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■■■ 「古事記」解釈 [2021.8.6] ■■■
[217] 欅は高木信仰を引き継いでいるのでは
槻弓が登場したので📖"梓"を使った理由がわからぬ、少々見ておこう。

それにしても、倭弓は、丸木というか、枝ぶりをママ利用していたようだから驚かされる。その気になれば複合材で仕上げるのはたいして難しくないから、信仰上そうならざるを得なかったのだろう。
倭人は体躯は小ぶりだが、腕力は頭抜けていたことになるからだ。
従って、実用性を考えれば、藤や竹材に変わって当たり前。と言っても、倭弓は相当鍛錬しないと使い物にならず、合理性を追求している訳でもない。

天竺では、弓材としては貝葉樹(多羅)や涅槃樹(沙羅)が使われていたようだから、弓は聖なるものとの概念はどこでもあったようだから、それだけのことと言えなくもない。儒教的合理主義は通用しない訳だ。
もっとも、欅材を使うことに決めた瞬間に、加工する気にもならないだろう。道具の方が壊れてしまいかねないからだ。それに、勝手に形を作ったところですぐに変形しかねない材なのだから。

大陸では弓は考古学上超古代から存在していたとされる。太陽を射る伝承譚がある社会だから当然だろう。
春秋戦国時代には兵器の主流と化しており、唐代になると用途毎に緻密な設計が施され、弓術は必須化された。(歩兵戦用長弓、騎馬戦用角弓、狩猟梢弓・格弓に分かれ、複合材[干 角 筋 胶 絲 漆]であるため工芸技巧がつくされたようだ。)一番威力のある5尺長弓の材は堅木が使われていたらしく、最良品は紫杉(一位)らしい。そうなると山毛欅や楡も多かった筈だが、欅はなかろう。

さて、槻/つきだが、ケヤキ/(光葉)欅の古名とされている。📖東京から消えゆく堂々たる木

   《軽物語⑪@[19]允恭 📖太安万侶流の歌分類
  隠国の 泊瀬の山の
  大峰には 幡張り立て
  さ小峰には 幡張り立て
  大峰にし
  汝がさだめる 思ひ妻あはれ
  槻弓の 伏る伏りも
  梓弓 立てり立てりも
  後も取り見る 思ひ妻あはれ

   《長谷之百枝槻下爲豐樂之時譚@[21]雄略
  天皇坐長谷之百枝槻下 爲豐樂之時
  伊勢國之三重婇指擧大御盞以獻 爾
  其百枝槻葉落 浮於大御盞
  其婇不知落葉浮於盞 猶獻大御酒
  ・・・(采女)即歌曰
    纏向の 日代の宮は
    朝日の 日照る宮
    夕日の日 翔ける宮
    竹の根の 根足る宮
    木の根の 根延ふ宮
    八百よし 斎の宮
    真木さく日の御門
    新嘗屋に 生ひ立てる
    百足る槻が枝
     上枝は 天を覆へり
     中枝は 吾妻を覆へり
     下枝は 鄙を覆へり
     上枝の枝の裏葉は 中枝に 落ち触らばへ
     中枝の枝の 下つ枝に 落ち触らばへ
     下枝の枝の裏葉は あり衣の三重の子が
      捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂
      落ち足沾水こをろこをろに 来しも
      綾に恐し 高光る 日の皇子 事の 語り事も 此をば

・・・要するに、御柱はケヤキというのは、古代からの伝統。

神が降臨する高木の代表だったということ。数十メートルに達する木はそうそうあるものではないからだ。
と言って、神つきというのが元の名称というのは無理そうだが。漢字は明らかに意味からくる当て字であり、幹も樹形も外周が円に近いので規ということだろう。その枝を使って作った丸木作りの弓は当然ながら、神聖な呪器ということになろう。
寺社建築用材として使われるようになると、御柱信仰を持ち込むのは具合が悪かろう。中国に合わせた欅とし、それを契機に読みも変わっただけ。
建築材に使われるようになると、木目の美しさが喧伝されるようになるものの、本来的には丈夫さ第一。変形を避けるため、丸太の外側を削って十分に乾燥させた筈。それは美観のためではなかろう。

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