→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.16] ■■■ [196]伊勢宮は所与の祭祀場 神宮は、伊勢と石上しか登場しないのである。特に伊勢は、"拜祭伊勢大神之宮"(斎宮制度)がすでに10代天皇の時に始まっている。 📖神宮祭祀の大胆な転換 何故に、伊勢に天照大御神を祀るのかが自明ではない。神自身が鏡を依り代として祀るよう詔を出したから、というだけ。常識的には、本貫地というか、誕生の地たる日向が向いていそうに思うのだが。 ともあれ、降臨を寿ぎ、その威光を後世に伝えるコンプレックスを造れという命と見てよさそう。・・・ 【天降(5伴神)】 --- (天照大御神)詔者: 「此之"鏡"者 專爲我御魂 而 如拜吾前 斎き[伊都岐]奉 次 思金~者 取持前事爲政 此二柱~者 拜祭 拆釧[佐久久斯侶](伊勢内宮)五十鈴の宮[伊須受能宮] 次 豊受神[登由宇氣~*] 此者坐(伊勢)外宮之度相~者也 *:尿成~・・・次和久産巣日~ 此~之子謂 豐宇氣毘賣~ 次 天石戸別~ 亦名謂:櫛石窻~ 亦名謂:豐石窻~ 此~者御門之~也 次 手力男~者 坐佐那那†縣也」 †:⛩佐那神社/中宮大森社@多気(佐奈)仁田 + 内宮相殿神 †:↓【開化】佐那造 之祖 天降案内役と対応者天宇受賣命も、このコンプレックスに加わることに。天宇受賣命は絶大な功労者であるからわかるが、猨田毘古大~は天神ではないし、天降で道案内をしたとはいえ、どうしてそこまで重視するのか考えておく必要があろう。 📖比良夫貝譚採択の洞察力の鋭さ 【降臨後(猿田彦大神)】 --- (天照大御神)詔 天宇受賣命: 「此立御前 所仕奉猨田毘古大~者 專所顯申之汝送奉 亦其~御名者汝負仕奉是以猨女君等」 : 猨田毘古~ 坐阿邪訶※ 時爲漁 而 於 比良夫貝 其手見咋合而沈溺海鹽 ※:⛩阿射加神社@壹志郡(阿坂山東麓)/松阪大阿坂+小阿坂 ⛩猿田彦神社@伊勢宇治浦田 ストリッパーの女性を猿女君と呼ぶ由来譚にもなっているし、海鼠の口裂け由来譚もあり、猿女君達(海女)が初魚介を献納することになっていたとされる。笑いを誘う語りになるのだろう。 いかにも海人伝承譚という趣になっており、溺れた猨田毘古~からは3御魂が顕れる。海人の3神志向ははっきりしているようで、海底+海中+海上の3層観念があるようだ。 《沈居底之時》底度久御魂 《海水之都夫多都時》都夫多都御魂 《阿和佐久時》阿和佐久御魂 本来的には、安曇3神、住吉2神、宗像3神と並ぶ、猿田3神とされてもよさそうに思うが、後継氏族名の記載はないから、伊勢の潜水漁撈民としての存在に留まってしまったのだろう。 それにしても、鏡が天照大神の依り代であるにもかかわらず、天孫がお祀りするのではなく、伴神に神主的役割を担うようにするのは、そうそう見られない宗教文化と違うか。 鏡がレガリアなら、王権の象徴として宮のしかるべき場所に安置しそうなもの。 伊勢神宮には草那藝劒も安置されていたとされるから、さらに驚かされる。しかも、その神宝を倭建命が賜ることになる。 初代天皇の皇子が[大王:弟]神沼河耳命+[祭祀王:兄]神八井耳命として統治する構造を造ったとすれば、伊勢の海人たる船木直は神職系だったことになろう。(尚、太安万侶の多家も同祖である。) ----------------------------- 【神武】 ♪歌曰:神風の 伊勢の海の 大石に い這ひ廻る細螺の・・・ <神八井耳命>・・・伊勢船木直・・・之祖 【孝昭】 <兄 天押帶日子命>・・・伊勢飯高君 壹師君・・・之祖也 @飯高郡・一志郡/松坂 【開化】 <曙立王>伊勢之品遲部君 伊勢之佐那†造 之祖 【崇神】 <妹 豐鉏比賣命>拜祭伊勢大神之宮也 【垂仁】 <倭比賣命者>拜祭伊勢大神宮也 【景行】 天皇 亦頻詔倭建命 言向和平 東方十二道之荒夫琉神・・・ 故受命 罷行之時 參入 伊勢大御神宮 拜神朝廷 ・・・ ・・・患泣罷時 倭比賣命 賜草那藝劒 <建貝兒王>・・・伊勢之別・・・之祖也 【應神】 此之御世 定賜・・・伊勢部也 【雄略】 ♪天皇坐長谷之百枝槻下 爲豐樂之時 伊勢國之三重婇・・・ 【繼體】 <佐佐宜王>拜伊勢神宮也 【敏達】 娶 伊勢大鹿首之女 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |