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技術マネジメント論 [13] 2006年9月12日 |
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非分析型思考には緊張感が不可欠…緊張感こそ、知恵を生み出す前提条件との話をした。→ 技術マネジメント論 [12] 「緊張感が知恵を生む」 (2006年9月5日) ただ、緊張感といっても、余りに抽象的な表現で、なんのことやら感覚がつかめないかも知れない。どんな感じか説明しておこう。 世界一を目指すプロフェッショナルになったつもりで考えると、わかるだろうか。乗り越えなければ地位を失うような難しい課題に直面した際の感覚である。 簡単に解が見つかりそうもない。だが、解が見つからなければ、没落。そんな時、プロならどうするだろう。 少なくとも、闇雲に動くことはなかろう。 先人や、仲間の経験を必死になって調べたり、課題の緻密な分析に没頭するとも思えまい。もちろん、こうした作業は無駄にはならないが、そこから直接的に解答が見つかる訳ではない。 落ち着いて、考えに、考え抜くしかないのである。 こんな時の緊張感を想像して欲しい。 プロは、この緊張感を楽しむことができるのである。自分の力を信じているから、いくらでも頑張れるのだ。これをトップを目指す集中力と呼ぶ人も多い。 アマチュアは、これができない。たいていは、ヒントになるものはないか探しまわる。 なにかやっていないと不安になるからだ。しかし、いくら頑張っても、そんなやり方では解は見つからない。 結局、なにもしないか、見込み薄でも冒険的な動きを始めるしかなくなる。 どちらにしても最悪の選択だが、それ以外の道が無いのだからどうしようもない。 ここが肝要なところである。 解答を得るためには、緊張感は不可欠なのである。経験論や、手法を駆使した分析結果をまとめるだけでは解が見つからないから、自分の創造力に頼るしかない。自から緊張感をつくることで、新しい解を見つけるのである。 くどいが、分析思考では、新しいことは見つからない。 緊張感とは、分析思考を捨てるための道具なのである。 → 技術マネジメント論 [10] 「分析思考からの脱却」 (2006年8月21日) ただ、間違えないで欲しい。分析は不可欠である。 分析により、現実をしっかり認識した上で、非分析型思考に入る訳である。ただ、外からは分析作業をしているように見えて、その実、非分析型思考に没入している人もいるから、誤解を与える表現かも知れぬが。 ・・・さらなる抽象論議でうんざりしてきたかもしれないが、こんな話に多少とも納得感がでてくれば、技術マネジメント力は自然についてくるものだ。後は、個人ではなく、組織的な緊張感をいかに生み出すかとの応用問題にすぎない。 例えば、技術は揃っているのだが、特徴ある技術がある訳でもなく、業界ビリで利益の出ずの状況に陥ったとする。このままなら、撤退止む無し。これは一大事。 さあどうする。 プロなら、道はあると考える。 現実に、戦ってきたのだから、どこかに強みがあるのは間違いないからである。それを武器にすれば、生き残れると見るだけのこと。 当然ながら、先ずは分析で強みを探ることになる。 しかし、徹底的に分析することで、どうすればよいかがわかるだろうか。 そんなことで解答がでるなら、もともとビリになる筈もなかろう。 当たり前だが、考えるしかないのである。 しかし、たいていは、これができない。危機を叫びながら、緊張感は皆無ということ。不安感蔓延で終わる。 「研究開発」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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