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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.20] ■■■
[526] 漢詩集註
小生は、「今昔物語集」編纂者同様に、清少納言が社会上層の考え方を一変させたと見ているが、そこらの感覚は読者によって大きく違うだろう。
当時の上層の人々は、男なら読漢籍・作漢詩・書漢文で、女なら習物語・詠和歌・書仮名で、完全に仕切られていた筈だ。おそらく、公文書に出来る限り女性を関与させない仕切りを造ったのである。
これを根本から壊したのが、清少納言ということ。

その主張は男を圧倒。 [「枕草子」200段]
  書は文集。文選。新賦。史記。五帝本紀。願文。表。博士の申文。
縦横無尽に漢籍や漢詩の知識を駆使して、和歌で機智の粋といえるような対応をとったことで、漢籍丸暗記路線からの決別を促したと言ってもよいだろう。

そんな流れを彷彿とさせるのが、僅か5譚から構成されている漢詩集譚グループ。和歌集とは違って、半ば冗談のような書き方で終始しているからだ。
  【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  -----26〜30 漢詩-----📖漢詩集
  [巻二十四#26]村上天皇与菅原文時作詩給語📖
  [巻二十四#27]大江朝綱家尼直詩読語📖
  [巻二十四#28]天神御製詩読示人夢給語📖 📖疫病神の伴善男
  [巻二十四#29]藤原資業作詩義忠難語
  [巻二十四#30]藤原為時作詩任越前守語📖 📖紫式部の父弟 📖除目推量

和歌について眺めていてふと気付いたのだが、このパートは儒教が本朝に浸透しているので注意を払うべしという箇所とも言えそう。
儒教自体は仏教=神祇が一体化を進めたこともあり、衰微していることは、収録譚や下記の漢詩集の流れを見ても感じられるが、逆に、深いところに入り込んでいることを伝えようという意図がありそう。
漢詩自体は、「白氏文集」が貴族の必読文献化したし、勅撰集もまとめられたものの、時代は和歌主導となっているのは明らか。
  n.a.:「懐風藻」751年
  小野岑守,菅原清公ら[編]:勅撰「凌雲集」814年
  藤原冬嗣,菅原清公ら[編]:勅撰「文華秀麗集」818年
  空海[撰]:「文鏡秘府論」820年
  良岑安世,菅原清公ら[編]:勅撰「経国集」827年
  空海(真済[編]):(遍照発揮)性霊集」n,a.(835年近くか)
    (「白氏文集推定渡来年:838年)
  都良香[編]:「都氏文集」879年
  菅原道真:「菅家文草」900年
  菅原道真:「菅家後集」903年
  斉名[編]:「扶桑集」998年
  高階積善[撰]:「本朝麗藻」1010年
  大江匡衡:「江吏部集」1011年
  藤原公任[撰]:「和漢朗詠集」1013年
  藤原明衡[撰]:「本朝文粋」1060年前後
  藤原基俊[撰]:「新撰朗詠集」鳥羽天皇代(1107-1123年)
  藤原季綱[撰]:「本朝続文粋」1150年前後

藤原資業 v.s. 藤原義忠の話が唐突に収載されているが、資業は儒者として、子孫にその系譜を継がせることになる、いわば文章博士独占家の祖の存在。
○鎌足─○不比等─○房前【北家】─○真楯
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○内麻呂[756-812年]─○"真夏"┐
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○浜雄─○家宗…法界寺建立@宇治日野
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○弘蔭─○繁時─○輔道
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○有国[943-1011年4男]…勧学会
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○広業…文章博士
資業>[988-1070年7男]…文章博士
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○実綱…文章博士
│○実政…文章博士
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○有綱…文章博士
┼┼○有信…文章博士
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┼┼○実光[1069-1147年]…文章博士
儒教自体は全体としては下火だが、この家系だけはしっかりと宮廷に喰い込んでいる。宗族第一主義信仰者である以上、合理主義的な対応をとることで、ともかく生き残って、子孫によってリベンジを果たし、トップの地位を目指さねばならないのだから、当然の姿勢。
先ず間違いなく、蓄積された情報をもとに、公卿層へアドバイスできることで揺るぎない地位を確保したのであろう。
本来なら漢詩家だが、文芸史では目立たないが、歌会の"公的"達人の地位は儒者に限るとの理屈で独占を果たしている筈。そのような手段を駆使することこそが、儒教の合理性そのもの。
その路線を敷いたのが、間違い無く、資業、その人だ。

ここらの見方は、世間知らずの清少納言と洞察力鋭き「今昔物語集」編纂者の違いと言ってよかろう。

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