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■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.21] ■■■
[20] 太陽神と月神の誕生は古層の信仰
伊邪那岐・伊邪那美が生んだ三貴神を例にとって、中心たるべき神がほとんど無為の存在でしかないとし、これこそ日本社会の精神構造の真相を示しているとの主張について取り上げた。 📖河合中空構造論を信ずるなかれ

伊邪那伎大~御身の禊での最後の場面、三貴神が成った話だが、太安万侶は、熟考して記述したに違いないので、さらに見ておきたい。
於是洗左御目時 所成~名 天照大御~
洗右御目時 所成~名 月讀命
次洗御鼻時 所成~名 建速須佐之男命[須佐二字以音]
  :
此時伊邪那伎命 詔吾者生生子 而於生終得三貴子
卽其御頸珠之玉歯齬R良邇[此四字以音下效此]取由良迦志而 賜天照大御~

詔之 汝命者 所知高天原矣 事依 而賜也
次詔 月読命 汝命者 所知夜之食國矣 事依也[訓食云袁須]
次詔 建速須佐之男命 汝命者 所知海原矣 事依也


中空論からいえば、当事者感覚無しを取り上げるのなら、それは月讀命ではない。
月読命は夜之食國を治めるようにとの詔があるからだ。一方、天照大御~は高天原で、建速須佐之男命は海原。
宙ぶらりんな任命と言わざるを得まい。
と言うことは、葦原中国は引き続き伊邪那伎大~が統治し続けることを意味するが、後継者を指名せずに墓陵に入ってしまう。空位のママでかまわぬというほったらかし状態。それなら、もともと降臨を命じた高天原の神々が対応するのかと思いきや、無視とくる。何の対応もとらない。
結局、高天原に昇った挙句に放逐され、葦原中国に戻った建速須佐之男命が、八雲の地に落ち着いたことで、その後に大国主によって統治体制ができることになる。

要するに、ゴチャゴチャ。

ココが肝要。太安万侶は、序文で道教信仰であると指摘したが、その意味がよくわかる。
各地の地場信仰の寄せ集め習合というのが、宗教勢力としての道教の本質。ただ、そのテリトリーは中華帝国内と規定されてしまうので、天子-官僚制度と親和性が生まれるように変えられて行く。

太安万侶は、今、同じことが日本列島でも始まっていると、「古事記」を通じて語っているということになろう。

そういう意味で、三貴子と造化三神とは構造が全く違う点に注意を払うべきだ。月読命は中空どころか、明らかに天照大御~とのペアだからだ。
しかし、この記載の仕方もかなり手が込んでおり、ゴチャゴチャ感を増勢させようとの仕掛け満載と言ってよいだろう。公的史書では一番嫌われる、ナニガナニヤラ感覚醸成の方針を採用しているのは明らか。
"天照大御~と造化3神が、日本列島の最高神ということで、どれも日神。"と書いた意味は実はそこにある。 📖言葉遊びに夢中になるなかれ

いい加減な話をした訳だが、「古事記」を読もうと思ったら、こうしたセンスが要求されるということ。
そういえばお分かりになると思うが、上記の文章をいくら読んでも、天照大御~が太陽神であるとはどこにも書いていない。高天原から光を垂れる輝く神であろう以上の想像は出来かねる。月とペアだから、太陽であろうと考えるだけ。
注記でもしない限り、国家が規定する最高神の描き方としては、非常に拙いと言わざるを得ないが、太安万侶は敢えてその道を選んだのである。

おそらく、ゴチャゴチャ感の根本に気付いていたからである。・・・

○よく知られるように、目が日月との観念は盤古神話発祥とされている。
昔 盤古氏之死也 頭為四岳 目為日月
脂膏為江海 毛髮為草木 [任ム[撰]@梁:「述異記」]


○これとは毛色が違う伝承もある。
北方有鐘山焉,山上有石首如人首:
 
左目為日,右目為月
 開左目為晝,開右目為夜;
 開口為春夏,閉口為秋冬 [郭璞:「玄中記」]


○上記の元ネタは「山海経」。北方系部族の神話のようだが、神名からすると、蜀@四川に繋がりがあったようにも見える。ともあれ、蒙古〜アルタイ山脈 シベリア南部の観念は、太陽=目。神 燭陰@無啓之國鐘山の目は太陽で、目を閉じると夜、開けば昼。息を強く吹くと冬で、声を出して呼ぶと夏に。 📖「山海経」海外北経@酉陽雑俎的に山海経を読む

○インドでは、月は心で、太陽は目である。ちなみに、息からは、風だ。もちろん頭は天で、両足が地。千頭・千眼・千足の原人プルシャを犠牲として捧げた結果である。
A THOUSAND heads hath Purusa, a thousand eyes, a thousand feet.・・・
All creatures are one-fourth of him, three-fourths eternal life in heaven.・・・
When Gods prepared the sacrifice with Purusa as their offering,
Its oil was spring, the holy gift was autumn; summer was the wood.
They balmed as victim on the grass Purusa born in earliest time.
With him the Deities and all Sadhyas and Rsis sacrificed.
From that great general sacrifice the dripping fat was gathered up.
He formed the creatures of-the air, and animals both wild and tame.
From that great general sacrifice Rcas and Sama-hymns were born:
Therefrom were spells and charms produced; the Yajus had its birth from it.
From it were horses born, from it all cattle with two rows of teeth:
From it were generated kine, from it the goats and sheep were born.
When they divided Purusa how many portions did they make?
What do they call his mouth, his arms? What do they call his thighs and feet?
The Brahman was his mouth, of both his arms was the Rajanya made.
His thighs became the Vaisya, from his feet the Sudra was produced.
The Moon was gendered from his mind, and from his eye the Sun had birth;
Indra and Agni from his mouth were born, and Vayu from his breath.
Forth from his navel came mid-air the sky was fashioned from his head
Earth from his feet, and from his ear the regions. Thus they formed the worlds.
[「リグ・ヴェーダ/The Rig Veda」プルシャ・スークタMandala 10, Hymn 90]


「古事記」の両眼から神という記述は、大陸の神話を引き継いでいると見て間違いないが、我々が知ることができる大陸神話とは、儒教によって壊滅させられた残渣でしかなく、それは古層というより、習合してたまたま伝承していると考えるべきもの。
一般に、辺境には、古層の伝承がママ残っていることが多く、両眼日月、鼻暴風がそのようなものと考えてよさそうだ。
小生が、そう確信するのは、日月の文字には、形象としては理解し難い眼点があり、目の文字由来でもあると思えるからである。

ただ、アーリア系やアルタイ系とは、根本的に異なっている点がある。現代迄続いているインドでの供犠血祭や、殷の奴隷殺戮人身解体供犠の祭祀を思わせる神話とは、一線を画しており、死や血を嫌悪しているのは明らかだからだ。
太安万侶はそこに気付いたから、天照大御~≠"血の供犠を要求する"太陽神であることがわかるように注意深く記載したのではあるまいか。

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