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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.15] ■■■
[195]実在確実性が高いのは次代と言うべき
"○○天皇は実在しない!"という手のお話が多いのにはうんざりする。
俗に言う、82の経験則からすると、2割はカルト的な人々だが、8割はそれなりに議論できる人達と考えがちだが、この世界はそれが逆になっていそう。実は、日本の社会とはそういう性情かも知れない。クワバラクワバラ。
小生からすれば、"空海は実在しない!"という主張とほぼ同じ。関係者にとっては重要だろうが、どうでもよい話である。常識で考えれば、全国津々浦々迄空海が踏破するなど流石に考えられないネ、と言うだけのこと。

伝承の話とはもともとそういう性格のものでは。

倭建命にしても、驚くほど多くの地に関係話が残っているが、そんなことは空海と同じで、物理的に有りえないにすぎまい。
「古事記」には、御陵の地が記載されており、白鳥となってそこらから飛んで行ったとされている。しかも、人々から慕われ、崇拝が集まったという。
要するに、倭建命系を本流とみなす人々の支持が高まり、改葬されたということだろう。だからこそ、通常なら天皇の御子が皇嗣の筈なのに、天皇位についていない倭建命の系統が皇統となったといういこと。

そもそも、太安万侶自身が、実在と判定した天皇を中巻に収載しているのであり、なんの情報も無いにもかかわらず、屋上屋を重ねて、実在性を検証したくなる気分がさっぱりわからぬ。

但し、国史編纂プロジェクトメンバーでもあったろうから、そちらの結論と全く異なりそうな天皇を加えたり、削除することはできないのは自明。しかし、この点についても、多少、異なる見解を見せている。「古事記」では、宮を決めて治天下するのが天皇ということのようだが、宮を設定したが天皇位に就いていない王が記載されているからだ。
特に、厩戶豐豐聰耳命は上宮とされており、特別扱いであるが、治天下とは無縁な表記。一方、坐葛城忍海之高木角刺宮の方は、天皇と同等と評価していることになろう。倭建命は風土記で天皇称号が付いており、天皇扱いにしてもよさそうだが、宮での統治者という訳ではないので、あくまでも太子であると見なしたのだろう。

話はもとに戻るが、驚かされるのは、初めての天皇との記載が二ヶ所あるのはおかしいとの主張が幅をきかせている点。片方の天皇は実在していない証拠との見方らしい。ここまでカルトの度合いが進むと、流石に調べる気にもなれないから、どういう論旨か知らないが。

ただ、初代天皇非実在論自体は正当である。太安万侶もそのつもりで、上巻と中巻の間という曖昧な位置付けにしていると考えるべきだろう。従って、137歳崩御との記載は重要で、農歴から見て妥当と判断したからこそ、上巻扱いではなく、中巻に記載すべきと考えたことになろう。東征についても、決して短期間で成功したと書いてある訳ではなく、ポイントをよく押さえてある。・・・筑紫1年だが吉備8年の滞在とされており、九州東南から、労働集約的だが、飛躍的な収量の増大を実現できる種を携えて武力支配を進めていたとすれば、新しい農法を実現するために必要な期間の違いを示していると見ることもできる訳で。
奈良盆地に入れば、なおさら時間を要することになり、同じ宮で一元支配は難しかろう。そうだとすれば、ここまでを上巻としてもおかしくない。つまり、実在していた状況を出来ろ限り描こうとしている訳ではなく、できる限り抽象化するということ。
奈良盆地西部葛城の高地勢力として定着したことを示すのが次代であり、ここが本来の中巻冒頭と考えることができるようになっている。
普通に考えれば、盆地における伝承譚は初代と次代以降に似たものが多かった筈で、取捨選択にたいした意味なしというのが実態ではないかと。

「古事記」はここらもインフォーマティブ。

初天皇は、奈良盆地域と関連する外部を治める力を持つ迄になった時点を意味していそうだし、天皇称号が3代続く時代は、東国〜九州を制圧し、さらに朝鮮半島出兵まで行うことで、東アジア島嶼国を樹立したことになる。
そして、天皇位を内政的に確立させたのが天國押波流岐廣庭天皇。
さらに、最終記載の前である32代も天皇称号が。御陵が宮の側にあり、なんらかの異常性を物語っているが、何も記載されていないのでその意味は読み取れない。
尚、序文には「古事記」編纂命を発した天皇を御大八洲天天皇と呼び、宮は、飛鳥清原"大宮"だ。清浄な原(≒神々の地)で偉大な宮を開設したことになる。道教の真人である。

📖__ 神倭伊波禮毘古+[伊呂兄]五瀬 高千穂 ⇒聞看"天下之政"
📖__ _(豐國宇沙)足一騰
📖__ _筑紫之岡田(一年)
📖__ _阿岐國之多祁理(七年)
📖__ _吉備之高嶋(八年)
📖神武 神倭伊波禮毘古命 畝火之白檮原宮 治天下也
📖綏靖 神沼河耳命 葛城高岡宮 治天下也
📖安寧 師木津日子玉手見命 宮 治天下也
📖懿コ 大倭日子鉏友命 輕之境岡宮 治天下也
📖孝昭 御眞津日子訶惠志泥命 葛城掖上宮 治天下也
📖孝安 大倭帶日子國押人命 葛城室之秋津嶋宮 治天下也
📖孝靈 大倭根子日子賦斗邇命 黒田廬戸宮 治天下也
📖孝元 大倭根子日子國玖琉命 輕之堺原宮 治天下也
📖開化 若倭根子日子大毘毘命 春日之伊邪河宮 治天下也
📖崇神 御眞木入日子印惠命 師木水垣宮 治天下也 "初國之御眞木天皇也"
📖垂仁 伊久米伊理毘古伊佐知命 師木玉垣宮 治天下也
_____ 印色入日子命命 鳥取之河上
📖景行 大帶日子淤斯呂和氣天皇 纒向之日代宮 治天下也
📖成務 若帶日子天皇 近淡海之志賀高穴穂宮 治天下也
📖仲哀 帶中日子天皇 穴門之豐浦宮 及 筑紫訶志比宮 治天下也
📖應神 品陀和氣命 輕嶋之宮 治天下也
📖仁コ 大雀命 難波之高津宮 治天下也
📖履中 伊邪本和氣命 伊波禮之若櫻宮 治天下也 …難波宮 假宮
📖反正 [蝮之]水齒別命 多治比之柴垣宮 治天下也
📖允恭 男淺津間若子宿禰命 遠飛鳥宮 治天下也
📖安康 穴穂御子 石上之穴穂宮 治天下也 …假宮
📖雄略 大長谷若建 坐長谷朝倉宮 治天下也 …吉野宮
📖清寧 白髮大倭根子命 伊波禮之甕栗宮 治天下也 …假宮
_____ [市邊忍齒別王之妹]忍海郎女/飯豐王 葛城忍海之高木角刺宮 也
📖顯宗 袁祁之石巣別命 近飛鳥宮 治天下(捌歲)
📖仁賢 意意祁命 石上廣高宮 治天下也
📖武烈 小長谷若雀命 長谷之列木宮 治天下(捌歲)
📖繼體 袁本杼命 伊波禮之玉穂宮 治天下也
📖安閑 廣國押建金日命 勾之金箸宮 治天下也
📖宣化 建小廣國押楯命 檜埛之廬入野宮 治天下也
📖欽明 天國押波流岐廣庭天皇 師木嶋大宮 治天下也
📖敏達 沼名倉太玉敷命 他田宮 治天下(壹拾肆歲)
_____ 名糠代比賣命 生御子 岡本宮 治天下天皇
📖用明 [弟]橘豐(之)日命 池邊宮 治天下(參歲)
_____ 日子人太子 娶[庶妹]間人穴太部王生御子 上宮之厩戶豐聰耳
📖崇峻 長谷部(之)若雀天皇 倉椅柴垣宮 治天下(肆歲)
📖推古 豐御食炊屋比賣命 小治田宮 治天下(參拾漆歲)
_舒明 _____ 岡本 📖継承ルール変更と鎮護仏教化の切れ目

📖天武 [序]御大八洲天皇 飛鳥清原大宮

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