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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.3] ■■■
[245] 阿蘇ピンク石への拘り
【継体】とは、継承問題だけを特に示す例外的命名。📖漢字2文字の諡号を眺めて:血族の後継者が消滅したため、大和朝廷大混乱と見た用語だと思われる。しかし、古事記ではそんなことを重視せず、淡々とした記述。名称も「哀本柕(おほと)」と、実にそっけないもの。血族維持の役目が果たせれば抹消されかねないのは自明であり、微妙な政治パランスの上で成り立つ新天皇家の誕生だったにすぎまい。中巻なら重要なお話だが、下巻であるからそれほど注目すべきものではないのでは。要するに、競合する皇位継承者を抹殺することで生まれた安定状態は結局のところその後の不安的を招くという政治パターンを示したに過ぎまい。(継体天皇[26]・・・越前の遠縁)

・・・と言うことだが、継体話に興味を覚える人が多いようで、書き物氾濫状態。皇位継承したか否かとか、皇統簒奪あり等々、様々なお話をするのが楽しい人だらけ。
小生から見れば、"So, what?"の世界であり、近寄りたくないが、除外検索が難しいので必ずぶち当たる。お蔭でウンザリの連続である。
その点、「古事記」の記述は素晴らしい。

前代段末尾の崩御記述の後、次代天皇段冒頭の前に、軽く皇位継承について書いてあるのみ。
日嗣ではなく、日續無しと記述してあるところから見て、前代は皇位簒奪可能性が微塵でもあるとなれば即刻お命頂戴を行って来ていたので、皇統持続はほとんど困難と見られていたようだ。
  天皇既崩 無可知日續之王
即位の条件として、婚姻関係が設定されていたことになる。
  故 品太天皇五世之孫袁本杼命
  自近淡海國令上坐而
  合於手白髮命授奉天下也

当の天皇の段の内容はと言えば、婚姻と御子17名のリストに、筑紫君石井を平定させたとの数行だけで、すぐに崩御の条項に入って、完了。
  天皇御年肆拾參歲
  <丁未年四月九日崩也>
  御陵者三嶋之藍御陵也

国史等では長々と記載が続くらしいが、ドラマティックな場面が設定できる話でもなさそうで、叙事詩として口誦して様になるような内容でもなかろう。

御陵は三嶋之藍とされており、比定地は江戸期にすでに荒らされた状態だった今城塚@高槻 郡家新町。公的には、保存状態がまともで、この辺り最大規模の茨木大田の茶臼山古墳とされ続けている。このため、全面的な発掘調査が可能な唯一の天皇陵となっている。📖伊波禮玉穂宮
┼┼┼ ←今城塚古墳
┼┼┼
┼┼┼女瀬川(⇒芥川⇒淀川@唐崎)
─○──────←摂津冨田駅@JR東海道本線
────────←阪急京都線
御陵として護られてこなかったらしく、盗掘し放題状態とみられ、石材転用も進んでいて石棺は喪失しているが、石材断片のみの出土。ところが、石材は一種でなく、3棺合葬だったと推定される。その岩石の選択だが、そこに、とんでもない拘りが感じられる。・・・
  宇土網津産阿蘇溶結凝灰岩(ピンク馬門石)《水銀塗布家形石棺蓋材》
  二上山白石凝灰岩《家形石棺蓋材》
  播磨産凝灰岩(高砂竜山石)《家形石棺蓋材》

注目を引くのは、巨大で重いピンク馬門石が遠路はるばる各地の湊を経由して運ばれて来た事実。しかも九州では石棺に使われていないどころか、宇土半島周辺での利用に限られているとくる。(石障系横穴式古墳の壁体/羨道部)

近江出身であるから、日本海側の一部でしか使われていない越前石棺を使うというのならわかるのだが。
  足羽山産越前青石(笏谷石)
このピンク馬門石製石棺だが、当然ながら、以下に示すように出土例は少ない。御陵はココのみで、他に目立つ特徴ある古墳がある訳でもない。(そもそも、近江圏は、前方後円墳文化が広がっているようには見えない地域である。)📖古墳リスト再掲
 備前…
  【灰色石】造山古墳@岡山 《舟形》
  野神古墳@長船 前方後円墳82m
  築山古墳@瀬戸内 前方後円墳115m《舟形》
 河内…
  長持山古墳@藤井寺 円墳(市ノ山古墳[允恭天皇陵]陪塚) 《家形2》
  峯ヶ塚古墳@古市古墳群 前方後円墳《舟形》
 淀川水系…
  丸山古墳+甲山古墳@野洲 近江毛野 円墳《家形》
  今城塚古墳@高槻郡家新 [26]継体天皇三嶋藍野陵 《家形3》
 山辺道…
  東乗鞍古墳@天理 物部氏 or 穂積氏 前方後円墳
  【色不詳】別所鑵子塚古墳@天理 前方後円墳《舟形》
  兜塚古墳@桜井浅古 前方後円墳《舟形》
  (慶雲寺裏)@桜井《舟形》
  (n.a.)@桜井《舟形》
 橿原…
  植山古墳双室西@五条野 [推古天皇+竹田皇子旧墓説は不可解]《舟形》
試行実験が行われたが、九州からの運搬にはとんでもない労力を要するから、九州〜瀬戸海〜淀川に至る地域を差配しているとの、威光を示すためには重要だったのだろう。

中央の支配層からすると、近江の一介の実力者を迎えて傀儡化を狙ったに違いないが、一枚上手で、統治者として君臨することになったといえよう。婚姻関係を眺めると、さらに、皇后手白香は衾田陵@天理であるから、琵琶湖〜北陸や琵琶湖〜桜井〜初瀬街道〜伊勢〜尾張のルートも抑えてしまったということにんあろう。中央の既存勢力は傀儡化どころか、影響力を失ってしまったと見てよいだろう。・・・
[26] …此天皇之御子等幷十九王<男七女十二>(2女脱落か.)
└┬△手白髮命([24]天皇の御子 手白髮郎女) ・・・中央既存勢力
│└─●[29]天國押波流岐廣庭命/欽明天皇
└┬△若比賣(三尾君等祖) ・・・近江勢力(琵琶湖西北岸)
│└─○大郎子 △出雲郎女
└┬△目子郎女(尾張連等祖 凡連の妹) ・・・尾張勢力
│├─●[27]廣國押建金日命/安閑天皇
│└─●[28]建小廣國押楯命/宣化天皇
└┬△麻組郎女(息長眞手王の女) ・・・近江勢力(琵琶湖東岸)
│└─△佐佐宜郎女…伊勢神宮拝
└┬△K比賣(坂田大俣王之女) ・・・近江勢力(琵琶湖東北岸)
│└─△~前郎女 △田郎女 △白坂活日子郎女 △野郎女/長目比賣
└┬△倭比賣(三尾君加多夫の妹)
│└─△大郎女 ○丸高王 ○耳上王 △赤比賣郎女
└┬△阿倍之波延比賣 ・・・大和桜井勢力(北陸〜東国に影響力)
└─△若屋郎女 △都夫良郎女 ○阿豆王

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