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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.1] ■■■
[245] 対外道六師婆羅門
「今昔物語集」冒頭の一巻は《緒》[#1〜8][→仏伝]に続いて、《外道》[#9〜16]。そのなかの、提婆達多を眺めたので、それ以外で触れていなかった箇所を取り上げておこう。長くなるが重要な箇所なので、筋を追っておこう

言うまでもないが、インド亜大陸の古くからの伝統のベーダ経典信仰勢力こと、婆羅門宗派と、反婆羅門反仏教の自由思想勢力が外道教団となる。
  【天竺部】巻一天竺(釈迦降誕〜出家)
  [巻一#_9] 舎利弗与外道術競【婆羅門】[→仏伝]
  [巻一#10] 提婆達多奉諍仏【提婆達多】[→逆罪者提婆達多]
  [巻一#11] 仏入婆羅門城乞食給【婆羅門】
  [巻一#12] 仏勝蜜外道家行給【六師 勝蜜】
  [巻一#13] 満財長者家仏行給【婆羅門 満財長者】<
  [巻一#14] 仏入婆羅門城教化給【婆羅門】
  [巻一#15] 提何長者子自然太子【六師 提何長者】
  [巻一#16] 鴦掘摩羅切仏指【婆羅門 鴦掘摩羅】[→指鬘]

提何長者の話だけに、六師外道が登場するが、婆羅門と記載ない場合も、六師外道だろう。王権が強くなり、婆羅門階層の威信が失われると由思想家が現れ、一様ではないものの反婆羅門階層なので、一括してそう呼ばれている。その信仰者は沙門と称していた。
そのなかには、現代にまで続くジャイナ教も含まれるが、道徳否定論者、善悪果報否定論、唯物論者、懐疑論者、のような仏教と真っ向から対立する思想がかなり力を持っていたようである。

この箇所は、「今昔物語集」編纂者が、仏教がどのように主流になったかを描いていることになる。外道との思想的違いを知っていたに違いないが、それを示唆するような筋にはなっていない。

釈迦族の王子という点で、婆羅門には一目置かれていたようだが、婆羅門の地位を危うくするということで排斥に直面していたようだが、逆に、貧者の帰依を集め、仏教普及が進んだということなのだろう。
【婆羅門】
 仏[=釈尊]は、乞食をしようと、婆羅門の都城に入った。
 都城の外道達は、心を合わせ、
 「狗曇比丘
[=釈尊]とい う者が家々を廻って乞食している。
  悪しいことで、実に面白くない。
  しかしながら、止事無き生まれである。
  浄飯王の子であり、本来なら、王位を継ぐべき御仁。
  物狂いで山に入り、成道し仏陀になったと言っている。
  人々の心を欺き、お蔭で騙されている者も多い。
  こんな御仁に供養してはならぬ。」
 と言い回したのである。
 そして、
 「もし、この起請を破って供養した者は国外追放だ。」
 と告知。
 そんなことで、
 家々は門を閉めて入れないようにし、応答もせずの状況。
 仏はしばらく門前で立ち尽くしていた。
 なかには、追い立てる家まであったほど。
 日が高く昇る頃になっても、
 供養を受けることができなかったのである。
 その、空鉢を抱えて疲れはてた様子で返るのを
 とある家の女が見ていた。
 何日か経って腐った米のとぎ汁を棄てるため、
 外に出てきていた時のこと。
 仏が去っていくのを悲しく思って
 何か供養したかったが、生憎と貧しいのでできないし、
 どうしたらよいかと涙を浮かべいた。
 それを見た仏から
 「何を嘆いておるのか?」と訊かれ、ありのまま答えたのである。
 そこで、仏は
 「汝が持っている桶には、何が入っている?」と訊く。
 「腐った米のとぎ汁で、捨てに行くところです。」との返答が対し、
 「それを供養すればよい。
  米の薫りが立っていてよい物なのだから。」と言う。
 そこで、女は
 「これはとてつもなく異様な物ですが、
  仰せの通りに。」と言いながら、
 汁を鉢に入れた。
 仏はこれを受けて、鉢を奉り、呪願して言った。
 「汝は、この功徳によって、
 天上に生まれれば利天の王になるし
 人界に生まれれば国王となる。
 これは限りない供養である。」と。
 その時、高楼に居た外道がこうした様子をすべて眺めていた。
 そこで仏に言ったのである。
 「仏は、何故に虚言で人を欺こうとなさるのだ?
  よき物で無いにもかかわらず
  廃棄しに行って、カスのような物の汁を供養に乞い、
  "天に生まれ国王になる。"と宣う。
  まさに、虚言も極みではないか。」
 仏はそれに答え、
 「汝は高高堅樹の実を見たことがあるか?」
   外道は「見たことがある。」と。
 「それは、どの位の大きさか?」
   外道は「芥子粒よりも小さい。」と。
 「高堅樹の木はどの位だ?」
   外道は「枝の下に500台の車を隠しでも影が余るほど。」と。
 「汝、その譬えをもって知るべきである。
  芥子よりも小さな種から生まれた木が、
  500台の車を隠しても影が余るほど大きくなるのだ。
  仏に少し供養するだけでも、その功徳は無量なのである。
  現世でも、そうなのだから
  いわんや、来世のことと言うべき。」
 外道はこれを聞き、「貴い」と感じたのである。
 そして、礼拝すると、頭髪が落ちて羅漢に成ったのである。
 女も、来世のことを聞いて、礼拝して去っていた。


ベーダ経典を金科玉条とする勢力にかわって信仰宗教が沢山うまれ、その一つが仏教だった訳で、その勢力争いは暗殺を含む熾烈なものだったようだ。 どうしてそうなるかと言えば、ベーダ教とは祭祀階級の婆羅門の支配を前提としているからで、他の宗教勢力が優位に立てば社会秩序が崩れてしまうから、必死になる訳だ。
仏教は、菩薩の姿が王族そのものであり、その力を得て勢力を伸ばしたと言うこともできよう。しかし、各王族から見れば選択肢は他にもあった訳であるが、王権を支える経済力の主が仏教に帰依し始めたことで、流れが決まったと見ることもできよう。
⑫【六師 勝蜜】
 勝蜜と云う外道は
 「どうにかして、仏を殺害してしまおう。」と考え、謀略を思案。
 「仏を招請するのがよかろう。」ということに。
 「軽々しく来たなら、普通の人と同じ様なものとなるし、
  来なけらば、賢いことがわかる。」
 と言いつつ、使いを送り、招請したところ、
 それを受けるとの返事。
 勝蜜を始め、皆で、「静かに進めよ!静かに進めよ!」と
 謀事を進め、門内に広くて深い穴を掘り、
 底には、大きく火を入れ、釼を隙間無く立てた。
 その上に薄い板を敷き砂を置き
 準備を整えた上で、仏の来訪を待っていた。
 外道には子供が一人いて、父に言うに
 「父上に逆らうことになりますが、
 この謀略は極めて浅はかなものです。
 仏がこんな謀略にはかられることはありません。
 仏の末席の御弟子でさえ、人の謀略にかからないというのに。
 それに、仏の智恵は無量なのです。
 こんな馬鹿げたことは、すみやかに止めるべきです。」と。
 父たる、勝密は、
 「仏が賢いなら、謀略があると知れば、ことわるだろう。
 しかし訪問するのだから、謀略があると思っていないのだ。
 色々考えるな。只、そこに居ればよい。」と言うので
 子はさらに言うことを止めてしまった。
 さて、仏来訪の準備が整い、必ずや殺害しようとの謀略のもと、
 皆、待っていたところ、
 仏が、光を放ち、しずしずと歩いて来たのである。
 御弟子の声聞・大衆等は、仏の後に立ち、随伴して来た。
 仏は門前で
 「汝等、絶対に我が前に立ってはならぬぞ。
  ただ、我が後ろに続いて歩き門から入ること。
  また、物を食べる時にも、我が食した後で食べるように。
  我が食べる前に、箸を下してはならぬぞ。」
 と戒めた上で、門から入った。
 外道達は家の人々をことごとく引き連れ、門の側に居並んでいた。
 「今や、穴に落ち込み、火に焼かれ、針に貫かれることになる。」と、
 喜んで見守っていたのであるが、
 穴の中から大きな蓮花が咲き乱れ、
 仏はその上を静かに歩んで入ったのである。
 後ろに続いていた御弟子達も次々と歩んで入ってしまった。
 外道達は稀有なことと思い、意気消沈。
 仏が端坐したので、飲食供養に。
 「されど、毒を食べたなら、もう生きていられまい。」と考え、
 様々の毒を調して供養。
 しかしながら、その毒はすべて甘露の薬となり、
 すべて食べることができた。
 御弟子達も皆食べたが、毒にはならなかったのである。
 外道はこれを見て、慈悲の心が生まれ、
 愚かな謀事をしていたと白状。
 それを聞いた仏は、慈悲を垂れ、説法。
 それを聞いて阿羅漢となった。


次の譚は、"満財長者 v.s. 須達長者"。前者は婆羅門勢力のパトロンで後者は仏教。舎衛城 波斯匿王の大臣であり祇園精舎を寄進したことで知られる。
【婆羅門 満財長者】
 満財長者には息子がいた。
 一方、須達長者には娘。
 満財が須達の家に行った。
 そこには、端厳美麗、光を放つ如き美しい女性。
 満財:「私の一人息子に、あなたの娘を会わせて欲しい。」
 須達:「会わせることはできない。」
 満財:「どうして?」
 須達:「私は娘を仏に捧げた。
     娘の将来は私が知るところではない。
     しかも、あなたの息子は外道信仰。
     妻は夫に従うことになると、結婚すれば外道に入ってしまう。
     と言うことで、娘を敢えて会わせることはできません。」
 満財:「会わせろ!」
 須達:「仏に申し上げてから。」
 となり、須達長者は仏の御許に参り、申し上げると、
 仏:「それは吉き事。
    すみやかに、会わせてあげなさい。
    我も、満財の家に行き、彼を教化しますから。」
 そして、
 満財:「須達よ。
     もしあなたの娘と私の息子が結ばれたなら、
     十六里の道に黄金を敷きつめ、
     七宝で道を飾って迎えよう。」
 と言うことで、言った通りに。
 その時、仏は阿難に言った。
 「汝、満財の家に行き、様子を見て、善道に向かわせるように。
  もし駄目なら、打ち追い払おうとするだろう。
  そうなったら、神通力で帰って来るように。」と。
 阿難が訪問すると、家人は驚き
 「かつてなき悪人到来。
  もしかすると、これが狗曇沙門
[=釈尊]か?」
 と言い、打ち、追い払いにかかった。
 満財は懇ろに制止。
 満財の息子は妻に「この人はお前の師か?」と尋ねた。
 妻は「違います。我が師の御弟子 阿難様でございます。」と答えた。
 そこで夫は
  「この僧は、お前に思いを懸けているのだろう。
   打ち追い払いなさい。」と。
 妻は、
  「なんとも、あなたはとんでもなく愚かですね。
   この人は三界の惑を断じ、永久に愛欲心から離れた人です。
   返る様を見てみなさい。」と。
 阿難は虚空に昇って光を放ち、神通を現して、去った。
 満財の息子は、これを見て、稀有なことと思った。
 仏は二日後、舎利弗を派遣。同じように、去ったのである。
 さらに続いて、富楼那、須菩提、迦葉、等の弟子が派遣された。
 皆、光を放ち、神通を現わしたので。
 満財とその息子は
 「仏の弟子は神通は稀有であり、
  我が、外道の術に優っている。
  こうなると、師の有様はどんなものか、見てみたい。」
 と考えるように。
 その時、仏が眉間の白毫相の光を放って、
 満財の家を照らしたのである。
 東西南北・四維・上下が六種に震動。
 天より曼荼羅花・摩訶曼荼羅花等の四種の花が
 雨のように降って来た。
 栴檀・沈水の芳香が法界い充満。
 まさに希有の様相
 すると、三摩耶外道が出てきて、満財に言う。
 外道:「汝が家に悪人が来た。
     汝も、家の内の千万の人も、殺害しようとしているのだ。
     それを知らないのか。」と。
 満財:「知りませんでした。」
 外道:「大地は震動し、東西南北が崩れている。
     天より悪事の物が降り、様々な悪相が現われている。
     今迄知られていなかった稀有の事だぞ。」
 満財:「何故に狗曇沙門は我を殺すのでしょうか?」
 外道:「汝の息子の妻は、既に狗曇沙門の妻だからだ。
     妻を取られ、吉とする者がいる訳がなかろう。」
 満財:「さすれば、どうしたものでしょうか?」
 外道:「すみやかに女を追い出せ。」
 満財は息子にその旨を言った。
 満財:「汝が妻、追出せ。
     命があれば、さらに勝れた妻を嫁がせるから。」
 息子:「お言葉ですが、父母が子供より先に死すのは世の道理。
     我が父も我が母上も年老いております。
     今年あるいは来年にお亡くなりになるかも知れません。
     それに、片時も、我が妻を見ずにはいられません。
     たとえ命を失っても、
     互いに手を取り、共に死のうと思っています。」
 と言うことで追い出さなかったのである。
 外道:「今すぐに、軍がやって来る。
     そうなると、汝も長者も手にかかることになろう。
     無益だから、自害せよ。」
 満財:「我が手元には五百本の釼がある。
     そのうちの一番の剣を取って来い。」
 すぐに釼が来た。
 満財:「私には自害する心根ができていない。
     我が手元には三百の𨥨がある。
     取ってきて、
     釼で頭を取り、𨥨で腹を刺せ。」
  歌人の眷属が、釼で殺害しようとしたところ
  突然、釼の先から蓮花が開いたのである。
  𨥨の先にも。
 その時、仏は王舎城耆闍崛山を出立。
  その儀式・作法は魏々としており、とても想像できぬ程。
  普賢大士は六牙白象王に乗り、仏の左方に立っており、
  文殊大士は威猛師子王に乗り、仏の右方に立っている。
  無量無数の菩薩・声聞・大衆が、前後を囲んで進む。
  さらに、梵王・帝釈・四大天王が、その左右に列している。
  各々が従者を引き連れており、
  その数など全くわかりかねる状態。
 仏が満財の家に到着すると、
 その家の百千万の人民は、ことごとく仏を見奉り、歓喜。


婆羅門による、仏教の特徴を述べる冒頭の下りが実に面白い。
「今昔物語集」の編纂者も、これは是非にも収載せねばと考えたのではなかろうか。これこそ、まさに、天竺のおおかたの生活者の実感と見て。
【婆羅門】
 婆羅門城には仏法は未伝。皆外道に追随し、その典籍を学習。
 そこで、仏は教化のために入城。
 三摩耶外道は、そこで人々に教える。
 「汝の城に狗曇沙門が来る。極悪人だ。
  物持の人には、"この世は無益。功徳を造れ。"と言い、
  財産を失わせ、貧窮にしてしまう。
  相思相愛の夫妻には、"世は無常。仏法修行せよ。"と教え、
  互いに去らせてしまう。
  年盛の美麗な女性を見れば、"世は味気ない物。尼に成れ。"と誘い、
  頭を剃らせてしまう。
  このようなことを教え、
  人を計り欺き、損をさせて、
  人の仲を裂くようなことをし
  人の見栄えを衰えさせるような悪人なのである。」
 そこで、城の人が言う。
 「それでは、その沙門が来ないようにするには、
  どうしたらよいのか?」
 外道は答えた。
 「狗曇沙門は、
  ただただ清い河の流れ、
  澄んだ池のほとり、
  吉い木の影などに居る。
  そこで、河には尿糞の穢を入れ、
  木をすべて伐採し、各家の戸を閉じよ。
  しかるに、まだ入って来るなら、弓矢で射殺せ。」
 城の人は外道の教えに従い、
 河を失い、木を伐り、弓弓箭・刀仗を用意し、待ちかまえていた。
 仏は、大勢の御弟子等を引き連れ、城に到着。
 仏は言うのであった。
 「汝等、我が教えを信じなければ、
  三悪趣に堕ち、無量劫の間、隙間なく苦を受け、
  そこから出ることができなくなる。
  哀れにして、悲しいことだ。」
 言っているうちに、
 池河は清浄となり、蓮花が咲き乱れ。
 樹木も繁茂し、金・銀・瑠璃の地になった。
 人々が持っていた弓箭・刀仗は、ことごとく蓮花となり、
 仏を供養したのである。
 その時、城の人々は、皆、五体投地し、
 「南無皈命頂礼釈迦牟尼如来」と申し上げ、
 額をつくり、咎を懺悔。
 この善によって、城の人々は皆無生法忍を得たのである。


長くなるが、インド亜大の風土がよくわかる話に仕上げているので、細かなところも見ておきたい。
現代まで、綿々と続くが、男系なので出生は男でないとこまるのである。カルマに矢鱈に拘るのも、そこらが大いに関係していそうだ。
そして、宗派間の抗争は、およそ思想などとは無縁なものであることも指摘されている。信仰も、基本は奇譚的ご利益願望が根底にあり、それは聖人崇拝以上ではないし、道徳観とも無縁なことがわかる。祈願をかなえる力と、予見能力が"ありそうか"否かで、"勝負"がつくのである。
尚、「今昔物語集」編纂者は、この譚での外道は、ベーダ教の婆羅門ではないことをことわっており、宗教者による殺人が絡むので描き方は結構慎重である。
【六師 提何長者】
 高齢の提何長者には子供がなかった。
 妻に語るには、
 「天上・人間界では子がある人を富める人とみなす。
  子が無い人は痛ましいとされる。
  我は老いたが、子が無い。
  そうなれば、樹神祈願すべきだろう。」
 妻懐妊。長者はお限り無く喜んだ。
 その時、舎利弗が来訪。
 長者:「妻が孕んでいるのは、男か女か?」
 舎利弗:「男です。」
 これを聞いて、長者はさらに喜び、
 吟詠・伎楽・遊戯を愉しんだ。
 さらに、六師外道も来訪。
 外道:「何故に宴を開いているのか?
     めったに行わないのに。」
 長者:「舎利弗が来て、
     妻が孕んでいるのは、男だと言って帰ったのです。
     それが聞いて、心から喜ばしく思い、
     遊戯で楽しんでいる訳です。」
 舎利弗の見相を嫌悪しているので、すぐに、
 外道:「あなたの子は女です。」と。
 その後、舎利弗が再度訪問。
 長者は外道にが女と言ったと語ったことを話した。
 そして、両者とも全く譲らないので
 長者は仏の御許に参上し尋ねた。
 仏:「男子である。
    この子は親を教化することになるので、
    仏道に入ることになるだろう。」
 外道はさらに嫉妬の心が起こってしまった。
 外道:「走る馬に鞭を加えるようなもの。
     仏がなんと言おうと、見立ては変わらない。
     我は、年来、汝の師だった。
     そこで、たとえ女が生まれても、
     秘術で男に変えよう。」
 長者はこれを聞いて、とても喜びました。
 外道は返えると相議。
 外道:「実は、子は男。
     仏の勝利であり、
     このまま安閑などご免だ。
     しかしそれでは私の気がおさまらない。
     即刻、殺してしまい、子が生まれないようにすべきだ。」
 そこで、必ず死ぬ毒薬を作り、長者の許へ。
 外道:「この薬を一日一丸服用させること。
     これは女を男とする薬である。」
 その大きさは柚の如きで、赤色。三丸、
 妻は、服用後3日にして、物も言わず死亡。
 長者はひどく嘆き悲しみ
 舎利弗と共に仏の御許に詣でて伝えたのである。
 仏:「汝は母と子のどちらを得たいのか?」
 長者:「ただただ、男子を得たいだけでございます。
     それに偽りはございません。」
 仏:「汝の子は失われてはいない。」
 葬送の日になった。
 外道達も参列。
 そこに、仏もいらっしゃった。
 そうすると、遺体を焼いている炎の中に、
 13才くらいの童が現れた。
 限り無く端正な姿だった。
 仏は、毘沙門にその子を抱かせ、御膝の上に。
 そして、母無しで生まれたので、自然太子と名付けた。
 外道は敗北し返っていった。


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