→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.18] ■■■
[137] 比良夫貝譚採択の洞察力の鋭さ
「古事記」には、土偶や銅鐸を直接的に示唆する話は収載されていないが、南島の海神宮での婚姻が皇統譜上重要なこともあって、南島の貝輪文化圏との紐帯を感じさせる話がある。
と言っても、そのような解釈が必ずしも定説になっている訳ではない。

それは、猿田毘古譚である。

なかでも一般読者の目を引くのは、漁撈中、比良夫貝に挟まれて溺死という最期。(死と書かれてはいないが。)
ソースを確認したのではないからわからぬが、南方の、シャコガイ/硨磲貝に絡む伝承譚モチーフで、ほとんど瓜のものがあるという。
そんなことがありえるのか疑問を覚えるが、地勢と海流の繋がりを考えれば、それこそメラネシア・ニューカレドニア〜スンダ域・ニューギニア〜フィリピン〜台湾〜日本列島は一連の弧であり、古代から連携があってもおかしくはない。史書類情報が得られないので無視する姿勢も問題があり、証拠は後から付いてくると考える強引さもある程度は必要かも知れない。

しかし、南方に蘊蓄を傾けていそうな南方熊楠の「十二支考」📖十二支薀蓄本を読んでだったと思うが、この貝は本居宣長の推定通りタイラギ/太以良木📖たいらぎの話@2008年だろうと書いてあり、ガッカリした覚えがある。
現地の民俗的検討をもとにした科学的な実証論考で、論旨も筋が通っているということで、その考察に敬意を払っているのである。実際猿が貝に指を挟まれることはめずらしくないとの観察報告もあると、ベタ褒めなのだ。その姿勢はわかるものの、三猿は天竺のハマヌーンと指摘するような冴えは感じられず残念。📖猿@ジャータカを知る

と言うか、猿が絡む話は天竺〜東南アジア〜南方中国〜台湾に豊富にあり、特に、日本猿と極めて近い台湾猿の地の少数民族に類似伝承譚があって当然。直接的繋がりがあるのか、解釈はそう簡単ではないこともある。猿との婚姻譚も珍しいものでもないし。
🐒[「今昔物語集」巻二十六#7/8] 美作国神依猟師謀止生贄語 飛騨国猿神止生贄語📖猿神退治

この神はなかなかに不思議な存在で、國~であり、天神でもないのに、天孫降臨の際に天の八巷に登場してくる。それなら、境界で、邪魔するのかと思えば随行役を申し出ている。
その貢献は大きかったようで、大神という尊称が付けられている。📖「記・紀」は神の概念が異なるそれほどに重要視される理由は判然とはしないものの。ともあれ、高天原から出発した降臨部隊に加わったことで、天宇受売命(祖:猿女君)と夫婦になる。
爾 日子番能邇邇藝命將天降之時 居天之八衢[=多数の分かれ路]
而 上光高天原下光葦原中國之~ 於是
故 爾 天照大御~高木~之命以 詔天宇受賣~:
 汝者雖有手弱女人 與伊牟迦布~ 面勝~故 專汝往將問者
 "吾御子爲天降之道 誰如此而居"
故問賜之時答白:
 僕者國~ 名猨田毘古~也 所以出居者 聞天~御子天降坐故 仕奉御前而參向之侍


どうしても猿的様相に目が向きがちだが、注目すべきは、高千穂到達前の、分かれ道に居た神に出会い守護役にしたとの内容の方。このことから近世になってこの神が道祖神的に祀られることになるが、もともとの起源は実はかなり古いのではないかというのが、素人の率直な感想。

南島の現在まで続いている風習を知っていると、どうしてもそう考えてしまうのだ。
特に沖縄に目立つが、丁字路や三叉路などの突き当たりに、"石敢當"と刻した石碑(大陸の風習だが、南島伝来時点は不詳。大陸では西漢の時代にはすでに存在していたが、最古の出土品は8世紀。)をみかけるからだ。呪術的な碑だが、本土の道祖神のような存在と説明されることが多い。
俗称はアジマー神。
この語彙は交差点☒のことで、突き当りではない。つまり、石敢當の設置とは、突き当りから邪鬼が入って来たりしないように、X印を描いた除邪のお札を貼っているようなもの。
そう書けばおわかりのように、こうした☒☑印とは海人の入墨マークそのもの。白川漢字学的には、文身💃の胸とか兇に示されている呪術印ということになろう。📖"文"字について
海蛇・鮫に襲われないためのお守りは不可欠ということで、古代から海人世界では存在していたと考えられる風習である。

南島の除邪は、もちろんこれだけにとどまらない。特筆すべきは、貝殻の霊力を重視した風習。これは、南西部九州に伝わっており、そこからさらに日本海沿岸にまで到達したことが考古学的に判明している。
 📖すいじ貝の話@2007年 📖おおつたのは貝の話@2009年

それでは、シャコ貝はどうなのかと言うことになるが、副葬品や墓門的な存在として使われており、墓制と関係していたことが知られている。プロの海人が、この貝に挟まれて溺死という可能性は低いだろうが、ありうることで、そのような話はどこでも珍しくない。その理由は、シャコ貝が死と直結する伝承が西太平洋島嶼域に存在していておかしくないからだ。
現代では、絶滅への道を歩むしかないが、古代は溢れかえるほど棲息数だった種であり、海辺の邑全滅を引き起こした津波後の光景が目に焼き付いた筈だからだ。巨大な貝が浜辺にゴロゴロ。そして、その貝の表象はX印。

これで、南島に於けるシャコ貝信仰の本質が、ようやく見えてくるのだが、わかりにくいことこの上ない。そして、ここまで来ると、その残渣が言葉として残っていることにも気付かかされることになる。・・・
  アジケー[=【現 沖縄方言】ヒメシャコ貝…美味:棲息北限の大を姫が代替]
アジマー貝として認識されていたのはほぼ間違いなかろう。

ここで「古事記」に戻ろう。
上記に続くのは、女性である天宇受賣命の名称"猨女"に男性用の"君"を付ける理由の説明。
故 爾 詔天宇受賣命:
  此立御前所仕奉 猨田毘古大~者
  專所顯申之汝送奉
  亦 其~御名者汝負仕奉
是以猨女君等 負其猨田毘古之男~名 而 女呼猨女君之事是也


素人には読みずらい文章だが、高天原出自の天宇受賣命が命じられたのは3つ。
  (国神の)猿田彦の御前で祀れ。
  お送りせよ。
  その御名を頂戴せよ。
そして猿田彦は漁の最中に貝に手を挟まれて海中で溺れることになる。
故 其猨田毘古~ 坐"阿邪訶"[音の地名]時 爲漁 而
於 "比良夫"貝其手見咋合而沈溺海鹽

  其沈居底之時 名謂 底度久御魂
  其海水之都夫多都時 名謂 都夫多都御魂
  其阿和佐久時 名謂 阿和佐久御魂


伊邪那伎大神の禊@筑紫日向橘小門阿波岐原の三前大神と並ぶ"阿邪訶"之三前大神とでも言えそうな海神の由緒譚と言えよう。
  墨江之三前大神
  伊都久三前大神(阿曇連)
  胸形之三柱神
この場所だが、伊勢とされている。
  阿射加神社@松阪小阿坂(御祭神:猿田彦大神 伊豆速布留神 竜天大神)
     創建:垂仁天皇18年 or 永禄年間室町

  阿射加神社@松阪大阿坂(御祭神:猿田彦大神 伊豆速布留神 底度久神)
ここでハタと思い至る訳である。
アジケー神社と違うか、と。そうなると、黒潮海人ネットワークの拠点でもある伊勢の祖は猿田彦と読むべきかも、と考えたりすることになる。
しかし、ヒラフ貝という名称の出自は五里霧中になってしまう。
南島から渡来した伊勢の海人の祖の名称と推定する位しか思いつかぬ。

それはそれとして、この話の続きが、献上魚の儀式話。猿田彦の霊力で魚族が大集合して、高天原のお遣いである天宇受賣命に、御饌として使える旨伝えるのである。国譲りならぬ、漁権譲りということか。その代わり、猿女の演として、その存在を後世迄称えますゾということのようにしか読めないが。
於是送猨田毘古~而還到
乃悉追聚鰭廣物鰭狹物以問言:
 "汝者天~御子仕奉耶" 之時
諸魚皆"仕奉"白之中
海鼠不白
爾 天宇受賣命 謂海鼠云
 "此口乎不答之口"
而 以紐小刀拆其口 故於今海鼠口拆也
是以 御世嶋之速贄獻之時 給猨女君等也

それにしても、何故、海鼠を敵視するのだろうか。📖なまこの話[種類]伊勢神宮の“贄海の神事”の必須品である海松の素潜り採取で邪魔者扱いされていたからか。現代では地位が逆転しているが。📖みるの話@2008年

折角だから、ここらで、小生の馬鹿話を記載しておこうか。

伊勢の海産物は呪術的価値が抜群。だからこその伊勢海老なのだ。その伝統は、その地では棲息が難しいシャコ貝代替品としての伊勢産ヒラフ貝から始まっているとみる。小生が見るに猿頬貝の別称である。📖あか貝の話@2006年おそらく、採り過ぎで、この役は早々に鮑にとって代わられてしまい忘れ去られただけ。鮑も需要が膨大になりその名声は長くは続かなかったようだ。今ではこの辺りの貝としては、希少な桑名蛤と英虞湾養殖の阿古屋貝しか耳にしたことがない。
ただ、伊勢貝産物が貝貨的"商品"とされた訳ではないから、そこらはお間違いなきよう。

倭は、中華帝国と違って貨幣化を嫌ったからだ。その導入の遅れは技術や資源のためではない。中華帝国では、南方から渡来の貝貨を使用していたこともあり、その気になれば倭もできないことはなかったし、中華帝国の貨幣も使っていたのである。しかし、その貨幣を国内流通させる気はほとんどなかった。

しかし、指標商品によるバーター取引を好んだ訳でもない。このことは、モノに霊を感じてしまうので、儒教的合理主義的交易には馴染めなかっただけと思われる。
貨幣は使いたくは無いものの、大陸との交易は不可欠なので、対外的には貨幣交易の顔を見せるが、国内での風土はそれとは全く一致していなかったことになる。
「古事記」はその2面性を伝えた書と言ってもよかろう。・・・外交を書くなどもっての他。

 (C) 2021 RandDManagement.com  →HOME