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■■■ 「古事記」解釈 [2021.8.17] ■■■
[228] 参考にベトナムの状況を見ておこう
日本国有人最南端に位置する波照間島の信仰風土は、"倭⇒南島⇒先島"、"大陸西岸⇒"、"西台湾⇒"、"東台湾⇒"のうち、何一つ影響を受けずに伝統を守り抜いている印象が強い。対面する西表との交流なくして生活は成り立たなかった筈だし、唐銭流入もある上に、琉球国に属していたにもかかわらずだ。

なんといっても目を引くのは、「古事記」との類似性を感じさせる伝承や、ご神体は森で依り代や偶像も神殿も無い信仰という点。📖波照間島の聖地観念が倭の古層か
時間軸上、遺跡の連続性を欠くので、原住民が古代からの住民であるとの保証はないものの、これをどう考えるか突きつけられていることになり、既存概念から脱皮する上で、貴重な情報と言えよう。

同じような意義で、ベトナムについても見ておきたい。

ただ、こちらの場合は、現時点での信仰風土的類似性が存在するとの前提あっての話。国土、寺だらけで、大乗仏教国と呼べそうな国はこの2国以外にないし、漢字表記を続けてきた点も大きい。
と言っても、耳目を集めるのは、「無宗教」と考える人が多いので、日本とえらく似ているとされる点。
従って、その通りと言えなくもないが、安直に考えると、誤解が生まれ易いから要注意だ。
【85%未満】越/キン族(or ベト族)
  <主体…浄土禅的大乗仏教(+儒教+道教/雲雨雷電四法呪術)
    禅系:毘尼多流支派 無言通派 草堂派 竹林派 原紹派
    浄土系:蓮宗
  <南部タイニン省>…道高臺教/カオダイ教
  <南部デルタ>…和好佛教/ホアハオ教
  <都市部旧支配層>…カトリック
【15%以上】公称53民族
  <主体:北西部山岳域在住の少数民族(モン タイ ヤオ etc.)…プロテスタント
  <南部クメール族>…上座部仏教
  <南部チャンパ王国系のチャム族>…ヒンドゥー教 パニ(イスラム教)
  <都市部インド系>…ヒンドゥー教 イスラム教

無神論ベースの社会主義国家観を基調とした政治体制であるし、旧南ベトナム政権が仏植民地時代から引き継がれた絶対少数のカソリック勢力を基盤としていたこともあって、一刀両断的に決めつけると、本質を見抜けない可能性が高いからである。

ただ、ここらも、政治体制が異なると、杓子定規的に眺めない方がよい。現存する信仰対象を眺めると、日本同様であることは確かなのだから。・・・
【渡来宗教施設】
  Chua
  Nhà thờ教会
  Đạo quán道観…北部のみ。無教団。(朝鮮半島同様に絶滅させられたか。)
【英雄・王・孔子・etc.院殿】
  Đền殿
【重要人物墓所(家屋)】
  Lăng mộ霊廟
【神社】
  Miếu
【鎮守社(ローカル)】
  Đinh
【天子関連は欠落】・・・Ông Trời天帝 or Thượng đế上帝

尚、創世譚では、「史記」三皇本紀の初代王、Thần Nông (炎帝)神農がベトナム人の祖先とされている。
もちろん、「史記」記述とは無関係な創世譚も存在している。
多少、確認が必要か。

中華帝国は名目はどうあれ、王朝変遷はあるものの、天子独裁-官僚統治の観念が続いて来た。渡来宗教排除にポイントがある訳ではなく、天帝承認の独裁者と官僚統治体制に親和性を欠く宗教は抹消される運命にある。(しかしながら、あくまでも儒教ベースなので、各宗族は自己の繁栄第一であり、支配者の宗旨に合わせて、渡来宗教へ一斉傾斜することは珍しくない。)
この辺りで、南越と朝鮮半島は異なる道を歩んできたことがわかる。後者は創始譚から属国化されており、王朝転換毎に過去抹消が行われて来たため、自らの記録自体が失われており、アイデンティティを創作する以外に手がない。儒教国なので、支配層の宗族の都合で、大中華帝国に呑み込まれる可能性があり、それを避けるには偏狭な小中華主義で生きるしかない。一方、ベースを儒教としなかった南越はそのような必要性が全く無かったと言うことになろう。

日本国同様、儒教の道徳律を導入した官僚システム整備には力を入れたが、宗教としての宗族第一主義を排除し、葬儀・法事の形式は導入しても儒者による宗廟祭祀を避けたことで、同じ道を歩まなかったと見て間違いなさそう。

そうなった決め手だが、「古事記」がクドイ位に指摘する、3神信仰が深く染みついていたから、絶対神天帝信仰を前提とした、宗族祖神信仰へ進まなかったということだろう。
土着的生活者が主体なので、どうしても環境信仰を後回しにすることはできなかったのだと思われる。
ベトナムの「無宗教」状況は、その流れで考えると、納得のいくもの。おそらく、3祈願が併存していると思われる。・・・
  先祖への感謝
  来世の安寧願望
  生活環境を取り巻く神々からのご利益
これに合わせての信仰なので、曖昧で混然としているように映ることになる。宗派に属すという発想は生まれようがなく、「無宗教」でもよいし、「仏教徒」でもかまわないということになろう。
そのように思うのは、家庭に於ける信仰は、天の観念と直接つながらない3神のようだから。極めて道教的であるが、倭の観念とたいして変わらない。📖竈神はインターナショナルな視点で眺めたい
家の中と、家の外の国家に係わることは別立てということになる。
  始祖On tiên sư
     …血族とは限らず職業のことも。

  竈神(灶君/タオクアンTáo quân)
     …琉球では火ぬ神/ヒヌカンになることも。

  土公Thổ công

ここらで一段落としよう。

上記を書いていて、小生が感じたこと。・・・

「古事記:序文は、倭は道教信仰の国であるかのような書きっぷりで、本文と違っていて違和感を覚えるが、それは読み取りが浅いということかも。
太安万侶の言う通りかも知れない。

そう思うのは、「酉陽雑俎」を思い出すから。この著者は、当代ピカ一知識人たが、貝(仏教)と壺(道教)の混淆を指摘することに熱意を傾けていた。それは、遠からず仏教は消えると予想していたからだろうが、確かに100%当たった。
太安万侶も同じ考えをしていたかも。
📖神祇による仏教取り込みを予想したのでは

神々が集合し意思決定を行う高天原の仕組みと、すべてを天帝差配する世界とは大分違うとはいえ、どちらにしても、仏教はこの観念と一致するところは無い。高天原ありきの皇統譜と仏教の思想は合わないと見なすのは、知識人なら自然なこと。
しかし、天帝-天子の儒教を宗教的に取り入れることをしなければ、仏教は道教を取り込むことで信仰の主流になれるのである。

太安万侶の予想は外れたと見る訳だが、マ、それも無理はない。朝鮮半島からの難民王族を収容したが、彼らは急進的な鎮護仏教徒だったからだ。しかし、現実には鎮護仏教の威力はなにもなかったからこそ、王家は断絶し、半島からほうほうの態で脱出するしかなかった訳で。

【参考】越南とは、揚子江以南の越地域の南端とする中華帝国用語。この地域はまとまりがなかったようだが、西雲南で前5世紀に生まれた銅鼓の出土を考えると、生産性が高い地域圏が存在していたのは間違いない。従って、前4世紀には紅河域でも王権が確立していたと見ることができよう。その後、始皇帝は象郡として支配。唐代になると安南となり、その頃、中部は林邑国/チャンパ王国、南部は、クメール/真臘と対立的な海洋国家と目される扶南国だった。
(東大寺大仏開眼法要で、舞楽を奉納した仏哲は中部のフエ出身渡来層である。官僚に登用された阿倍仲麻呂が節度使に任命されていたこともよく知られている。)

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