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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.10] ■■■
[315] 会遇者「出家せむ」
巻一の構成を整理[→釈尊出家・教団創基記]したので、取り上げていない譚に触れておこう。
  【天竺部】巻一天竺(釈迦降誕〜出家)
  -----《22〜28 出家者(会遇者)》-----
  [巻一#22]羅羨王子出家語
  [巻一#23]仙道王詣仏所出家語[→仙道王] [→三帰依]
  [巻一#24]郁伽長者詣仏所出家語[→仏伝] (欠文)
  [巻一#25]和羅多出家成仏弟子語
  [巻一#26]歳至百廿始出家人語
  [巻一#27]翁詣仏所出家語
  [巻一#28]婆羅門依酔不意出家語[→酒飲み婆羅門の出家]

出家修行者を直接指導するのは弟子達で、釈尊は時にアドバイスする体制が敷かれていた様子が見えてくる。


 120才で出家したものの生きるのも辛く身投げ。
 釈尊は、阿難に「速に此れを修行せしめて、悟を得しめよ。」と。
 そこで、阿難は、因果の報いによる死後の苦を見せ、
 どんなものかを教える。

  沙門、此れを聞て、其の所にして、
  諸法の無常を観じて、忽に果を証して、羅漢と成にけり
  ⇒ 「賢愚經」巻四 出家功コ尸利提品(第二十二)
  有一長者,名尸利提(秦言福),其年百,聞出家功コ如是無量,
  便自思惟:「我今何不於佛法中出家修道?」即辭妻子奴婢大小:「我欲出家。」

…100才の長者だ。


ご教訓は、
  出家の功徳、不可思議也
 釈尊と阿難が城中で乞食している時、
 羅羨王子は高楼で沢山の美しい侍女とともに快楽に耽っており、
 歓喜の声をあげていた。
 釈尊:「王子は7日後に死ぬ。
  その前に出家しないと、地獄に堕ちて責め苦を受けることになろう。」
 阿難はこれを聞いて、高楼の王子を教化。
 王子は聞き入れ、6日間快楽の日々を過ごし、
 7日目に出家し、その昼夜一日だけは戒をまもり逝去。
 釈尊:「一日の出家の功徳で、
  四天王天[1]に転生し、沙門天の子となろう。
  多くの天女と五欲の楽を受けることになる。
  五百年で寿命が尽き、
  利天[2]に転生し、帝釈天の子となる。
  千年後に絶命し、夜摩天[3]に転生し、その王の子となる。
  二千年後には、覩史多天[4]に転生し、その王の子に。
  四千年後、化楽天[5]に転生し、その王の子に。
  八千年後には、他化自在天[6]に転生し、その王の子となり、
  一万六千年生きることとなる。
  つまり、六欲天[1〜6]に生まれ、七度安楽を享受できることになる。
  何処でも、寿命を全うできる。
  一日の出家の功徳は、二万劫の間続くのだ。
  悪道に堕ちることはなく、常に天に生まれ、福を受ける。
  その後に、人間となり、豊かな財産を得て老いていく。
  そして、厭世出家し、成道、辟支仏になる。
  帝利と呼ばれて、沢山の人々を救うことに。」



欠文だが、郁伽長者は集女妓娯楽・飲酒大醉で有名だったようで、誓願受持五戒し出家とされる。[康僧鎧[譯]:「大寶積經」卷八十二 郁伽長者會(第十九)]在家と出家が絡むので紛らわしいのでカットしたか。


〇出家を許そうとしない両親を必死に説得。
 ついに、承諾を得るが、3年に1度帰宅の条件付き。
 ところが、約束を守らないままで
 ようやくにして帰宅したのは12年後。
 しかも、譲渡された全財産を河に捨ててしまう。
〇さらに、王は、
 「汝、昔は思ふに、竹馬の時の友達也。
  我が許に二万の夫人有り。
  其の第一を汝に譲らむ。
  又、我国を半国譲らむ。
  還俗せよ」と。
 和羅多は、
 「我れ、二万の夫人も要ならず。
  千の国土も又要ならず。
  只、我れ仏に成て、汝等の一切の衆生の苦に代りて、
  皆仏と成さむと思ふ也。」と。

  虚空に昇て去にけり


 家業を営むものの、貧乏で蓄えも全く無く、
 妻子・眷属からも見捨てられ、独り者の翁が
 出家して仏弟子になろうと思い立った。
 そこで、舎利弗から受戒を得ようとすると、
 3日間の定で過去を調べられて、
 なんらの善根も無いということで出家の許可が出なかった。
 しかたなく、目連のもとを訪れたが、同じこと。
 富楼那・須菩提も、上臈が許可しないのだから無理と。
 五百の弟子も、もちろんのこと許さず、
 杖と瓦石を見舞って追い出してしまった。
 釈尊は、哭する翁を見て、
 そのような衆生にご利益を与えるために仏になったのだから
 汝の本懐を遂げさせようと語る。
 舎利弗に、この翁を出家させよと言うと、
 出家の業が無いのにどうして許可するのか、と反駁。
 釈尊は、只一度、「南無仏」と申したことがある故と。
 舎利弗、答えられず。

  翁は出家の功徳に依て、忽に羅漢果を証してけり
示唆に富む譚だ。
大教団にまで発展し、華麗な伽藍に大勢の僧からなり、誰でもに開かれた組織の体裁を整えていた訳である。僧からすれば、理想とする共同体が生まれつつあるということだったろう。
そうなると、稼業も家庭生活もさっぱり上手くいかぬから、"出家でもするか"という御仁も現れてくる。もっともらしい出家理由をつけて。
カースト制度とは、大家族を基盤とする職業ギルド社会を意味しており、属する職業が消滅しなければ内部互助で食べていける仕組み。それに適応できないから、僧集団に入れてもらって食べるかという手の人々に流れ込まれたのではたまったものではなかろう。信仰心など測れるものではないから、その様な人か否かの判断は極めて難しい。

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