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■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.12] ■■■
[11] 大穴牟遅神と八上姫神の関係
朧気ながらだが、ようやく太安万侶の書いていることが見えてきた感じがしてきたので、因幡の話をしておこう。

重要なのは、どういうスタンスで眺めるか。

鰐と兎の説話で、そこらをご説明しておこう。・・・
この話、唐突に登場するし、モチーフがジャータカ的で渡来伝承譚の色彩が濃い。📖鰐猿智慧比べ 📖捨身月兎
東南アジア〜南方西太平洋岸にも同類が広がっているから、因幡で伝来譚がドメスティック化した印象を抱かされることになる。例えば、これが北方ツングースなら、シャチ兎譚として残存していそう、と考えたり。実際、どうなのか知らないが。
しかし、隠岐の場合、鰐兎伝来譚を現地化する必要などない。鰐の知識があるし、神のお遣いのように見える固有種の野兎が居るからだ。
それを鮫と白兎とみなすとするなら、神話の大衆化に他ならないが、まだまだそんな時代でもなかろうし、「古事記」が大衆人気を求めて編纂された訳があるまい。(根の国の話にしても大衆的神話とは考えない、と言うこと。太安万侶の歴史観を読み取りたいなら、それしかない。)

ここらは、"国生み"をしっかり読んでいれは、周防の大島が記載されているから、気付く筈。📖 「大八島國」の成立史
この周防の地の潮待港 柳井が面する瀬戸は、120mと80mの前方後円墳で挟まれているが、その古墳から出土したのが、現時点で最大[Φ44.8cm]の仿製鏡と大型鉄刀。
その鏡だが、鼉龍鏡系である。言うまでもないが、ワニの龍である。ちなみに、備前鶴山丸山古墳でも鼉龍鏡[Φ17.3cm]が出土している。神話とは、あくまでもこの様な図絵の様なお話を指すのである。
素兎の方は、もちろん只の兎ではない。「古事記」では、"菟神"(月読尊と考えるのが自然だが、この地は干満の内海ではないから、外洋夜間航行の守護神か。)とはっきり記載しているのである。
ちなみに、隠岐國は現代的には離島でしかないが、陸路は限定で、海路中心で自力航海ができなかった頃は、枢要な地である。新羅来寇地の第一候補であるし、山陰道での神社数でみても、重視されていたことは一目瞭然。[「延喜式神名帳」927年]・・・
  因幡國:大1小49
  伯耆國: 小6
  出雲国:大2小185
  石見國: 小34
  隠岐國:大4小12 (御祭神は地方神。:由良比女 奈伎良比売命 水若酢命 伊勢命 )


「古事記」での"菟神"上陸の地は稲羽だが、「因幡國風土記(逸文)」では、風土記記載の"稲葉"は誤謬であり、因幡とすべしとされているのが面白い。揖斐川の川筋変更で沖積平野が生まれて経済力をつけた葦原色許男神は因幡でも稲作を指導したに違いなく、因幡の読みはイナハ/以奈八@「和名抄」だから、太安万侶はこの文字にしたのだろう。

その因幡国は以下のような郡で形成されており、海側は4郡に細分化されているが、その内陸側の八上郡(含む八東郡)は広いのが特徴。(地名はヤカミ/夜加美@「和名抄」。現在の名称は八頭郡だが、領域は同じではなく、8地区統合を意味する。[河原、用瀬、佐治、智頭、郡家、船岡、八東、若桜]内陸側の智頭郡は用瀬・佐治・智頭辺り。さらに南は美作国の山岳地帯だが、瀬戸海に繋がる街道がある。)
伯耆国 氣多郡 高草郡 邑美郡 巨濃郡 但馬国
伯耆国 氣多郡 高草郡 邑美郡 法美郡
伯耆国 氣多郡 高草郡 八上郡 (八東郡) 播磨国
伯耆国 氣多郡 高草郡 智頭郡
伯耆国 氣多郡 高草郡 美作国

国の中央を流れるのが<千代川>で支流が多く(土師、智頭、佐治、安蔵、若桜、八東、曳田、私都、砂見、[下流:袋、野坂])氾濫も多かったと思われる。河口にあるのが賀露港。その河口の東西に砂丘ができている。
その海岸線(西⇔東)はこんな具合。・・・
北浜〜水江川河口〜浜村〜河内川河口〜(水尻池)〜白兎海岸〜湖山〜砂丘(湖山池)〜千代川河口〜浜坂砂丘〜福部砂丘(多鯰ケ池・八幡池)〜岩戸
鳥取砂丘は一大観光地であり、海流が砂を運び、強風が丘を造ったとされているが、その砂の出所は<千代川>。上流から始まり岩盤破砕力が激しかったということ。この川は急傾斜地域を一気に流れ下る(標高1,000mから)日本有数の急流だからだ。お蔭で砂鉄の優良採取地となった訳で。
それに、八上郡は、砂鉄産地以前は、翡翠で知られていたのではあるまいか。そうでなければ、よってたかっての八上姫求婚の動きがある訳がないと思うからだ。

そのずっと後、越の姫川では、銅矛の示威で瑪瑙入手に成功した八千矛神だが、八上の地では、大穴牟遅神として、玉加工能力の高さ、つまり呪術力を誇示したのではあるまいか。勾玉を美しく磨き小さな穴を貫通させる技術はそう簡単に習熟できるものではないからだ。
隠岐の兎神は、国造りに必須な玉を造れるのは大穴牟遅神のみ、とのご神託を与えたことになる。鰐が捧げてくる玉を操る神である、と。海人の月読勾玉信仰であろうか。
当然ながら、八上には兎が祀られることになる。
  兔/菟神社 3社@八頭:福本、池田、土師百井…霊石山山麓
この頃は、出雲あっての因幡であり、因幡あっての出雲だったかも。
そうだとすれば、一括して"出雲神話"と見なすのも悪くないように思ってしまうが、注意して状況を眺めると、それは拙そうなことに気付く。
神社が錯綜しているからだ。勧請で、末社が各地に存在するというのとは違う。しかも、この辺りでしか耳にしない神の名前も登場してくる。
<因幡>
  (比)賣沼神社/西日天王社@河原(千代川支流曳田川北岸) (御祭神:八上比賣神)
  ⛩黒木神社@河原高福15世紀創建(御祭神:大己貴命、御井神)
  ⛩犬山神社/葦男大明神社@用瀬宮原…伝承では八上姫旧居の地
  御湯神社@岩美大谷 (御祭神:大己貴命、八上姫命、御井神、猿田彦命)
  阿陀萱神社@榎原橋本宝石山 (御祭神:阿陀加夜奴志多岐喜姫命≒木俣神)
<出雲 東>
  多伎神社@松江大垣 (御祭神:阿陀加夜努奴志多吉比売命≒木俣神)
  阿太加夜神社@松江東出雲出雲意宇川河口 (御祭神:阿太加夜奴志多岐喜比賣命≒木俣神)…「出雲國風土記」阿太加夜社
<出雲 西>
  八上姫神社@斐川学頭(湯元温泉) (御祭神:八上姫神)
  御井神社@斐川直江 (御祭神:木俣神=御井神[生井・福井・綱長井])
  ⛩(久武神社内)木俣祠@斐川出西随心
  多伎神社@多伎多岐笠無 (御祭神:阿陀加夜努志多伎吉比賣命≒木俣神)
  多伎藝神社(多伎枳社+多支々社)@多伎口田儀宮ノ下 (御祭神:多伎伎比売命≒木俣神、大加牟須美命、伊邪那伎命)…「出雲國風土記」神門郡記載多伎社は多い。
(阿陀加夜努志多伎吉比賣命≠木俣神かも。市森神社@出雲稗原では、八上比賣神ではなく王邑比売命の子。)

どう見ても、同じ話を三ヶ所で取り合っているように映る。もちろんん、高志之八俣遠呂智の話も。
実際、その角逐は凄まじい時代があった筈である。この時代も、"鐵は國家なり。"か。
 <因幡>沖の山-千代川-鳥取砂丘
 <出雲 東>三国山-日野川-美保湾
 <出雲 西>船通山-斐伊川/肥河-神門水湖/神西湖(⇒宍道湖)

海岸への凄まじい量の土砂流出がそれを物語っているのでは。それが他より少ないなら天井川化で年中洪水。そんな条件下でも稲作を追求したのだから流石。
しかし、急流のお蔭で公害は免れたと言えるかも。「播磨國風土記」揖保郡には、荒ぶる神 出雲御蔭大神が死をもたらすと記載されているのだから。出雲に倣った鉄鉱堀削で砒素が水に流入したと思われる。

太安万侶観は、<因幡>説支持の立場だろうが、表立ってそうは書けない。公的史書編纂からすれば、原則<出雲 西>の出雲郡・神門郡でなければこまるからだ。一方、「出雲國風土記」編纂を行った勢力としては、できれば<出雲 東>ということになろう。ただ、そこらは中央政権と協議の上、妥協できる領域でもある。

この3書を読めばそうとしか考えられないのである。

「出雲國風土記」とはただただ大穴持命への集中のお話の集成。地名譚も、大穴持命が訪問し、もともと存在していた名を語ったから地名となったというトーン。行幸の事績で地名が生まれる話とは全く異なる姿勢。
そうなったのは、おそらく「日本書紀」編纂グループもそれを後押ししたから。そうすれば、大己貴神が国を天孫に譲ったということで、すべてが決着し、出雲大社という巨大モニュメント建造で国土統一完成となるからだ。「古事記」流解釈では、権力を棄てたヒーロー大國主神イメージが創られたことになろうが。
太安万侶も編纂グループの一員として、その方向での成書化に積極的に賛成しておかしくない。公的歴史書には、確たる目的があり、それからすればそのような歴史観が最善と思えるからだ。出雲勢力を出雲国のなかだけに押し込め、政治的動きを封じさえすれば、国家安泰に繋がるのだから。

ただ、太安万侶としては、自分なりの歴史観も示しておきたかったので、因幡の話を入れ込むことにしたのである。気付く人がいる筈と踏んで、危ない橋を渡ろうと決意し、"八上譚"を収載したのだと思う。従って、因幡の話とは、"非出雲神話"なのである。

本朝は、天竺や震旦とは違って、雑炊型の文化。国ッ神 v.s. 天ッ神という二元論的に切り分けができる社会ではないということを指摘していると言ってもよいだろう。
阿陀加夜奴志多岐喜姫命など阿多隼人とか阿羅伽耶に宗像辺津宮の多岐都比売命を並べたようにも見える訳で。

太安万侶は、八上姫譚でそこらを指摘したのである。「古事記」記載は、たったこれだけでしかないが。・・・
  八上比賣は、"美刀阿多波志都"。
  生まれた子を、木俣に刺し挾み、返った。
  この子の名は、木俣~。又の名を御井~と謂う。

ボゥーとして読んでいると、註に関心も払わずに通り過ぎてしまう箇所だが、この神名記載が肝。
宮所守護の神々、座摩神5柱@平安京大内裏神祇官西院(生井神・福井神・綱長井神・波比祇神・阿須波神)に入っているからだ。(残り2柱は「古事記」で大年神+天和迦流美豆比売の御子神とされている。5神は大嘗祭関係神でもある。)
実態はゴチャゴチャなのがよくわかる。
座摩神信仰はその後宮中から消えたが、別途祀られることに。
  福長(稲荷)神社@上京室町通武者小路下る福長町(御祭神:福井神、綱長井神、(稲荷神))
  坐摩神社@摂津新羅江/天神橋東南の石町(⇒移転@久太郎=百済)
"国生み"で隠岐が重視されているのも宜なるかな。隠岐⇔稲羽岬⇔八上⇔瀬戸海のルートが古代から存在したことを意味していそうだから。

【付録】<因幡><出雲>以外の木俣神の神社
<越前>
  
足羽神社@足羽山(御祭神:継体天皇、生井神、福井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神)…福井の語源説あり。
<和泉>
  
積川神社@泉南山直(御祭神:生井神、栄井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神)
<丹波>
  
大井神社@亀岡大井並河(大堰川遡上地)(御祭神:御井神、月読神、市杵島姫命)
<近江>
  
五百井神社@栗東下戸山(御祭神:木俣神)
尚、御井神が祀られている神社は数々あるが、由緒書を見ると異なる神を指す場合もかなり多く、素人には判断がつきにくいが、いくつかは該当していそうだ。・・・<石見>(八幡宮境内社愛宕神社合祀)御井神@浜田旭和田八色山 <但馬>御井神社@養父大屋宮本(明延川) 耳井神社@豊岡宮井大門<美濃>各務原(稲葉)三井、養老郡多芸村金屋 <大和>宇陀榛原檜牧三井山

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