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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.8.4] ■■■
[401] 不殺生戒
不殺生戒は原理的に厳密に遵守することは不可能であるから、普遍的な定義は無理だ。
従って、仏教経典上で、何故に殺生を禁ずるのか明瞭かつ詳細に述べられていないのは、当然のことだろう。

「今昔物語集」編纂者は、早い段階でその辺りに気付いていたのではなかろうか。多分、初期仏教教団では肉食禁忌などなかった筈と考えたろう。
もともと、天竺の風土を考えれば、不殺生たるべきという観念だけはあるものの、現実には供犠の殺戮・肉食はそれに該当せずとか、恣意的で混沌した状況だったに違いなく、それほど重視されていたものでもなかろう。
(現代に於ける不殺生戒とは、生命の生存権尊重姿勢の表現とされるのだろうが、どの道、恣意的な解釈しかできないから、天竺のベーダ経典時代とほとんどかわらないとも言える。
本朝の朝廷が重視した放生会にしても、その本質は、狩猟・漁猟儀式の裏返しに映る。所有権の示威行動としての祭祀と言えなくもない訳で、殺生禁断を命ずるのも、棲息動物狩りを行うのも、意義はなんらかわりがない。野山や海河から生活の糧を頂戴できることに感謝する祭典の執行形態が変化したにすぎまい。)


しかし、釈尊の教説が広がればそうはいかなくなったということ。不殺生戒を打ち出さざるを得なくなったのだと思われる。

そこらを考えていて、【震旦部】で、その問題を取り上げてみようというのが、編纂者の意図だろう。

一言で言えば、殺生禁忌の倫理的根拠は「孝養」であると看破した、いうこと。
動物を殺戮するということは、もしかすると自分の亡父母を殺害しているのかも知れませんぜ、となるからだ。
そのような、自明ともいえる大罪を犯せば、その報いはただならぬものになって当然、との理屈である。

と言うことで、冥途報(殺生 v.s. 不殺生)を眺めてみよう。
  【震旦部】巻九震旦 付孝養(孝子譚 冥途譚)
   <13-42 「冥報記」邦訳>
    《21-30 冥途報(殺生 v.s. 不殺生)》

【畋猟悪報…娘変死】
「殺生の罪は、現報を感ずる也」
  [巻九#21] 震旦代州人好畋猟失女子語
  ⇒「冥報記」下30(隋)王將
畋猟好みの父と母は、可愛い子が生まれ、周囲の人々とともにだいじにして、大いにかわいがっていた。それが、突然失踪。見つかったものの、戻せず、茨のなかで兎のように死んでしまう。親は畋猟の報いとして生活を改める。
・・・親の因果が子に報いとは違うのであろうか。

【畋猟悪報…殺"鷹餌用"犬】
殺生の罪み、極て重し。
  [巻九#22] 震旦兌州都督遂安公免死犬責語📖李神通
  ⇒「冥報記」逸文唐交州都督遂安公李壽

【殺"舌抜"羊】
(且は現報を感ぜる事を怖れ、且は善根の新なる事を貴ぶ。)
  [巻九#23] 京兆潘果抜羊舌得現報語📖羊の孝子ぶり
  ⇒「冥報記」下43(唐)潘果
羊が居たので盗んできたが、鳴いてさわがしいので、舌を抜いた。そして殺して食った。舌に異常。供養して事なきを得た。

【焼鶏卵悪報】
「此の如き殺生は、現報を感ずる也」
  [巻九#24] 震旦冀州人子食鶏卵得現報語📖鶏卵食の仏罰
  ⇒「冥報記」下37(隋)冀州小兒
隣家の鶏卵を盗み焼いて食べていた小児。早朝、寝屋に居る時、官に呼び出され裸で連行される。村の門外南の桑畑に、身らぬ城ができており、そこに入れられると。地面は熱砂で、出口を求めて叫びながら走り回る。
それは、村人からみれば、桑畑中を小児が四方を走り回っているだけに映り、気が狂ったと見られてしまう。探していた父は返って来た村人から聞いて早速駆け付け、一部始終を聞かされた。
確かに、脛半分より上は血宍焼け焦げており、膝下はお灸のように非常に爛れていた。治療したものの、膝下回復せず。


【鷹狩殺鳥】
  [巻九#25] 震旦隋代天女姜略好鷹感現報語📖子攫い鷲
  ⇒「冥報記」下36(隋)姜畧
 隋の鷹楊郎将 天女(水)姜略は、若い頃より鷹狩りを好んでいた。
 重病を患い、苦しんで、臥せていると
 頭の無い鳥の群れを見るようになった。
 皆、頭を返せと鳴き合うのを聞いていると
 頭痛が酷くなり気絶。
 そこで、諸々の鳥の為に善行を修することを約束。
 すると病気も治った。
 それ以来、酒肉を断ち、殺生も行わなくなった。


【田猟悪報…鷹の嘴の男子出生】
偏へに、年来の殺生の咎に依て、現報を致せる
  [巻九#26] 震旦隋代李寛依殺生得現報語
  ⇒「冥報記」下35(隋)李ェ
 蒲山の恵公 李寛は生来の田猟好き。
 飼鷹は数十羽。昼夜朝暮狩猟。
 妻が男子出産。
 ところが、その子鷹の嘴。
 父親として、片輪者として遺棄。


【大量鶏卵食悪報】
心に任て殺生する事無かるべし。
 後世の苦、極て堪へ難かり

  [巻九#27] 震旦周武帝依食鶏卵至冥途受苦語📖鶏卵食の仏罰
  ⇒「冥報記」下33周武帝
周 武帝は至って卵好き。一度に沢山食べていた。もちろん、それを勧める監膳は寵を受けることになる。隋 文帝にも仕え、開皇代に死んだ。しかし、3日後に蘇生し上申。
冥府で武帝の白団の数を尋ねられたというのだ。武帝は鉄床鉄梁で挟まれ、その数だけ、卵を出さされ苦しんでいた。その武帝に、知己である隋の天子にこの苦を免ずるため善根を修するよう頼んでくれと言われたという。
そこで、人民に一人一銭を武帝のために出すようにとの勅令。


【殺牛・殺鴨・煮鶏卵】
『汝ぢ、他の命を殺せる者也。当に罪を受くべし』
  [巻九#28] 震旦遂州総管孔恪修懺悔語
  ⇒「冥報記」下48(唐)孔恪
 病死し、冥界官府に連行され牛2頭殺生で詮議。
 先に死亡した弟が、兄の命で殺したと証言したが、
 弟はそれで官賞という利を得ていると指摘してなんとかのりきる。
 さらに、客人のための鴨殺し、母のための煮鶏卵が問われる。
 そして、地獄行直前、猛烈に抗議すると、
 ナンナンダと呼び戻され、
 冥官がチェックすると、確かに記録には善行が抜けている。
 担当の主司は百叩き。
 そして執行猶予7日。
 蘇生し、直ちに懺悔。
 供養を積み上げ、逝去。


【殺馬嫌疑】
(彼の馬の為に善を修す。)
  [巻九#29] 震旦京兆殷安仁免冥途使語
  ⇒「冥報記」下41(唐)殷安仁
 富豪。
 盗んだ馬を連れてきた客人がやってきて、
 馬を殺し、その皮を家主に与えた。
 早速、冥官が到来。
 旦那となっている慈門寺に逃亡し宿泊。
 されど、翌日、3騎・数十人の歩卒が来るが手をだせず。
 守護で残った者が、馬殺しの件を問うので、
 殺していないので確かめよ、と。
 そして、馬のために善を修した。


このグループの〆は、震旦の冥土の様子を垣間見る譚。殺されて行く先がどんなところなのか見せてくれている。
戦術を練っておけば、口八丁、手八兆の人ならなんとかなりそうである。娑婆で切り抜け上手な手合いは、なんとかなるかも、という印象を与えるお話である。
秀逸。
【指定殺人】
  [巻九#30] 震旦魏郡馬生嘉運至冥途得活語
  ⇒「冥報記」下47(唐)馬嘉運
これはいかにも中華帝国らしさ芬々物語。冥界も、現世と全く同じ官僚統制社会で風土も同じだが、なんといっても面白いのは、人材採用にあたっては娑婆から登用すること。
官職の欠員補充で呼ばれたのである。こんなことで命を召し上げられてはたまらんと思っていると、たまたま知り合いが冥官におり、相談して、無能なので務まらぬと言う。すると、代わりになる適任者を指名せよと言われたのである。
これで蘇生。
娑婆世界とまったくかわらぬ社会がそこにあったということ。ヒトの命など、その程度のもの。
お蔭で、その指名された者は死んだが、同様に文字はしらぬと言い張り蘇生。当然ながら、又、別な人が死ぬのである。
戻ってから、道で冥官を見つけ急いで逃げたが、結局、会ってしまい、冥府で嘘をついたのがバレており、アドバイスした冥官は責められていると聞かされた。娑婆にいるので、のがれているだけとも告げられた。
マ、善行が無い訳ではなく、魚を放生したことがあったのである。
結局、冥官として召されはしなかったものの、国士博士という娑婆の官として死去。

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