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■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.9] ■■■
[128] 下巻収録天皇のランク
序文では、"大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷"📖目次的下巻題名は見事といたってシンプルな紹介だが、皇子の血縁数が鼠算的に増え、以前にもまして継承をめぐる血みどろの戦いが繰り広げられ、かえって皇統断絶の危機だらけに直面してしまった、18代に渡る皇統譜記載の巻と言ってよいだろう。📖上中下巻の系譜上の切れ目

好事家でもないし、フェチあるいはイデオローグでもないので、躊躇していたのだが、原典について軽く触れておこう。
と言っても、とりあげるのは、数分で閲覧できる象徴的な部分だけ。・・・
 <「古事記」下巻内題[下付記]>
@國學院
起大鷦鷯皇盡豊御食炊屋比賣凡十_天皇 [@二條通觀音町風月宗智1644年]
無 「訂正古訓古事記」1803年 「校正古事記」1875年 「古事記標注」1878年
@NDL
起大雀皇豊御食炊屋比売命凡十九天皇 [京都印書館1945年:国宝真福寺本 1372年]
起大雀皇[盡]豊御食炊屋比売命凡十九天皇 [藤村作 編 1929年]
@未閲覧完本 卜部兼永自筆本 内閣文庫蔵秘閣本

言うまでもなく、19ではなく18である。・・・1仁コ天皇_2履中天皇_3反正天皇_4允恭天皇_5安康天皇_6雄略天皇_7清寧天皇_8顯宗天皇_9仁賢天皇_10武烈天皇_11繼體天皇_12安閑天皇_13宣化天皇_14欽明天皇_15敏達天皇_16用明天皇_17崇峻天皇_18推古天皇

上記では、19の数字がものの見事に消されていることがわかる。

その理由は自明。今に引き継がれる日本の伝統的対処方法である。

小生は、十九とは太安万侶が書いたと見る。この手の文章だらけの書であり、勝手にこの部分だけを後世挿入とみなす理屈が思いつかないからである。しかも、本文中でも、数え方がおかしい箇所がある。常識的に、数え間違いの数字を記載するとは思えず、意味がある数字だろう。
実質34代迄の系譜であることのことわり書きかもしれないし、倭建命は天皇扱いされているという意味の可能性もあろう。

もともと下巻には、称号が命でない記載があった。
[20]穴穂御子/安康天皇
巻末段に当たる女帝は命だが、あくまでも30代の大后ということのようだ。
明らかに、ランク分けである。

尚、命でなく天皇を尊称とする12〜14代の場合は、親政志向だと思わる。15代の前段であり、大和地区の臣下の拠点から離れた場所を選んでいるからだ。その発想から言えば、天皇名に"長谷"とあるのも同じことが言えるだろう。初瀬川上流の西流域に宮があり、磐余や三輪・巻向から一歩山谷へ入った場所。長谷ではないが、寺川上流に宮を設定した崇峻天皇も同様だろう。磐余〜飛鳥から至便な地を避けたとしか思えない。(長谷"部"は養育元を示す名称だから、体質的に同じような親政志向になったのかも。)

国宝真福寺本では、これがもう一歩進められている。
命でもなければ、天皇でもなく、皇子一般に対する王を称号にしている。上記の御子と兄弟継承問題という点では同類ともいえるが、違った扱いなのだろう。
[17][子]伊邪本和氣/履中天皇
[19]男淺津間若子宿禰命/允恭天皇
[24]意祁/仁賢天皇
[27]広国押建金日命/安閑天皇
[31]橘豊日/用明天皇

品陀和気命/大鞆和気命/応神天皇  📖系譜の史書との類似化で完か?
├───────大雀命/仁徳天皇
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┼┼┼┼┼┼┼穴穂御子/安康天皇
┼┼┼┼┼┼┼長谷若健命/雄略天皇
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┼┼┼┼┼┌─┤
┼┼┼┼┼意祁命(袁祁命の兄)/仁賢天皇
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┼┼┼┼┼┼┼長谷若雀命/武烈天皇
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哀本杼命/継体天皇
├┬△────┘
廣國押建金日命/安閑天皇…御子無
建小広国押楯命/宣化天皇
┼┼┼天國押波流岐廣庭命/欽明天皇
┼┼┼├─┬┬┐
┼┼┼橘之豐日命/用明天皇
┼┼┼長谷部若雀命/崇峻天皇
┼┼┼沼名倉太玉敷命/敏達天皇
┼┼┼豐御氣炊屋比賣命/推古天皇
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