が怪しいと斬りかかるが、泣かれ、
  先かとみれば、そちらも泣いて合掌。
 じっくり考え、これは先だと思い至り、
  捕らえると、臭い尿を散らし
  驚かせて、隙をみて逃げていった。

こちらは"思量も無かりける男"と"狐も益無き態"との評価。
妻の帰宅が矢鱈と遅く、夜遊びと見た夫が癇癪をおこし、お前を殺す殺さないでの大喧嘩になったが、どうやら丸く収まったとのと違うか。

以上、狐が化けて騙すことが、どれだけの悪行にあたるのかよくわからないような話になっているし、ご教訓はヒトと狐の両方について書いてある点を忘れずに。
そうでないと、次ぎの珠玉の話が光ってこない。
全面的な狐話だが、狐ご立派。一方登場するヒトはほとんど泥棒に近く低劣な動物。しかもその自覚無し。
お笑いなのは、皆で巫女を呼んでおきながら、それを全く信じていない点。風習だからやっておくかという調子。それなら巫女んだお呼ぶなヨ、と感じる人は同じ穴の狢だが、それを説明するのは時間の無駄。
  [巻二十七#40]託人被取玉乞返報恩語
 物の怪にとり憑かれて病気にかかった人がいた。
 そこで、巫女を呼ぶと憑いてきた。
  「私は狐です。
   祟りたいのではありません。
   食い物をあさりに来て
   覗いていたら閉じ込められただけ。」と言う。
 そして、懐から蜜柑ほどの大きさの玉を取り出しお手玉。
 周りの人達は、巫女が持って来た玉で、どうせ演技だろう、と。
 若い男、その投げ上げた玉をサッと横取り。
  「酷い。返して。」と頼むが、男は聞気入れない。
 そこで、
  「あなたには、その玉は何の役にも立たないでしょう。
   でも、私の方は、えらいことに。
   返してくれないなら、これから先、あなたを敵とみなします。
   しかし、返してくれるなら、
   あなたを神として、身に添って、守護してあげましょう。」と。
 男は、それは悪くない話と思い、
  狐を縛った護法の鬼神を証人として誓わせ、玉を巫女に返した。
 狐は喜び、そして、験者により追放された。
 周りの人々は、早速、巫女を取り押さえ玉を取り上げようとしたが
  懐のどこにもなく、狐が持って行ったのだろうということに。
 そんなことがあってから後のこと。
 件の男、遅くなって太秦参詣から帰ることになり、
  内野でとっぷり暮れてしまい、
  応天門にさしかかった。
  恐ろしい場所ということで、先のことを思いだし、
  「狐。狐。」と呼ぶと鳴いて目の前に登場。
  「感心。感心。
   恐ろしい場所なので、我を送ってくれ。」と言う。
  狐、普通とは違う道筋を進み、男は付いていく。
   盗人達に出くわさないように選んだのだった。
   そして狐はなにげなく消え失せてしまう。
   お蔭で無事家に帰着。
  これに以外にも狐は色々と守ってくれたのである。
 男は玉を返してよかったと思うことしきり。

言うまでもなく、ご教訓は単純。
 此様の者は、此く者の恩を知り、虚言を為ぬ也けり。
そして、なによりはっきりしている点がある訳だ。
 人は心有りて、因果を知るべき者にては有れども、
 中々獣よりは者の恩を知らず、実ならぬ心も有る也。


最後は、伝承譚がどうしてこうなるか考えると面白いソとの指摘。
  [巻二十七#41]高陽川変女乗馬尻語
 仁和寺の東を流れる高陽川の川辺に
  暮れ方になると美麗な女童が現れるという。
 京方面に行く人に
  「尻馬に乗せて」と言うのである。
 乗せてから4〜5町行くと馬から転げ落ち、
  狐の姿を表して鳴きながら逃げて行く。
 瀧口の者達が集まりそんな話をしていた。
 一人の威勢が良い若者が、
  「何故捕まえないのだ!
   それなら、俺が捕まえる!
   明晩すぐにでも!」と。
 他の瀧口は無理と言うので、口論に。
 そこで若者は、一人で賢い馬を選んで高陽川に向かった。
 川を渡ったても、女童出現せず。
 戻ってくると、女童が立っていた。
 通り過ぎようとすると、目の前を行き過ぎようとすると
  「尻馬に乗せて」と呼びかける。
 乗せてやり、準備していた縄で鞍に縛り付けたのである。
  「どうしてこのようなことを?」と聞かれるので、
  「お前を抱きたいので、逃げられないようにナ。」と。
 一条から東へ、さらい西の大宮を過ぎると、
  東から、灯火の車列が、人ばらいしながら向かってきた。
  そこで、二条へ迂回し、土御門の方へ。
 そこで馬から降り
  「皆、居るか?」と。
 返事があり、仲間が揃ったところで女童を引っ張り出した。
  「捕まえたぞ。」と言って。
 女童、泣きながら「お許しを。」と。
  しかし、手を放した瞬間、
  狐と化して、鳴きながら逃げ去ってしまった。
 すると、その場から仲間も消えてしまい
  居るところは鳥辺野のただ中だったのである。
  若造は、その後、3日、気分が悪いまま。
 そして、仲間のところに出かけ
  「あの晩は体調を崩してしまったから
   今夜行く。」と。
 そして、同じようにすると、
  あの女童がおり、
  今度は、土御門まで引っ張っていくことができた。
  「捕まえたぞ。」と皆の前に。
  そこでいたぶると、狐の姿を現してしまった。
  松明の火で毛を焼き、
  「こんなことをするでない。」と言って放免。
  狐はどうやらこうやら逃げて行ったのである。
 若造は、前回騙されたことを皆に話すのであった。
 それから10日余り後、
 又、馬に乗って高陽川に向かったところ、
  あの童が病後のような状態で立っていた。
  そこで、
  「乗りなさい。」と。
  「乗りたい。でも焼かれるのは。」と返事して
  去って行ったのである。

言うまでもないが、
 狐は人の形と変ずる事は、昔より常の事也。
しかし、この狐譚はどこかおかしいとの判定。
初回の状況では相当なことをしているからだ。
 此れは掲焉く謀て、鳥部野までも将行たる也。
ところが、次回ではそれを踏襲しない。
 然るにては、何と後の度は、車も無く道も違へざりけるにか。
されば、どういうことか。
 「人の心に依て、翔(ふるまふ)なめり」
お狐様の化かしとは、人の心のなかの問題と看破しているのである。
流石。

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