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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.10] ■■■
[102] 猿譚
🐒 猿譚のハイライトは猿神退治[→]ではなく、猿の供養伝説。
 畜生也と云へども、
 深き心を発せるに依て、
 宿願を遂る事此如し。

とのご教訓。"猿すごいぜ"なのが、最後まで目をお通し頂けばわかるかも。
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#_6]越後国乙寺僧為写法花語
 越後三島の乙寺の若い僧の話。
 昼も夜も法華経読んでいた。
 続けているうち、裏山から2匹の猿がやって来るように。
 お堂の前の木に登り、僧の唱える法華経を聴いていた。
 しばらくした後、
 仲間の手伝いで、沢山の木の皮を運んで来た。
 頼みに来たと察し、
  紙を漉いて、法華経写経開始。
 2匹の猿は喜び
  毎日、自然薯を掘り持参。
  さらに、栗や柿までも。
 僧は、「不思議。」と思っていたものの
  写経を続けていた。
 第五巻に到達した時のこと。
 その猿が来なくなったのである。
 心配し、裏山を見回ると、
  林の中で自然薯を沢山掘っており、
  その穴に頭を突っ込み死んでいたのである。
 僧落涙。
 法華経を読経して猿を弔った
  そこで、写経は中断となった。
 それから40余年後、934年のこと。
 都から藤原子高が越後守に一族ともども赴任。
 国府到着後、役人を従え、三島に入り、先ず寺に。
 数人の僧がおり、若かった僧も80才を越していた。
 守が尋ねるに、
 「書き終わっていない法華経はおありでしょうか ?」と。
 その老僧、、
 「若かりし頃、2匹の猿に頼まれ途中まで写した法華経がございます。」 と。
 そして、件の話をしたのである。
 守、大喜び。
 「私達は、その経文を書き終えるため来たのです。
  その2匹の猿とは、今のこの私達。
  あなたが唱えられた法華経を聞いて、
   自然薯を供えて写経を頼んだのです。
  その功徳で、都の貴族の家に人間に転生したしました。
  成人し二人は結婚。
  こうして、守に任官された訳です。
  速やかに写経を仕上げ、
   私達の願いを完遂させて下さい。」と。
 老僧落涙。
 大喜びで、しまっておいた紙を取り出し、写経再開し。
 ついには完成の運びとなり、
  老僧は浄土に往生。
  国守夫妻は仏法に従い善政。


この乙寺だが、所在地は三島ではないが、736年創建時の名称が乙寺である乙寶寺@胎内 乙のこととされているようだ。別称は猿供養寺ということもあるのだろうが、もとからその名前の猿供養寺@上越 板倉が別途存在しており、後付的なイメージは否めない。こちらは明らかに乙寺ではないものの、寺伝的にはピタリである。尚、残存地名で見ると、三島 出雲崎 乙茂が該当しそうだが、それらしき社は宇奈具志神社だけのようで、乙との名称がついていた可能性は薄い。

マ、供養するのは、猿だけではないが、写経を頼むというレベルは智のレベルが抜群に高いことを示していよう。
仙人(僧)に供養する動物としては、鹿、熊、猿、鳥とされており、仙人は一匹の猿に命じて来訪した僧にも木の実を持ってこさせたりしている位だ。
  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#_2]籠葛川僧値比良山持経仙語   [→仙境]

供養という点では、ジャータカの兎・狐・猿の"三獸堵波"譚が圧巻だが、猿は欠かせない存在だろう。
【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#13]三獣行菩薩道兎焼身語語  [→月中之兔]

ジャータカ系は獣をママ登場させるからインパウトが大きい。負ぶって活動できないほど成長した子供をかかえた猿の両親が、餌獲りにでかけるので、獅子に子供を預けるという話さえある。
  [巻五#14]師子哀猿子割肉与鷲語  [→子攫い鷲]
獅子はつい居眠りし、狙っていた鷲に猿の子供を攫われてしまう。返して欲しいを頼めども食べなけれ生きていけないと言われ、仕方なく自分の肉を提供して返してもらうことになる。猿の両親大感激の図。

マ、こうした獣を人と同一地平で考えるのは、一種の理想論であり、現実には猿とのコミュニケーションはほとんどできないのである。互いに相手の行動を勝手に意味付けしてしまう訳で。
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#35]鎮西打殺鷲為報恩与女語)
 筑紫の賤き男の妻の話。
 海辺近隣に住んでいたので、女は何時も浜にでていた。
 ある日のこと。
 隣の女と一緒に、子供2人と磯で貝拾い。
  2才余りの子を背負ったり、
  幼い子に遊ばせたりしていた。
 そこは山が迫っている地で猿もいた。
  魚を捕ろうと獲ろうとしてるのだろうと
  女2人が近寄ってみたが、逃げない。
  怯えている風で、屈んでいる。
  事情を探っていたが判明。
 猿は手を大物の溝貝の口に挟まれていたのである。
  手は引き出せないし、潮は満ちてくるし、危機。
  そのうち、周りには他の女も集まってきた。
  手を叩き笑ったり。
 「この猿を打ち殺そう!」と石を持ってくる女も。
  ゆゆしき態とその石を取り上げるも
 「ついでだ。此奴を打殺し家に持って行き焼いて食おうと思う。」とまで。
 しかし、懇願し、助けることに。
  貝を殺さぬように注意深く
  木の枝で口を抉じ開け
  猿の手を抜いてやったのである。
 猿、走り去り、女に向かって嬉し気な顔をみせた。
 女、云う。
 「打ち殺されるところ、
  救けてもらったのだ。
  獣とはいえ、そこを思い知るように。」と。
 ところが、この猿、
  女の子供の居る石の方へ走り
  子供を抱えて山へ逃げて行ったのである。
  残った子供が怯えて鳴き騒ぐので
  母親もすぐに状況がわかり、猿を追う。
 打ち殺そうとした女は
 「ほれ見い。
  毛者が、恩を知るわけがない。
  殺していれば貝と肉が得られ、
  あんたの子供も取られなかったのに。」と。
 しかし、その猿、逃げるといっても
  間合いをとって山へと入っていく。
  一町ほど奥に入ってしまい女は走れなくなり。
 「心疎の猿だ。
  命を救った私の可愛い子を取っていくとは。
  子供を食うのだけは止め、私に返しておくれ。」と。
 猿は大きな木の上に登った。
 そこで、一人の女は、
 「家に返って、御主人に伝えて来る。」と走り返る。
 母は見上げて泣くだけだったが、
  猿はと言えば、
  大きな木の枝を引っ張って撓ませ
  子を脇に挟んで動かして大泣きさせる。
  泣き止まないようにしている。
 すると、そこに一羽の大鷲。
  子供目がけてに襲い掛かってきた。
  すると、猿が枝を突然放したので
  鷲は額を直撃され落下。
 女、唖然。
  猿は又同じことを繰り返す。
 ようやく、猿の心根が恩返しとわかったのである。
 「猿よ、
  その志の程はわかった。
  それでよいのだから、
  私の子を返しておくれ。」と声をかける。
 すると、猿は降りてきて子供を木の根元に置いて
  又、木の上へと戻ったのである。
 女は泣きながら喜び、授乳。
 そこへ、子の父親が喘ぎながら走って来て到着。
  猿は消え去って行く。
  妻から経緯を聞き奇異な事と思ったのである。
 夫は、墜ちた5羽の鷲から採った尾羽を売ることができた。

ご教訓は、
 獣なれども、恩を知る事は此なむ有ける。
 心有らむ人は、必ず恩をば知るべき也。
 「但し、猿の術こそ糸賢けれ」


この譚は、写経依頼猿譚とのペア話ではなかろうか。場所は隔たりがありすぎるものの、同根ではないかという気がする。つまり、こちらもジャータカ風に、この猿とは、かの寺僧の前世との一行が加わっていておかしくないということ。ただ、内容は上記のママではないと見ての話だが。
もう一歩踏み込めば、法華経の主旨に合わせた数だけ猿譚があったということになろう。

要するに、上記の譚は大幅に手を入れられている可能性が高いと見た訳。
モトがどうなっていたかはほぼ自明。鍵は最期の部分。
 夫は、
 子供を奪った、恩を仇で返す、猿に激怒。
 少しでも早く子供のもとへと、息を切らし、
 到着した瞬間、
 樹上に居る猿目がけ、
 走っている最中にずっと強く握りしめていたた石を
 力を振り絞って投げつけた。
 石は命中。
 猿は即死。
 鷲の死骸の上に落ちたのである。
 その後、
 妻から、猿としての善行を聞かされたのである。

寺伝だと、この後に数行続くことになる。地域の人々による法会が行われ、その地には供養のための寺が創建される訳だ。

従って、ココはモトのママにしておくべきだった。小生の勝手な考えだが。
安直な仏教説話を嫌って、敢えて手を入れた話を持って来たのだろうが、逆効果では。

何故に、そこまで猿を大切にしているのかは、それを語る譚が別途用意されているからわかるようになっている。
  【震旦部】巻七震旦 付仏法(大般若経・法華経の功徳/霊験譚)
  [巻七#24]恵明七巻分八座講法花経語
 震旦の恵明は明了な僧で、
 悟ってから、いつも法花経を説いていた。
 深山の石室に入った時があったが、
  やはり経典を講じていた。
  沢山の猴が法を聞きに来ていた。
 三ヶ月経ち
  石窟上に光明。
  光のなかから音声。
  恵明に語る。
 「我は、
  師の法華経講参加の猴の中に居た、
  盲目の老猴。
  師の講を聞いていた功徳で、
  命が終わると利天に転生。
  もともとは、この石室の東南70歩余りの所にいた。
  師の恩を報するということで
  再び、法華経の講を聞かせて頂きたい。」と。
 恵明、法華経のどこをお望みか尋ねる。
 すると天から声。
 「我は、
  疾く天に返ろうと思っている。
  そこで、
  師には、
  一部を八分にして講じてもらいたい。」と。
 恵明尋ねる。
 「持っている教本は7巻。
  7座ならわかるが、
  何故に、8座で講ずるのか?」と。
 天から答。
 「法華経は8ヶ年の所説。
  しかし、8年は長い。
  従って、8座で8年とする訳だ。」と。
 そこで、7巻を8座で講じたのである。
 (八講は朝夕2座講讃し4日で完了。)
 天からは、8枚の真珠の施しがあり
偈が下された。
 (記載は最初の8句のみで、その後は"云々"で省略。)
  釋迦如來避世遠,流轉妙法値遇難,
  雖値解義亦為難,雖解講演衆為難。
  若聞是法一句偈,乃至須臾聞不謗,
  三世罪障皆消滅,自然成佛道無疑。
  吾今聞聽舍畜身,生在欲界第二天,
  威光勝於舊生天,勝利難思不可説。
  説斯偈已,還上本天,
  明具記事,雕石而收,今見在矣。
 さらに言う。
 「若し、此の法を、
  一句も、須臾の間、聞く事有らむ者は、
  三世の罪を皆滅して、
  自然に仏道を成ぜむ事、疑ひ無し。」
 と言うことで、畜生の身から利天に転生したと語る。
 恵明は、これを石に彫刻し納めたという。

僧詳[撰]:「法華伝記」三"唐釈慧明伝"に、慧明が天のため八座開講とある。法華経の講讃会は、猿(猴)達のお蔭で始まったというのが、この譚の言うところ。

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