→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.7] ■■■ [6] 「大八島國」の成立史 忘れてならないのは、国生みの時代とは、出雲の国が出来上がった時代や、南九州から大和への東征が行われた事績の、はるか昔の状況を示しているという点。従って、執筆時点の政治状況から書けないこともあるが、素直に読んでくれれば、どの様に社会が変わって行ったかわかるだろう、と主張している箇所と言えよう。 だからこそ、"一、二、三、四"に拘っているのでは。・・・ ⬐⓪淤能碁呂嶋…海進で瀬戸海形成 📖オノゴロ島伝説の意味 ❶淡路(淡道之穂之狭別ノ嶋)…藻塩の島 ❷四国(伊予之二名ノ嶋)…辰砂の島 📖辰砂生産能力が覇権獲得の鍵 ❸隠岐(隠伎之三子ノ嶋)…黒曜石の島 📖倭国以前の石器時代を考える ❹九州(筑紫ノ嶋) 🈩小さいながらも地方国家として成り立つようになった時代。 小生は藻塩生産地として、その基盤を作ったと見た。 ただ、淡路島には、輸入鉄インゴット荷揚げ・加工作業場跡が存在しているから、後世の見方からすれば、王家の武器製造拠点ということで、最初にあげたくなる。 🈔国家乱立状態だが、中華帝国にその存在が認められた時代。 辰砂生産地としての四国が注目を浴びただけ。始皇帝は、すでにその存在を知っていたから、相当に古層の話。この頃の辰砂は河川種変の堆積地品と考えれば、そのうち枯渇することになる。他国も探索に精を出すから、中華帝国から一目置かれていても、四国が覇権を握る迄には至らなかったということだろう。つまり、空海が主導した四国に於ける辰砂鉱山開発は、上流の断層地帯を対象と考える訳である。 🈪黒曜石流通で連合国家基盤が生まれた時代。 突然、四国の次に離島の隠岐があげられて、その後は九州が来るという理解し難い順番付けに映るが、よく考えれば歴史を扱うならここは外せない箇所。 ココはどう考えても、黒曜石の役割が大きいことを指摘している箇所。金属の道具が生まれても、ナイフ製造は簡単にできる訳ではなく、鋭利な刃を入手できなければ、何をするにもたいしたことはできない。それに、当時の黒曜石製道具とは、見かけは石を割ったに過ぎないが、その機能は現代の特注刃物同等なのだから。 ところが、良質の黒曜石を入手できる場所は超偏在。西日本では、隠岐と姫島。東日本では、信州霧ヶ峰と、箱根〜伊豆七島火山ライン上の限定的な地。この時代、後者は視野外だったことがわかるし、姫島が注目されていなかったことがわかる。(尚、以前から、隠岐産黒曜石がシベリア沿海州に到達していることが知られている。) ㊃北部九州の時代。 九つの国の1つでしかない筑紫を、九州の名称に起用するほど、北九州地域の覇権的地位が目立ったということだろう。数多い国が乱立し、烏合の衆的ではあるものの、中華帝国との交易をする以上、まとまらざるを得ずというところで、地の利があったということだろう。 以上、⓪〜㊃の流れだが、いかにも太安万侶流記述とは言えまいか。 優れていのは、ここで一気に北九州覇権化に進んだのではないと指摘している点。ここでも、一、二、三、の拘り。・・・ 【⓪淤能碁呂嶋 ❶淡路 ❷四国 ❸隠岐】 ⟱ ❹九州(筑紫ノ嶋) ⟱日本海 対馬海流域離島 ⓵壱岐(伊伎ノ嶋) ⓶対馬(津ノ嶋) ○隠岐 ⓷佐渡(佐度ノ嶋) ↓ ❽本州(大倭豊秋津嶋) ⟱ ㊇大八島國 小国乱立から、まともな連合国体制にするには、社会基盤としての交通網整備が進むことが不可欠だ北九州の場合は日本海側航路で広げるしかなく、対馬海流利用となるが冬季閉鎖、夏季の乱流化など、決して良好な海路ではないが、北は佐渡迄広がった。 何も記載されていないが、⓵壱岐・⓶対馬2島の存在は対馬海流が大陸沿流・中央乱流・裏日本沿流の3本に分かれることを示唆しているともいえ、もっぱら本州沿岸系の流れを利用するしかないのは自明。従って、北部九州から北行すれば、島根半島、能登半島に行き当たる訳で、その辺りの付け根近くにある湾が寄港地となる。この時代、⓷佐渡辺りまでが、対馬海流に乗っての移動の範囲だったのであろう。 こうして、裏日本ットワークが生まれた訳だ。この一帯だけでなく、陸路はまだ未熟で、海路に加えた河川路利用が基本ということだろう。 そのような流れが生まれ、初めて、広大な本州が発展していったことになろう。 一方で、壱岐⇒対馬⇒朝鮮半島ルートも確立したのだろうが、海峡の潮流は強いから、航海のプロ依存とならざるを得ない。北九州の国家には地の利があるので理屈では交易権を握れるが、海人は土着的ではなく、国家帰属意識が薄いので、それだけでは覇権国家樹立は難しかったのではないか。 結局のところ、各地で生まれた土着国家の農業生産性が向上したから、急速な経済発展を続ける本州が、北部九州の力をすぐに凌駕してしまったということ。 辰砂等の鉱産物生産量も一気に増え"大倭"と呼ばれるまでになり、秋になれば膨大な農業生産物が満ち溢れるようになったから、"豊秋津[=豊かな秋の]"ということで大満足の図だったのだろう。 そんなことを考えさせ、❽本州をもって、全てを合わせた㊇大八島國で大団円とした訳だ。 ここで国生みの段を終えてもよかったが、太安万侶の鋭い点は、留意すべき点を付け加えた点。対馬海流域離島に対応する形で、瀬戸海諸島を取り上げたのである。 航路だけの時代とはどういうことか記載しているのである。 簡単に言えば、瀬戸海航路が反映の鍵を握っている点を忘れてはいけないというご注意だろう。・・・ ⓪淤能碁呂嶋 ❶淡路 ❷四国 ❸隠岐 ❹九州(筑紫ノ嶋) ⟱日本海 対馬海流域離島 ⓵壱岐 ⓶対馬 ○隠岐 ⓷佐渡 ↓ ❽本州(大倭豊秋津嶋) ⟱ ㊇大八島國 ⟱ 瀬戸海諸島[淡路・本州・四国・九州] 📖国産みにおける淡路島の意味 [面積順位] 1st:淡路島 2nd:小豆島 3rd:屋代島/周防大島 比定地は沢山ある。📖[古代の都 04] 吉備国高嶋宮 🀀淡路 🀀小豆島/大野手比賣(香川県小豆島) 🀂大島/大多麻流別(山口県屋代島/周防大島)・・・白鳥古墳[中期前方後円墳120m] [(鼉龍鏡系)単頭双胴怪獣仿製鏡[Φ44.8cm東国博所蔵]・大型鉄刀出土@柳井水口茶臼山古墳[前方後円墳80m]…大島との間の瀬戸を見下ろす位置で、土穂石川河口の柳井港の後背地。] 🀂女島/天一根(大分県国東半島姫島)…黒曜石 瀬戸海の大きな島を取り上げている訳だが、その周辺には船溜まりがあり、潮流上の隘路もあるということ。 ただ、内海であるから、対馬海流の裏日本とは違い安定した航路であり、これが大倭豊秋津嶋の繁栄に繋がったとの指摘でもあろう。 この記述は、表日本の西太平洋親潮、内海、裏日本の日本海対馬海流の3つの比較をさせようとの狙いもありそう。潮流の違いは桁外れであるというだけのことに過ぎないが。 黒潮での安定航路開設は古代の力量では不可能と見てよいだろう。もちろん移動は可能だが、その先で落ち着くことになり、交流できる訳ではない。従って、太平洋岸の経済発展性は臨めない。 なんといっても内海とそれに繋がる河川という、安定した交流ルートがあったこあらこそ、大八島國が成立したである。 ただ、それは内国での話で、大陸との交流という点では、もう一つ見ておくべきルートがある。・・・ ㊇大八島國 ⟱ 東支那海諸島[九州]…黒潮分岐対馬暖流最上流域 ①知訶ノ島(長崎県五島列島)…遣唐使船寄港地 ②両児ノ島(長崎県五島列島南の、男女列島の男女島) 慧眼の至り。 大陸との繋がりで最重要なのは実はココ。 海流については、実際のところ、現代でもほとんどわかっていない位なのに、男女列島を持ち出すセンスは跳びぬけている。そもそも、釣り師と政治家を除けば、地名さえほとんど知られていない可能性があるのだから。 この海域の南で、黒潮から対馬海流が分岐すると見て間違いない。沖縄で分岐という意味とは全く違い、南支那海⇒東支那海と北上する大陸沿岸流と黒潮分流が合体し、ここで海流のスピードは桁違いに弱まり、男女列島⇒五島列島⇒九州西端⇒朝鮮半島・対馬・壱岐・九州間⇒日本海と進むことになる。 従って、大陸から流されれば、済州島に引っかかることもあるが、たいていは五島列島近辺に到着することになる。その反流を読んで、大陸に向かうことになる訳だ。 奄美〜沖縄/琉球〜先島〜台湾〜フィリピンを流れる激流である黒潮を避けるためにはこの地経由での大陸連絡航路を取るしかない。壱岐〜対馬〜朝鮮半島南西域〜大陸対岸ルードがどうしても注目されがちだが、日本列島との繋がりという点では、こちらのルートは思っている以上に太いということでもある。 ─概念的海図─ □□■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□□ □□■■■■■■□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□■■■ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□■■■■ □□□□□□□□□□□□□□■□□□□□■■■■■ □□■■□□□□□□□□□□□□□■■■□■■■■ □□□□□□□□□□□□□□■■■■■■□□□□□ □□□□□□□□□□■□□□□■■■■■□□□□□ □□□□□□□□□■■■□□□□□■■■■□□■■ □□□□□□□□□□■□□□■□■■■■□■■■■ □□□□□□□■□□□□□□□■■■■■□□■■■ □□□□□□■□□□□□□□□■■■■■□□□■■ □□□□□□□□□□□□□□□■■■■■□□□□■ □□□□□□□□□□□□□□□■■■■■□□□□□ □□□□□□□□□□□□□■□■■■■■□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□■■■■■□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□■■□■■□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□■□■□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ■朝鮮半島 ■済州島 ■対馬・壱岐・五島列島・男女諸島 ■九州 ■四国 ■本州 【オマケの与太話】 「古事記」では、阿波国=大宜都比売が、その後、大宜都比売神として再登場し、須佐之男命に斬殺され、屍体から五穀(稲・麦・粟・大豆・小豆)と蚕が生まれ、神産巣日御祖神が回収する。 分業的な構造とは程遠い時代だが、登場する島々に当て嵌めると以下のようになる。・・・ 淡路國=穀類の穂 阿波國[大宜都比売]=粟 讃岐國[飯依比古]=麦…少雨・狭隘耕地・塩易入手との適合性(石臼は欠くが。) 伊予國[愛比売]=生糸 児島=黍…吉備総社"赤米神事"⇔対馬"赤米神事" 📖赤米から見えてくる古事記の世界 小豆島=小豆 大島=大豆…宮原遺跡(2300年前の大豆出土)@下松 吉野ヶ里から豚と絹が出土しており、丘墓も中国江南〜山東半島形式であるところからみて、古くから辰砂を希求する渡来大陸人は少なくなかったことは明らか。阿波で土着の人々と併存していたと考えれば、五穀・蚕がこの地に早々と伝わっていておかしくない。辰砂枯渇で阿波が零落し、渡来人も移動せざるを得ず、瀬戸海各地に広がることになった可能性も感じさせる。 それが、「古事記」の大宜都比売神譚の意味かも知れぬ。 →続く (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |