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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.24] ■■■
[204]神祇による仏教取り込みを予想したのでは
🙏一般に、宗教についてのアンケート調査はあてにならないが、日本の特徴として「無宗教」回答が大半を占めるというのは、当たっていそう。
ただ、それをどう解釈するかは人によって違ってくる。

村の鎮守は、都会でも地区毎にあり、津々浦々を網羅していそうだし、過疎化した地域を除けばどこもお祭りや初詣では結構な賑わいをみせている。参加者のいる家庭を氏子とみなせば膨大な数になる。
一方、そのような家庭は親族を埋葬したお墓を持っており、それが菩提寺所属となると、家族一同は寺の檀家ということになる。これ又、相当な数となろう。
両者を足し算すれば人口を軽く越えること間違いなし。
この状態で、「無宗教」とは言い難いが、それはマクロでの話。
個人にとってみれば、異なる宗教を同時に信仰していると答えるのには躊躇せざるを得ないからだ。と言って、どちらかを選ぶといっても難しい。特段の宗教活動をしている訳でもないから、とりあえず「無宗教」と答える人が多かろう。
(同じような無宗教感覚はベトナムでも見ることができる。ただ、共産党政権なので、同等な姿勢と考えてよいかはわからない。)

・・・突然に、現代の話から始めたが、このタイプの「無宗教」姿勢について、太安万侶は達観していたのではないかという気がする。
ここでは、そこらを語ってみようと思う。

ただ、天竺・震旦・本朝の宗教観が比較できる、「今昔物語集」をお読みになっていないとよくわからない論旨なので、あらかじめおことわりしておく。
と言っても、たいした話ではない。

先ず、「古事記」成立期の天皇の仏教への姿勢を見ておこう。・・・
編纂の詔を出した[40]天武天皇だが、武力で政権奪取した絶対王朝を作り上げたと見てよいだろう。その状態で、官寺/官僧が存在したのだから、仏教は国家の一部を形成しているに違いなく、古代からの天皇制国家体制に根拠を与えると共に、脅威を与えそうな存在を許さないための組織ということになろう。(そもそも、皇位継承闘争でのリスクを見抜いて吉野へ出家したのである。)
神祇と比較すれば、経典と行儀が緻密化されており、大陸に於ける事績が積みあがっていることもご存じの筈。仏教への"御利益"期待があったのは間違いあるまい。(しかし、国家防衛に役立つと考えていた訳ではなかろう。仏教国家百済の状況を見たのだから、厚遇することはなかろう。)
 📖天武天皇無視@今昔物語集

続く、(天武天皇后)[41]持統天皇(火葬)は勅願寺として薬師寺を建立しているし、[42]文武天皇(火葬)代には4大寺体制が敷かれた。
太安万侶が「古事記」を献上した[43]元明天皇(火葬)は葬儀簡略化の詔。従って、この時点で仏教の時代に突入していたのははっきりしている。

このような時代背景があるにもかかわらず、序文では仏教に対して知らん顔。

本文でも、下巻末の仏教導入の時代に当たる、天國押波流岐廣庭天皇から、豐御食炊屋比賣命と岡本宮天皇までの6代で、仏教には一言も触れていない。そもそも、その辺りは記載事績もほとんどなかったりするのではあるが。
  📖末段記載の意義不明
ところが、渡来人や儒教伝来は記載されている。それなら、渡来僧帰化の動きを付け足してもよさそうに思うが、完璧に無視と、実に徹底している。

一方、「今昔物語集」はかなり後世の院政時代成立と見られる書。仏教説話集として紹介する人がいる位で、仏教の歴史やその活動の裏表が辛辣な表現も含めて満載だが、仏教と無関係な話が多数収録されている。
読めば、当時の社会が見えてくる書である。しかも天竺と震旦の精神風土もおぼろげながらわかるように設計されており秀逸。読み方にもよるものの、本朝の特徴としては、仏教を導入したものの、雑炊信仰状況というところか。仏教自体も、聖徳太子系、役行者系、行基系が混じり合ってあっている状況が見てとれる。
この書が成立した頃は、貴族階層は現代のような「無宗教」状況とたいして変わらないと言ってよさそう。神祇の祭祀は滞りなく行われているものの、日常生活の信仰はそこにはない。もっぱら陰陽道。ところが、死後世界という点では、完璧に仏教に帰依しているのである。
「古事記」成立後に、突然にしてこのような状態になるとは思えないから、太安万侶の頃にすでにそのような雑炊状態が生まれていたと考えてよいのではなかろうか。

玄奘:「大唐西域記」646年を見る限り、仏教隆盛な地区もあることにはあるが、急速に衰微している様子がはっきりと記されている。太安万侶がその辺りを見抜いていた可能性もあろう。
  📖【印度仏教消滅原因】 [1] [2] [3] [4] [5] [6]
天竺では、現代も職業でフラグメント化された社会が続いており、定番の叙事詩が信仰基盤であることも昔から変わっておらず、現代にあわせた自らの世界の"法"が相変わらず追及されているようだ。仏教も一時的に広がったものの、この社会構造は微塵も揺らがず。人々は食べていくためには、フラグメント社会から脱出できる訳もなく、結局のところ個々人が寺院で精神修行するしかなく、パトロンがいなければそれも成り立たなくなるのは自明。

結局のところ、天竺での仏教は営々と引き継がれている叙事詩に組み込まれていくしかなかった。
ビシュヌは乳海では亀と化し、世界を支える海人勢力の代表として登場することで、そのような信仰をも抱え込んだが、ブッダにもなったのである。「バーガヴァタ・プラーナ」では、25もの化身(重要な10だけが紹介されるのが普通。)が記載されているが、最後はいわば未来仏(最終的な生者)にもなるのだから、すべてを包含し尽くす存在と言ってよいだろう。もちろん、ベーダ経典を否定する教えを説いたブッダ(一般名称)も化身の1つとされる。ベーダ否定ではなく、経典の恣意的解釈を防ぐための方便ということになる。

太安万侶は、その辺りに想いをはせ、日本国における展開を予想したのではあるまいか。・・・

叙事詩が残っているなら、仏教は王権をパトロンに一時的繁栄を遂げるものの、最終的には神祇に呑み込まれていく存在かも知れぬ、と。

一方、儒教によって、日本から叙事詩の類が抹消されていくこともあり得る。その場合は中華帝国同様に仏教は駆逐される。信仰はフラグメント化され、地場道教に取り込まれることになる、と。

序文から見て、太安万侶の読みは、日本は後者の道を歩むというものでは。国史編纂が始まり、儒教的合理主義による自在な解釈と、記述の整合性や、道徳的気遣いが浸透してくる状況に直面したからである。

その予想は大きく外れた訳だ。

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