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■■■ 「古事記」解釈 [2021.3.29] ■■■
[87]少名毘古那神の推定出自
一寸法師のモデルのように映る少名毘古那神だが📖少名毘古那神の位置付け、神話ではあるものの、実に不可思議な存在との評だらけ。
その通りだが、実は、プロフィールは鮮明に描かれている。・・・体躯が目立って小さく、異様な風体の衣を着けていて、航海術に長けた南方の海人。
(朝鮮半島を含め大陸では、衣類はすべて布製だし、葦船を想起させるような実用船も運行されていない。
尚、広田遺跡@種子島出土縄文時代人骨は目立って低身長であり、「今昔物語集」には、源行任朝臣が異様に小さな小舟発見の話が収録されている。越後に前例ありと。
📖漂着犀角)

すてに触れたように、大国主命の統治には欠くべからざる存在であったとされ、各国「風土記」にも登場してくる。しかも、伝承譚での対象分野が幅広く、親近感や感謝の念が籠められたお話に仕上がっている。ところが、そのイメージには支配者然としたところが全く無い。📖漢籍渡来と漢字伝来は別な話

もっとも、、常世の国に戻ったとされているから、正確には、出自不明ではない。その国が何処を意味していうのかわからないので、謎の来訪神とされているに過ぎまい。

そんな、"謎"で片付ける安直な姿勢を批判したいところだが、浅学の身では手も足も出ない。そこで、あえて、素人の出自推定話を書いてみることにした。当然ながら、読みの糸口は、あやふやな見方だが、それは致し方なしということで。
(古代に関する情報は、信頼性不明な僅かな情報しかない。従って、古代に興味ある人々は、蛸壺専門家を教祖とする珍説流布集団に引き寄せられがちだし、思いつきの奇説提起に走ることも多そう。その手のお仲間にはなりたくないが、・・・。)

その切り口はたった1つ。
すでに触れた、"宿禰/スクネ"の語源。
  恐らくは
  "大名(Ōna-)"の謙譲的表現としての
  "少名(Sukuna-⇔Sukune.)" の呼び変えだろう。
📖毘古毘賣用語への拘り
つまり、少名毘古との名称は、一般名化したところがあり、信頼に足る有能な助力者を意味しているということ。ヘゲモニーを握ろうとの野心などなく、主に対して極めて従順な性情を示していると見る訳だ。
もともと、初代天皇の東征は、大和の地への武力的侵略以外のなにものでもないし、皇位継承はまさに血みどろの戦いであることも包み隠さずに描いているなかにあって、まさしく異端。
社会の安定を掲げながら、独裁に行き詰って来た王朝は打倒されて当然として革命を鼓舞し、官僚統治が盤石になれば必然的に組織内権力闘争の熾烈化を生むという、儒教の社会文化に全く染まっていないことを意味するからだ。換言すれば、中華帝国と朝鮮半島の文化とは疎遠な西太平洋に存在する国からの渡来ということ。
そうなると、南島系しか考えられないが、母系の皇祖に関係する地なら、全く未知の訳も無い。
しかも、系譜上、国生み前の造化3神の時代に繋がっているとされており、それこそ、日本列島へのヒト到達ルートの途中に当たる地から来訪したと言っているようなもの。

これほどまでに情報があるのに、どうして"謎"にしておきたいのかの方が、余程、"謎"では。

日本列島から近くて遠いという矛盾した表現がドンピシャの島があるではないか。

言うまでもないが済州島である。

だが、そう考えたところで、証拠はゼロ。残念ながら、済州島の古代歴史情報は皆無に近いからだ。儒教国に支配されたため、すべての文化はすでに抹消済みで、その言語(スンダ大陸語系の可能性が高い。日本語の基幹と近い筈。)の残渣さえ追跡できないほどに、徹底したクレンジングが行われたのである。現在残っているとされるモノは、中華帝国史書類に合わせた造作以上ではなかろう。人種的風貌の違いを考えると、現在の住民が古代住民の血を引いていない可能性の方が高い。

史書を見れば、そう考えざるを得ないのである。・・・

 有州胡在馬韓之西海中大島上,
【外見】其人差短小,
【言語】言語不與韓同,
【風俗】皆 髠頭如鮮卑,但衣韋,好養牛及豬。
   其衣有上無下,略如裸勢。
【交流】乘船往來,市買韓中。
  [「魏志」巻30烏丸鮮卑東夷伝]
【三姓神話(良乙那、高乙那、夫乙那)】初無人、三神人從地聳出。・・・
【風俗】遊獵荒僻、皮衣肉食。・・・
【木函漂着譚】有一紅帶紫衣使者、・・・
 隨來開函、
 有衣處女三人及諸駒犢五穀種、
 乃曰:「我是日本國使也、
 吾王生此三女、云西海中嶽降神子三人、・・・
  [「高麗史」巻五十七地理志2耽羅縣]
《後世解釈例》
 耽羅,百濟南海中小島也。
 繼體帝二年冬十二月,耽羅人初通百濟國。
  [「大日本史」卷之二百卅七列傳第百六十四諸蕃六耽羅]

--- 東アジア地勢変遷 ---
《前108年<前漢>》前漢 武帝朝鮮半島に四郡設置
 半島外島<州胡≒耽羅[済州島]>
    −その後<後漢>の半島での状況−
    _遼西郡   【扶餘】
    1玄菟郡(朝鮮・濊貊・句驪:蛮夷の地)⇒【高句麗】
    2遼西郡
    3楽浪郡
    4帯方郡
    馬・弁・辰韓
    【州胡≒耽羅[済州島]】
《_265年》 晋[武帝司馬炎] 魏滅亡
《301-308年》 八王乱
《_331年》 神功皇后 三韓征伐
《_476年》耽羅 服屬百濟[660年百済滅亡]
《_645年》 唐進出(東菜→卑沙城@遼東半島)
《_662年》耽羅 新羅服属
《_938年》耽羅 高麗服属
《1108年》耽羅 高麗済州郡化


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