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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.16] ■■■
[260] 紅梅情緒
紅梅フェチ少女譚に、蛇が登場するが、蛇譚の一種と考えるべきではない。

経典の竜女成仏の下りを当てはめただけだし、ストーリー上も、身を切断されてもしぶとく生き続ける"執着心の凄さ"を示す生き物として起用されていると見ることができるからだ。
蛇自体にさほど意味がある訳ではないと考えてのこと。

この話、読み様によっては、芸術的感興の意義を否定しているようにも思えるので、どのような意図で収載したのか気になるところ。
  【本朝仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#43]女子死受蛇身聞説法花得脱語
 西京の、人品賤しからぬ家の10代の娘だが、
 形貌端正、心性柔和の上、
 書の手も優れ、歌詠みも比類なく、
 管弦にも熱心で弾箏は一級。
 住んでいる家は広く、
 皮檜葺きの家屋も数多く
 情緒ある鑓水も設けられ
 春秋の花葉の景色は奥ゆかしい。
 両親は大変可愛がっていた。
 その女子だが、
  花に目出、葉を興ずるより他の事無し。
  其の中にも、何に思えけるにか有けむ、
  桜の花の霞の間より綻びて見え、
  青柳の糸の風に乱れたるも弊からず、
  秋の葉の錦の裁ち重たる様も見所有り。
  小萩が原の露に霑ち、
  籬の菊の色々に移たるも、皆様々に可咲きを、
  只、
紅梅に心を染て此れを翫びけり。
ということで、この少女、紅梅に心を奪われてしまったのである。
その入れ込み様は特筆モノ。
愛で方が半端ではなかったのだ。
 東の台の前へ近く紅梅を殖ゑて、
 花の時には早旦に𥴩子を上げて、只独り此れを見つつ、
 他の心無く此れを愛しけり。
 夜に至るまで、媚き匂を目出でて、内に入る事もせず、
 木の辺には草も生やさず、
 鳥をも居ゑずして、
 花散る時に成ぬれば、木の下に落たる花を拾ひ集て、
 塗たる物の蓋に入て、程ど過るまで匂を愛す。
 風吹く日は、木の下に畳を敷て、
 花を外に散らさずして、取り集めて置く。
 切なる思ひには、
 花枯れぬれば、取集て薫に交ぜて、匂を取れり。
 中にも小き木を殖て、此れが花栄たるを見て、他の事無く興じけり。

ところが、この娘、病を煩ってしまい、死んでしまった。墓は作っていなかったが、葬送の儀を行い皆別れを告げた。
両親は惜しくて、泣き悲しんでいたが、特に、紅梅の木の下を見るとその思いがつのった。
そうこうするうち、1尺ほどの小蛇がその木の下に出て来て、さっぱりそこから去ろうとしない。咲いて散る頃になると、花を喰い集めて一ヶ所に集めたりする。
これは転生した姿に違いないということで、清範、厳久、等の止事無き智者を招請し法華経八講。
蛇はそれを初日から聴講。
五巻目の日は、竜女が成仏する話で、皆、哀れと涙して聞いていたが、その時に、木の下にいた蛇は死んでしまい、さらに涙をさそった。
その後、在りし日の娘が父の夢に出て来た。穢い衣姿だったが、貴い僧が脱がせると金色の肌。袈裟を着せ、紫雲に乗せ、連れて行ったのである。

紅梅そのものに反仏道的香りが漂う訳ではなく、執着が仏道と対立的な存在ということか。
  【本朝仏法部】巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚)
  [巻十五#42]義孝少将往生語 [→世尊寺の月]
 世尊寺の東の門より入て、
 東の台の前に
紅梅の木の有る下に立て、
 西に向て、
 「南無西方極楽阿弥陀仏。
  命終決定往生極楽」
 と礼拝してなむ、板敷に上ける。


この紅梅娘譚の前後に収載されている話でも登場人物はフェチ。当然ながら、同じように蛇に転生するので蛇譚的である。考え方のヒントを与えてくれそうだから、見ておこう。

まずは、入れあげたのは梅ではなく、遊びの方の御仁。と言っても、肉食妻帯で寺の重鎮を務める列記とした僧であるが。
  [巻十三#44]定法寺別当聞説法花得益語
 有名な法性寺の南にある定法寺の別当役の僧だが、
 僧形というだけで、
 三宝を敬わず、因果も悟っていない。
 何時も、同好者を集めて碁・双六で遊戯三昧。
 さらに、諸々の遊女・傀儡等の歌女を招いて詠い遊んでいた。
 仏物も取る、菩薩を修することもなく
 肉食と飲酒の日々。
 同じ様な僧はいるもので、
 18日の清水参拝に誘われたので
 心そこにあらずではあったが、同道した。
 その日に、六波羅の寺に講があるので聴講することに。
 遊び人も、この時だけは貴しと思った。
 これが唯一の善根だった。
 そんな風で年月が経ち、やがて病で死んでしまった。
 しばらくして、その別当の妻に悪霊がついたが、
 それは大毒蛇転生させられた死んだ夫だった。
 とてつもない苦を受ける生活だが
 ほんの僅か息抜きがあり、それは六波羅での善行果だと。
 苦から救って欲しいので、
 法華経書写供養を懇願されたのである。
 それを聞き泣き悲しんだ妻子は、言われた通りに供養。
 悪霊は、お蔭で助かったと大喜び。
 この恩は忘れようがないと詫びた。


紅梅を愛でるのと、遊び人では、フェチと言ってもいささか違いすぎるが、木々栽植となると前者と似ている感じがする。
しかも、立派な僧のようだし。
  [巻十三#42]六波羅僧講仙聞説法花得益語
 六波羅蜜寺は京の人々を集めて講を行うお寺だが
 ここに年来住していた僧 講仙は、講のたびに読師を務めていた。
 そんなこともあって、
 比叡山・三井寺・南都の止事無き智者に対して説法、論議も10年以上。
 そして、講仙は年老いて逝去したが、
 人々は、最期まで正念だから
 極楽往生、天上人に転生したと思っていた。

月日も経ち、霊となり、人に憑いて語ったところ、年来法華経説法をし、道心も発揮したが小蛇に転生となったというのである。
 其の故は、
 我れ生たりし時、房の前に橘の木を殖たりしを、
 年来を経るに随て、漸く生長して、
 枝滋り葉栄えて、花咲き菓を結ぶを、
 我れ朝夕に此の木を殖立てて、
 二葉の当初より菓結ぶ時に至るまで、
 常に護り此れを愛しき。

その話聞いた僧たちは、講仙が居た僧坊に行ってみると前に橘の木が植えてあり、3尺ほどの蛇が根に絡みついていた。成程、その通りだということになり、皆、歎き悲み、皆で心を一つにして法華経書写し供養。
もちろん、僧の夢に登場し、極楽往生を報告。

仏道と無関係に、景色に感じ入る体質だと悪趣に堕ちて当然との思想があるようだ。花木を愛する心には、仏道帰依ではなく、自然のなかの精霊信仰があり、それを問題視しているということか。
ただ、正面切って言うことはできなかったようだ。朱鷺色と紅梅の衣に凝る風潮を吉とはしていないのかもしれぬ。
皆で人民服という手の感覚とは違うが。
  【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  [巻十九#33]東三条内神報僧恩語 (後半欠文)
 僧が、神の化身の男に案内され、神木上の宮殿に行く。
 覗き見を禁じられたが、僧は見てしまった。
 東南西に春夏秋の景色があったのである。・・・
  東には正月の朔此にて、
  
梅の花、おもしろく栄、
  鶯、糸花やかに、世の中に今めかしく、
  所々に節供参り、世挙て微妙き事、員知らず。
  辰巳を見れば、様々の狩装束の姿共多くて、
  船岳に子日し、
  男女其れに付たる歌を読通はし、
  直姿供に紫の指貫、
  紅梅の濃き薄き褂など脱垂れて、
  花を尋ね、鞠・小弓など遊つ。
  南を見れば、
  賀茂の祭の物見車返さの紫野の生めかしく、
  神館に郭公の眠た気に鳴き、
  花橘に付る心ばへなども有めり。

東日本に多く分布する、民話の類型とされている、「見るなの座敷」(別称「鶯浄土」)。結末は欠文だが、見るなのタブー破りの一種である。

「今昔物語集」編纂者は、梅は渡来植物であることを知っていた筈で、そこらじゅうに植えられてしまっている訳だが、インターナショナルなセンスで活動とは無縁なのに、梅に靡く世情に軽薄さを感じていた可能性もあるかも。

  【本朝仏法部】巻十六本朝 付仏法(観世音菩薩霊験譚)
  [巻十六#_5]丹波国郡司造観音像語 [→観音ノ寺参詣]
 郎等、京に上て、
 然る気無くて、仏師の家に這入たれば、
 其の家は引入れて造たるに、
 前に
梅木の有るに、
 此の馬を繋て、
 人二人を以て撫させて、草飼はせて、
 仏師は延に見居たり。


  【本朝世俗部】巻二十二本朝(藤原氏列伝)
  [巻二十二#7]高藤内大臣語 [→藤原氏列伝]
 彼の所に、
 日の入る程になむ御し着たりける。
 二月の中の十日の程の事なれば、
 前なる
梅花の、所々散て、
 鶯、木末に哀れに鳴く。
 遣水に散落て流るるを見るに、
 極く哀れ也。


  【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#38]藤原道信朝臣送父読和歌語 [→和歌集]
 此の中将、
 屏風の絵に、
 山野に
の花栄たる所に、
 女の只一人有る屋の糸幽なる所を、
 此なむ読ける。
   みる人も なき山ざとの 花のいろは
    中々かぜぞ おしむべらなる
 と。


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