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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.30] ■■■
[180] 錯綜する山信仰の世界
太安万侶は、山信仰の実態についてかなりわかっていたようである。・・・
倭国は、雑種の民が住んでいる地なので、山を崇拝するという点では同じではあるものの、その概念はバラバラであることに気付かない訳もなく。
と言うか、信仰発生は自然に発生すると考えるなら、全く異なる観念が存在していることは自明であるし。
と言うことは、どう分類するかで、見方も変わってくる。
「古事記」は海人が国を造ったと見ているようだから、ここでは、その視点を想定し、さらに山人や里人の立場を加えてみることにした。・・・
   【シンボル・・・海生業】
     浜/礁生業(時々刻々の気象変化予測と時刻感)
     近隣邑間交易(各邑表象)
     島嶼弧有視界航行(海図的ランドマーク)
   【真水・・・海人生活】
     定住者
     立ち寄り者
   【畏敬・・・脅威観念】
     自然霊@高山・秀麗峯・火山
     水分
   【直接的生業・・・山野】安全と成果
     狩猟・採取
     樵・炭焼・木地屋
     鉱山
   【間接的生業・・・里(農耕)】
     水源
     田の神訪問(農暦)
     先人…祖霊/死霊
   【他】 墓地、修行地、等


上記では、山信仰ありきではなく、海信仰に対して従属的あるいは付属的ということになる。おそらく、その関係が変わるのは、海彦⇔山彦の事績以後ということになろう。
しかし、そこで山信仰が独立的になったという訳ではなく、いわばペアということだろう。観念的には"山海"ということになる。
そう思うのは、品陀和氣命/[15]応神天皇の3皇子分治での記載。皇位継承(天津日繼)、食國之政、山海之政とされており📖インターナショナル視点での海原統治、山海というのは、島嶼国としては事実上海原と同義であろう。
俗に山海の珍味と言うが、それは統治権者である食國の王が味わうところから来ている気もするし。
  高天原
  └─→❸天津日繼
  国原→❷食国の政
  海原→❶山海の政
  異界

少なくとも南島信仰では山と海は一組と考えてよさそうだ。

海から上陸して来る神が祖であり、リーフから白浜へと入島となるが、その地の上陸目標は特徴ある丘≒山。本土と比較すると島は平板な地であることが多いが、石灰岩地があったりする。普通はそこらに湧水地や海から遡れる川の源流域。📖南島と本土の創世神話の関係これは「古事記」の神生みの順序である、海⇒川⇒山⇒野と符合している。

もちろん、本土ほどの高さは無いものの、火山岩の山がある島もある。亜熱帯性モンスーン地帯であり、本土の山とは植生がかなり異なり、全般的に山での生活に食糧調達上の魅力は薄いが、真水があるので可住地も無い訳ではないが、海人の居住域はこのような山とは無縁の筈である。
よ言うのは、山岳的地形になると必ず砂流出の川が生まれ、その河口周囲は珊瑚は死滅するのでリーフ無しとなるからだ。従って、山島での海人にとって魅力を感じる寄港できる海辺は限られる。そのため、どうあれ、山は島嶼弧有視航海の重要な目印(ランドマーク)となる。航海安全祈願対象とされて当然だろう。📖インターナショナル視点での无間勝間之小船
《南島》
薩摩半島南西部
┼┼┼┼大隅半島
硫黄島┼┼┼←大隅海峡(蝶は渡海できない。)
┼┼┼┼種子島馬毛島
口永良部島
┼┼┼┼屋久島
┼┼┼┼┼←境界(水深のため、海峡的な強い潮流。)
吐噶喇───┘
←吐噶喇海峡(獣類は渡海できない。)
奄美大島喜界島
与路島
徳之島硫黄鳥島
沖永良部島
与論島
沖縄本島
慶良間諸島
渡名喜島
久米島
 ┴(渡り鳥以外の鳥類は渡海不能。)
 ┬
宮古島
伊良部島
多良間島
石垣島
竹富島
小浜島
西表島黒島
 ├───波照間島…有人最南端(漂着可能性が高い。)
与那国島…有人最西端
 ┴…西方に向かうと大陸に到達する可能性が高い。
 ┬…台湾東側発は太平洋に流される可能性が高い。(生物的繋がり認められず。)
《台湾》

但し、このような南島の風土は想定でしかない。文字資料は薩摩と明朝の意向に沿っている儒教国琉球国のものしかなく、各地の伝承が古代の雰囲気をママ伝えているという保証などほとんどないからである。
しかし、こうした考え方を避ければ、いずれかのドグマ論を選ぶことになってしまうから止むを得まい。

「古事記」では、先ずは出雲ということになるから、そこらで考えてみよう。山と言えば、三瓶山と伯耆大山になる。後者は頂上から壱岐まで見渡せる単独山1709mで日本海上からは圧倒的存在の標識山と言えよう。裾野が広いので峯は多く、様々な宗教勢力が関与していそう。([主峰]剣ヶ峰 [第二峰]弥山 三鈷峰 烏ヶ山 船上山 [+ 擬宝珠山 蒜山 皆ヶ山])当然ながら、大己貴命の御神体山とされるが出雲國の山ではないし、「出雲国風土記」では伯耆國火~岳とされており、あくまでも航行標識としての火山神の山だったと考えるのが自然だ。

ただ、場所によっては、大山が隠れてしまう地もあり、その代替としては、米子辺りの孝霊山/高麗山/瓦山751mとなろう。その名称からみて朝鮮半島からの渡海時で目指す邑がある地の目印山だろう。

出雲以前の記述では、地名なき、一般名の山神が存在するが、こちらも考えてみれば大山と同様と考えることもできそう。その場合は瀬戸海中央の海図の核であり、戦略的要衝地としてのシンボルということになろうか。・・・
《大山津見神》
 [芸予海峡]大山祇神社(大山祇命/和多志大神)@大三島宮浦
和多志大神との別称が付いているが、これは百済渡来で摂津三島に座した和多志大神[「伊予國風土記(逸文)」]から来ている。瀬戸海での勢力関係は単純ではないようだが。
 三島鴨神社@摂津三島(高槻淀川沿)
この神は、壱岐にも祀られており、下記に示す系譜に於いても、女系で基盤を形成しており、須佐之男命はほぼ入り婿状態だったと見ることもできそう。
 [隠岐]大山神社(大山祇命)@隠岐知夫仁夫 & 西ノ島美田
 [隠岐]大山神社@布施

○伊邪那岐命
└┬△伊邪那美命
├────┬┼┼┼┼─┬┐
大山津見神┼┼┼┼┼││
└───┬△鹿屋野比賣神/野椎神
└┬△┼┼┼┼┼┼┼┼││
┼┼├─┬─┬─┬┬┐││
┼┼○足名椎神│││││
┼┼神大市比賣││
┼┼└┬手名椎神││││
┼┼┼櫛名田比賣││││
┼┼┼┼┼│││││
┼┼┼┼┼└┬───┐││
┼┼┼┼┼┼┼┼┼├○建速須佐之男命
┼┼┼└┬──────┘
┼┼┼┼○八嶋士奴美~┼┼
┼┼┼┼┼┼┼│││┼┼
┼┼┼┼└┬──木花知流比賣
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼△天照大御神
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼├┬┬┬┐
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼正勝吾勝勝速日天忍穗耳命
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼└┬△萬幡豐秋津師比賣命
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼┼├┐
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼┼┼天邇岐志国邇岐志天津日高日子
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼┼┼│番能邇邇芸命
┼┼┼┼┼┼┼┼┼石長比賣
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼木花之佐久夜毘賣
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└┬───┘
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├┬┐
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼天津日高日子穗穗手見命

大山津見神の女系一族に須佐之男命が加わったことで、海人信仰の山の概念が、内陸の大きな山の地主神へと拡張が進んだと見ることもできそうだ。・・・
《大山咋神/山末之大主神
 …※大年神(須佐之男命+神大市比売)+天知迦流美豆比売
  日吉大社@近江国日枝山/比叡山
  松尾大社@葛野松尾

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