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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.10.24] ■■■
[481] 在原業平の歌
「今昔物語集」編纂者撰和歌集の1〜4番を見て来た。📖和歌集
  伊勢御息所📖→
  藤原敦忠土御門中納言📖→
  藤原公任大納言📖→
これは、藤原公任[966-1041年][編]:「三十六人撰」の観点を重視しての撰と見た。

続いて5〜6番になるが、在原業平[825-880年]の作品である。

常識的な編纂なら、ここで古歌を取り上げたいところ。「万葉集」に触れているから、そこから引いてもよさそうなものだが、解釈以前の読み取りの難しさがあるから避けたのだろうか。

古文教育で身に着けさせられる和歌のセンスとは、小生の感覚だと、"紀貫之[866-945年]観点での「古今和歌集」⇒藤原定家[1162-1241年]観点での「新今和歌集」"に定家の父俊成[1114-1204年]の幽玄感を加えたものとなる。
「今昔物語集」はこのラインに乗っている訳ではないので面白い。だからこその在原業平[825-880年]
ただ、選定理由は多分単純。
「古今和歌集」序文に、"近き世に、その名聞こえたる"6歌仙としてあがっている、僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主の代表というだけのこと。"その情余りありて、その詞足らず"とされているからだろう。

  [巻二十四#35]在原業平中将行東方読和歌語
  [巻二十四#36]業平於右近馬場見女読和歌語

譚題からわかるように、「伊勢物語」からの引用である。と言うか、業平の場言いは、歌集が物語化されているとも言える。

【9段 東下り】
 唐衣 きつつなれにし つましあれば
  はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
 [古今#410]
この歌では、折り句、枕詞、序詞、掛詞、縁語、係り結び、といた面倒極まりない技法の説明がなされるから好き嫌いがはっきり分かれる歌である。なかでも呆れるのは、三河の八橋で、"劇草/かきつばたといふ五文字を句の上にすえて、旅の心をよめ"というご注文に応じている点。

 駿河国宇津の山に逢える人につけて 京につかはしける。
 駿河なる 宇津の山辺の うつつにも
  夢にも人に 逢はぬなりけり
 [新古今#904]
"夢で逢えたら"(大瀧詠一 作詞・作曲)の世界か。

 五月の晦日に、雪糸高く降たるに、白く見ゆ。これを見てよみけり。
 時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか
  鹿の子まだらに 雪の降るらむ
 [新古今#1616]
比叡山20重ねの高さで、塩田尻の塩の山の様なのでビックリということ。

 名にし負はば いざ言問はむ 都鳥
  わが思ふ人は ありやなしやと
 [古今#411]
おそらく、「今昔物語集」編纂者はこの段の最後の、この歌のシ−ンに感動を覚えたから、とりあげたくなったのだろう。
在原業平は"和歌を微妙く読ける"との評価は当たっている。

【99段 騎射の日】
 見ずもあらず 見もせぬ人の 恋しくは
  あやなく今日や ながめくらさむ
 [古今#476]
  (返歌) 女
 知る知らず なにかあやなく
  わきて言はむ 思ひのみこそ しるべなりけれ
 [古今#477]
【82段 渚の院】
  業平
 狩りくらし 七夕つめに 宿からむ
  天の河原に 我は来にける
 [古今#418]
  (返歌)紀有常
 一年に 一度来 ます 君待てば
  宿かす人も あらじとぞ思ふ
 [古今#419]
  業平
 飽かなくに まだきも月の 隠るるか
  山の端逃げて 入れずもあらなむ
 [古今#884]
【83段 小野の雪】
 忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや
  雪踏みわけて 君を見むとは
 [古今#970]

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