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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.24] ■■■
[510] 竹取物語を祖とする意味
竹取物語については、早くに触れたが、我々がテキストでお目にかかるストーリーとは少々違うという話をしただけで終わってしまったので、「今昔物語集」全体との係わりについても触れておこう。
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚拾遺)
  [巻三十一#33]竹取翁見付女児養語📖竹取翁

その際、"竹取物語は誰でもが筋を知っているものの、原本は同定できていない。「源氏物語」に"物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁"とあるから、日本初の物語らしいということはわかっているものの。"と書いた。
紫式部が活動していた頃は、まさに、物語だらけで、確かにそのなかでは一番古いのは確かそうだが、引用譚の扱いから見ると、「今昔物語集」編纂者は価値ある作品と考えてはいなかったようだ。
文学史の扱いでは、初期物語4作で、竹取物語以外を"歌物語"と呼ぶようにしているが、その峻別化と似ている。当時の読者や、紫式部からすれば、そんなジャンル分けなど考えもしなかったと思うが、一部のインテリは違った目で眺めていた可能性が高そう。「竹取物語」を、唐代大流行の志怪小説の類とみなし、現代でいえば大衆小説のジャンルであり、伝奇をあしらった娯楽モノと考えたのではないか。歌物語に含まれる純文学性や、「古事記」や「風土記」の叙事詩的価値はほとんど無いということ。

 まづ、物語の出で来はじめの祖なる「竹取の翁」に
 「宇津保の俊蔭」を合はせて争ふ。
 "なよ竹の世々に古りにけること、をかしきふしもなけれど、
 かくや姫のこの世の濁りにも穢れず、はるかに思ひのぼれる契り高く、
 神代のことなめれば、・・・"

  [紫式部:「源氏物語」絵合]

ただ、絵合わせの対抗相手選定上では、紫式部も、「伊勢物語」のような歌物語的題材と、「竹取物語」の伝奇物語題材の違いはそれなりにつけていたようだ。
 [【伝奇】の系譜はこんな感じ。:竹取物語900年⇒宇津保物語980年⇒浜松中納言物語1060年
  尚、日本霊異記は823年である。]


清少納言の見方は、そういう点で的確と言えよう。ほとんど消滅してしまった物語だらけだが、題名を並べて面白がっている訳だ。要するに、すべて王朝恋愛大衆小説で、大同小異と言っているに過ぎない。歌物語系とはジャンルが全く違うのである。・・・
  物語は、
  「住吉」。…住み好しで、
  「宇津保」の類は、…憂つを保っており
  「殿移り」。…男替えをし、
  「月待つ女」…尽きず待つ女の話。
  「交野の少将"」…"野なら交野をかし"と云う遊び人や
  「梅壷の少将」…後宮に詰める高官に至っては
  人め「国譲り」、…一目で、恋人譲りを行う。
  道心勧むる「松が枝」…なかには、高見に立って、出家勧誘したりするし
  「狛野の物語」は、…駒で野を探し求めているように
   古蝙蝠探し出でてもいにしが…古扇子を懐かしむような交際に出向いたり。
   をかしきなり。…実に趣深きことなり。
  「埋れ木」…ただただ這いつくばるだけも。[「枕草子」百九十五段]
    [同別写本](「物羨みの中将」、
    宰相に子産ませて、形見のきぬなど乞ひたるぞ憎き。)
  實に交野少將もどきたる
  「落窪」少將などはをかし。[「枕草子」二百七十五一段]
これを読む方からすれば、注意深く、「竹取」に一切触れていないことこそ、"をかし"である。

「今昔物語集」編纂者も、ある意味では、竹取物語を祖とみなしていると言える。
しかし、それは半揶揄的な意味で、「竹取物語」の形式を2つばかり踏襲したというに過ぎないが。

1つ目は、冒頭と結語の形式。
  「今ハ昔、
   〇〇ノ国ニ〇〇トイフ人アリケリ・・・
   ・・・トナム語リツタヘタルトヤ。」

竹取物語に"厳格"に倣ったのである。
  「今はむかし。
   ○○○○○○と云ふ者ありけり。・・・
   ・・・とぞ、云ひ伝へける。  
["竹とりの翁物語"@「群書類從」]
今、この伝承話は、潤色を経てこのようになっております、と言う意味であろう。
一方、歌物語系は、実在人物をモデルにして書いた歌の鑑賞を旨とする作品なので、例外はあるものの「今」は必要としない。
  「むかし、・・・ありけり。・・・」

しかし、「今昔物語集」は、そのような大衆小説ではないのである。物語の大原則たる、女性のみが使うとされていた仮名文ではなく、漢文和訳調的な修辞無しの淡々とした和漢混淆文なのだから。

ご存じのように、女性以外も仮名文を使わなかった訳ではない。それが物語という作品の一大特徴である。つまり、男性の場合は無記名の作品とする訳で、社会的には伝○○著となる。
その仕来たりを受け継いだという点が、2つ目。

上記は、結構、重要な方針で、「宇治大納言物語」は、おそらくこの2つだけでなく、文体も仮名だったと見てよかろう。
それが意味するところは、小さなものではない。
現代人だから特に感じるのは間違いないが、仮名100%の文章などとても読んでいられない。漢字という表記文字が示す"概念"がすぐに頭に入ってこないからである。つまり、当時の物語は読むものではなく、もっぱら聞くものだったということ。ラジオの朗読番組用台本のようなものであろう。
「今昔物語集」はそれを断固拒否したのである。娯楽用ではないからだ。読んで、考えてもらい、議論して初めて意味があるということ。しかし、それは学僧が目指す論議で勝つための読書とは無縁であって、ワッハッハの愉しい世界。

さて、その「竹取物語」だが、歌物語と同じように、主人公"かぐや姫"の一代記的な流れで描かれている。
  異常出生(奇跡的降臨示唆)
  急成長
  致富長者
  求婚難題
  帝求婚
  昇天
  (この過程で、富士山の地名由来譚が追加されることも。)

一般には、求婚者像が面白いということで人気がある話だが、「今昔物語集」バージョンはそうではなく、天女降誕昇天伝説として整理されている。そのため、大陸の神仙思想導入バージョンとみなされることが多いようだ。
このモチーフは本朝では広範に存在するし、しかもかなりの古層である可能性もあるということで。
  「丹後国風土記」(逸文)浦嶼子
  「近江国風土記」(逸文)伊香小江@余呉 鏡湖
  「駿河国風土記」(逸文)三保松原
   羽衣石山伝承@伯耆湯梨浜
   察度王@宜野湾伝説

   →[参考PDF](C)高石市
もっとも、天女との恋は竹取物語初出という訳ではなく「万葉集」巻十六#3791昔有老翁号曰竹取翁也[長歌]がある。竹取翁が若き頃の、9人の天女達との恋沙汰を回想し歌を詠んでいるのだ。実は、"かぐや姫"物語ではなかったのである。「竹取物語」は本来的には"竹取翁(歌)物語"であるべきだが、全く異なる作品に仕上げられてしまったのである。

尚、震旦の神仙系だが、本朝のような清浄かつ魅力的な女性イメージとはかけ離れている。
  "夜行遊女/天帝少女/釣星・鬼車鳥"←姑獲鳥@「玄中記」
    📖鳥形の妖怪@「酉陽雑俎」の面白さ

ここで終えてもよいが、折角だからオマケに、上記の視点とは異なる、素人見立ても付け加えておこう。「酉陽雑俎」的に考えればこうなるという見本。

換言すれば、一般流布版類とは全く異なり、すでに全く知られなくなった異型の話を収載することに踏み切った理由を考えれば、必然的に以下の様に解釈する以外に無いと言うこと。ただ、残念なことに状況証拠の欠片さえ無い。・・・

「今昔物語集」編纂者はこの話を宇治で耳にし、すべてが氷解したのである。竹取物語の出自は天孫降臨時代の古渡来譚だが、はなはだしい潤色モノということ。
その推測の鍵は、平等院創建時に藤原道長が鎮守として、御祭神が木花之佐久夜毘売の縣神社@宇治蓮華を請来したこと。
  📖平等院の浄土庭園に浸る@古都散策方法
この神こそ、光り輝く"かぐや姫"。だからこそ富士山まで登場してくるし、「古事記」記載の通り、帝自身が后にせねばと行動をおこすのである。

骨格たるモチーフとは、当然ながら、霊竹信仰と天女昇天である。万葉集にも引かれるように、重要なのは物語名称であって、タケ信仰の方が基層。📖分類が腑に落ちぬ木 タケ
羽衣伝説類や十五夜とは実は無関係で、出自の地に飛んで戻って行くというだけのこと。
この話に、求婚難題譚がのったのである。
もともとは、「今昔物語集」所収の3題。ただいかにも本朝風ではないので、手を入れ、タイプが異なるズル的2題を追加。さらに仏教的風合いも欲しいということで、お題も入れ替え。(仏御石鉢・・・)ついでに、面白くするため、モデルも実在人物に。(石作皇子・・・)
分析思考では生まれにくい見方だが、どうかナ。槍杉か。

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