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■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.7] ■■■
[96] 皇統譜の提示が第一義
「古事記」は、皇統譜とそれに繋がる諸臣についての記載が乱れを抑える目的で作成と命じられた書である。
従って、それが第一義であるものの、一筋縄で整理できるようなものでないことは当たり前。その印象を強めるのが、初期と最終部分にかけての箇所。ここは、せいぜいのところ、皇統存続を示すだけに過ぎない内容だからだ。

初期は王国跋扈時代であったと予想されるし、口伝だから消滅情報も様々な氏族の伝承が錯綜していたに違いなく、大幅カットは致し方ないのはわかる。しかし、下巻の簡素化は解せぬ。
中華帝国渡来の数々の書籍にも記載があるし、仏教関係の記録も存在していたのだから、収録可能そうな"お話"に欠くことはないと言うのに。それに、指定された元ネタの情報がそれしかなかったなどおよそ考えられないし。
マ、そこらを、考えて来たのではあるが。・・・
   📖継承ルール変更と鎮護仏教化の切れ目
   📖哀本杼命新王朝論について
   📖上中下巻の系譜上の切れ目

要するに、常識的には、系譜の正統性を示すための記述という解説になる訳だが、ほとんど意味の無いトートロジー的な説明と言うか、正統性を誇示するために作られるのが"系譜"と言うべきだろう。
何をもって、"正統"と考えていそうかを語らない限り、解説になっていないと言った方がよいだろう。

そんな観点で見れば、「古事記」は圧巻である。
皇位継承争いは凄惨そのもの。なんやかんやらで、競争相手の芽を摘み、厄介なら抹消することも厭わないのである。それは当たり前というのが基本姿勢と言ってよいだろう。

下巻はそういった著述の核心を記載しているように思われる。皇統断絶の危機をどのように乗り越えたかを、系譜から読み取れ、と言わんばかり。
下巻の系図はグチャグチャであるが、一つは、[16]大雀命〜[21]大長谷命〜[25]小長谷若雀命の時代であり、もう一つは混乱している訳ではないが、仏教色が濃くなった[29]天國押波流岐廣庭命〜[34]ということになろう。
後者は[26]哀本杼命/継体天皇后 手白髮命による、御子系譜への強いこだわりで、この皇統になったように映る。[27〜28]と[31〜33]は傍流とされた訳で、ここでの角逐はすさまじいものがあったに違いない。[27〜33]については、宮地と御陵地以外は書かないことにしているのは、その辺りからくるリスクを鑑みれば当然と言えるかも。
宗教・各地経済基盤・対外関係が土台から揺さぶられた時代でもあったのだろう

つまり、大所は、こういうことになる。・・・

[15]品陀和気命/大鞆和気命/応神天皇
┼┼
├──[16]大雀/仁徳天皇 📖一応は善政天皇としてはいるものの
┼┼├─┬─┐
┼┼
┼┼
┼┼[21]大長谷/雄略天皇
┌┤
●┬△
┼┼┼├─┐
┼┼┼[25]小長谷若雀/武烈天皇
[26]哀本杼命/継体天皇
┼┼┼▲手白髮命
└─┬─┘
┼┼[29]天國押波流岐廣庭命/欽明天皇
┼┼└●[30]
┼┼┼└○忍坂日子人太子/麻呂古王
┼┼┼┼[34]
● ▲[33] …「古事記」"完"

● ●

どうあれ、上記を見る限り、[15]品陀和気命/大鞆和気命/応神天皇が古事記33代天皇系譜における中興の祖ということになろう。

おそらく、[29]天國押波流岐廣庭命/欽明天皇代に皇祖神として加えられて、尊崇が始まったのではないかと思われるが、それを示唆する話はなにも無い。
[15]⇒[26]については、系譜が記載されていないところを見ると、「上宮記」からの引用を嫌ったようだ。換言すれば、代が離れすぎておりたいした意味無しと判断していることになる。このことは、皇后 手白髮命によって、皇統が引き継がれたという見方をしていることになろう。手白髮命⇒[29]⇒[30]⇒忍坂日子人太子⇒[34]が皇統ということであろう。
しかし、「古事記」は[33]で全巻完。その最終の[31〜33]から見れば、[34]は遠く離れた傍系に映ったろうし、その父は天皇でも無い。随分と大胆な継承であり、忍坂日子人太子は天皇扱いするしかなかく、読む側には違和感を与える書き方だ。
そこまでするなら、その先の系譜を掲載してもよさそうなもの。

参考に、「日本書紀」版を加えてみたが、近親婚志向が目立つ。皇族以外との婚姻関係は、皇位継承を巡る大動乱に繋がる可能性があるからか。はたまた、近親の皇位係争を少しでも減らすことができると踏んだか。

○忍坂日子人太子/麻呂古王  青文字は「日本書紀」。
└─┬△庶妹田村王/糠代比賣命
┼┼[34]天皇@岡本宮⇒舒明天皇
┼┼└┬△田眼皇女(敏達天皇+推古天皇皇女)

┼┼└┬────┐
┼┼┼├┬┐┼┼
┼┼┼葛城皇子/中大兄皇子/[38]天智天皇
┼┼┼┼
┼┼┼┼│●大海人皇子/[40]天武天皇
┼┼└─┐
┼┼└┬△法提郎女(蘇我馬子女)
┼┼┼古人大兄皇子
┼┼┼┼┼
┼┼└┬△蚊屋采女
┼┼┼蚊屋皇子
┼┼┼┼┼
┼┼└┬△n.a.
┼┼┼磯部皇子
┼┼┼┼┼
└─┬△大俣王(漢王之妹)⇒大俣女王
┼┼〇智奴王⇒茅渟王
┼┼└┬△吉備姫王
┼┼┼├┐
┼┼┼寶女王/[35]皇極天皇@飛鳥板蓋宮/[37]斉明天皇
┼┼┼└│─│─┘
┼┼┼┼軽王/[36]孝徳天皇@難波宮
┼┼┼┼└┬△間人皇女
┼┼┼┼┼有間皇子
┼┼┼
┼┼┼└┬〇高向王(用明天皇の孫)
┼┼┼┼漢皇子
---------------------
凡牟都和希王[15]品陀和気命/大鞆和気命/応神天皇
└┬△弟比売麻和加(洷俣那加都比古の娘)=息長真若中比売(咋俣長日子王の娘)
若野毛二俣王=若沼毛二俣王
【上宮記(逸文)@「釈日本紀」の系譜】
└┬△母々恩己麻和加中比賣
┼┼├┬┬┐
┼┼大郎子/意富々䓁王
┼┼└┬△中斯知命
┼┼┼乎非王
┼┼┼└┬△久留比賣命(牟義都國造 伊自牟良君の娘)
┼┼┼┼汙斯王
┼┼┼┼└┬△布利比弥命@弥乎國高嶋宮
└┐┼┼┼
┌────┘←@伊波礼宮時代
││
│└┬△中日売命(品陀真若王の娘2)
├┬┐
│┌─┘┼┼┼--- ↑㊥ ㊦↓ ---
[16]大雀/仁徳天皇
│└┬△石之日売命(葛城之曽都毘古の娘)…皇后
├┬┬┐
[18]蝮之水歯別命/反正天皇
┼┼[19]男浅津間若子宿祢命/允恭天皇
┼┼└┬△忍坂之大中津比売命(意富本杼王の妹)
┼┼┼├┬┬┬┬┬┬┬┐
┼┼┼┼┼┼[20]穴穂御子/安康天皇
┼┼┼┼┼┼┼┼[21]大長谷/雄略天皇
┼┼┼┼┼┼┼┼└┬△韓比売(都夫良意富美の娘)
┼┼┼┼┼┼┼┼┼├┐
┼┼┼┼┼┼┼┼┼[22]白髪命/清寧天皇 …無皇后 無御子
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
│┌┘┼┼┼┼┼┼┼┌──┘(若帶比賣)
[17]伊邪本和氣命/履中天皇
│└┬△黒比売命(葛城之曽都毘古の子 葦田宿祢の娘)
├┬┐┼┼┼┼┼
市邊之忍齒王
└┬△n.a.(荑媛)
┼┼├┐┼┼┼┼┼
┼┼[23]袁祁王之石巣別命/顕宗天皇
│┌─┘┼┼┼┼┼┼
[24]意祁命/仁賢天皇
││┌──────┘
│└┬△春日大郎女([21]大長谷若健天皇/雄略天皇の御子)
├┬┬┬┬┐
┼┼┼┼[25]小長谷若雀/武烈天皇
┌──┘
乎富䀀大公王[26]哀本杼命/継体天皇

└┬▲手白髮命
[29]天國押波流岐廣庭命/欽明天皇
└┬△石比賣命([28]檜坰天皇の御子)
┼┼├┬┐
┼┼┼[30]沼名倉太玉敷命/敏達天皇
┼┼┼└┬△比呂比賣命(息長眞手王の女)
┼┼┼┼├┬┐
┼┼┼┼忍坂日子人太子/麻呂古王
┼┼┼┼└┬△[庶妹]田村王/糠代比賣命
┼┼┼┼┼├┬┐
┼┼┼┼┼[34]

└┬△岐多斯比賣(宗賀之稻目宿禰大臣之女)
┼┼├┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
┼┼[31]橘之豐日命/用明天皇
┼┼┼┼┼[33]豐御氣炊屋比賣命/推古天皇

└┬△小兄比賣(岐多志比賣命の姨)
┼┼├┬┬┬┐
┼┼┼┼┼┼[32]長谷部若雀命/崇峻天皇

└┬△目子郎女(尾張連等祖 凡連の妹)
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[27]廣國押建金日命/安閑天皇
┼┼[28]建小廣國押楯命/宣化天皇

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