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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.6] ■■■
[248] 皇后や妃が誰か自明ではない
比賣 毘賣 日女 郎女という基本敬称に加え、皇后 (女)王 皇女 といった身分の称号が錯綜している感があるが、いい加減に使われている訳ではなさそうである。📖弟妹の読みは古代母系制の名残
と言って、細かく検討しても徒労に終わるのは見えているので、皇統譜全体像から、女性の扱いを考えてみたいところだが、俯瞰するのは結構骨だけでなく、そこから何かを読み取ろうとしても📖上中下巻の系譜上の切れ目、ゴチャゴチャしている上に、網羅的整理がしにくい情報しか見当たらないので、厄介なことこの上無し。

考えてみれば、朝廷の大プロジェクトでもないのに、一介の専門職官僚が、皇統譜上のヒエラルキーを勝手にあからさまにする記載ができる訳もないから、当たり前ではあるのだが。

ただ、知識人としての矜持から、そころを勘案しながら思案して書き上げたに違いない。
天武天皇の命で始まっており、神倭伊波礼毘古命を初即位の天皇としている点からして、皇后等の名称も導入せざるを得なかった筈である。このような称号はどう考えても、その時代に使われている訳もなく、そのような呼称にすべしという時代の風潮というか、朝廷の方針に沿ったものと見るべきだろう。📖天皇称号の開始時点

天武天皇代でどのようになっていたかは調べていないが、おそらく、すでに階層化していたことだろう。太安万侶もこれを念頭に置いて書いていた筈だ。・・・
  皇后(正嫡)
  妃(内親王:四品以上)
  夫人(三位以上≒公卿位)
  嬪(四位・五位≒殿上人)
(用語自体は、身分毎の配偶者称号から発生しており、中華帝国の王朝で官僚が使い易いように再定義し、天子の婚姻関係東征制度というか、後宮官僚組織の整備の過程で様々な変遷があったということだろう。)
   天子之妃曰后 諸侯曰夫人 大夫曰孺人 士曰婦人 庶人曰妻 [「礼記」曲礼下]

本格的後宮制度が発足すれば、職位同様になり、それぞれ定員も決められることになるが、流石にそれは難しかろう。

臣下としては、配偶者が血族であるから、その力を利用できる訳だが、天皇側から見れば一大勢力を取り込める訳で、バエンスがよければそこだけ見ればWin-Win関係になるが、両者に特別な紐帯がある訳ではないから、これとは無関係な官僚の画策で不安定し易いから、難しい仕組みである。近親婚を寿ぐ風土のなかでは、皇位継承を巡る角逐の熾烈化は避けられないし。

そんなことを考えながら、全体の系譜を一瞥できるような表を作ってみた。

皇后-妃-夫人-嬪という仕組みが触れられている訳ではないが、それを示唆するような記述をしている可能性は高いから、適当に判断して位をつけてみた。
そうすると、皇后並立があったとも解釈可能であろう。
○12⇒13⇒14と直系たるべきところが、そうならなかったのは、11⇒12の男系と並立して、11⇒倭建命后の女系があったともとれる。11⇒12は13への継承と、倭建命へ繋がる別脈があり、皇統は結局のところ後者になっていく。このことは、11代、12代は皇后並立、13代は皇后立てられずと考えることもできよう。
○16代皇后の石之日売は甚多嫉妬とされるが、皇后並立状況が生まれたことを意味していそう。
又、皇后不立もありえよう。もちろん、皇統断絶に直面した22代と25代が当たるが、上記から見て、13代も該当するとしてよかろう。
他に、18代だが、娶ったのは丸邇之許碁登臣の娘二人ており、事績も無いから、皇后が立てられなかったのではあるまいか。
27代は無子ということしか記載が無いので、なんとも言い難しだが、后妃無しということだろう。
32代になると無子との記載さえなく、宮で4年というだけ。御陵名が宮近辺のようにも見え、あわただしい崩御だったのだろう。宮名から見て好みの建屋を建造していそうで、立后はできなかったように見える。

嬪という呼称はなかったろうが、妃の身分より下とされる扱いはあった筈で、それにあたりそうなものをピックアップしてみたが、たいしていみがある訳ではなさそう。そのような見方に意味ありそうなのは、29代以降で、平城京時代の后-妃-夫人-嬪と似たラダーがすでに存在しているように見えるが、巻末は情報が全く無いので後宮的組織が存在していたのかは定かではない。

実は、それ以上に見ておきたかったのは、14代、22代、25代の継承者の辺り。系譜全体のなかでどのような位置に映るかである。
22代の場合、23+24代の兄弟が発見され、昇殿するが、その際の主催者は17代の皇女であると記載されている。・・・
  是其姨飯豐王聞歡 而 令上於宮
これは即位していた可能性を示唆している。と言うのは、後世の仏教系伝承から編纂された書[阿闍梨皇円(n.a.-1169年)[編]:「扶桑略記」]では、"飯豊天皇廿四代女帝"とされているからだ。
25代の場合は、系譜で探索して継承者を決めたとされている。その系譜は他書では確認できるが、肝心の古事記には記載無し。このことは、それは名目上で、系譜は女系の24⇒26ということと言っているようなもの。
残る14代だが、遠征地で崩御し、その後皇后が15代となる皇子を出産。当然ながら、15代即位迄長期に渡って摂政役を務めたことになるが、実質的には明らかに天皇である。
このいずれも、太安万侶からすれば天皇と書きたかったに違いなさそう。
だが、そうはいかない。朝廷の方針と異なるからだ。おそらく、天武天皇が国史編纂に当たって、男系直系を旨とするよう指示したのだろう。
_0_________________i

i__后________________ii
_…(神阿多都比売/木花佐久夜毘売)
ii_后________________iii
_…(豊玉毘売[姉妹↓])
iii后________________1
_…(玉依毘売[姉妹↑])
_1神武天皇____________2
_…(阿比良比売, 富登多多良伊須須岐比売/比売多多良伊須気余理比売)
_2綏靖天皇_____________3
_…(河俣毘売)
_3安寧天皇_____________4
_…(阿久斗比売)
_4懿徳天皇_____________5
_…(賦登麻和訶比売/飯日比売)
_5孝昭天皇_____________6
_…(余曽多本毘売)
_6孝安天皇_____________7
_…(忍鹿比売←5)
_7孝霊天皇__妃妃妃________8
_…(細比売, 春日千々速真若比売, 意富夜麻登玖邇阿礼比売, 蝿伊呂杼←○←○←3)
_8孝元天皇__妃妃_________9
_…(内色許売, 伊迦賀色許売, 波邇夜須毘売)
_9開化天皇__妃妃妃________10
_…(竹野比売, 伊迦賀色許売, 意祁都比売, 鸇比売)
10崇神天皇__妃妃_________11
_…(遠津年魚目々微比売, 意富阿麻比売, 御真津比売←8)
11垂仁天皇后后_妃妃妃妃妃______12
_…(佐波遅比売←9, 氷羽州比売, 沼羽田之入毘売, 阿耶美能伊理毘売, 迦具夜比売, 苅羽田刀弁, 弟苅羽田刀弁)
12景行天皇后后_妃妃妃 嬪嬪_____13 倭建命
_…(針間之伊那毘大郎女, 八尺之入日売←10, (妾), (妾). 日向 美波迦斯毘売, 伊那毘能若郎女, 訶具漏比売)
13成務天皇___
_…(弟財郎女)
_倭建_命_____________14
_…(布多遅能伊理毘売命←11, 弟橘比売命, 布多遅比売, 大吉備建比売, 玖玖麻毛理比売, n.a.)
14仲哀天皇____________15
_…(大中津比売←12, 息長帯比売[神功皇后])
_神功皇后/息長帯比売【14后】_________15

15応神天皇__妃妃妃妃妃______16
_…(高木之入日売=12孫, 中日売=12孫, 弟日売=12孫, 宮主矢河枝比売, 息長真若中比売, 糸井比売)
16仁徳天皇后后 妃妃 嬪_______17 18 19
_…(石之日売, 髮長比, 八田若郎女←15, 宇遲能若郎女←15, 黒日売)
17履中天皇_____________飯豊王
_…(黒比売)
18反正天皇___ 嬪
_…(都怒郎女, 弟比売)
19允恭天皇_____________20, 21
_…(忍坂大中津比売←○←15)
20安康天皇
_…(長田大郎女←19)
21雄略天皇__ 嬪嬪_______22
_…(若日下部王←16, 韓比売, 婚約未履行-引田部の赤猪子, 吉野川の浜に居た乙女)
22清寧天皇─┤
_…無
_飯豊王/青海郎女/飯豊郎女←17

顕宗天皇
_…(難波王←石木王)
仁賢天皇____________25
_…(春日大郎女←21, 糠若子郎女)
25武烈天皇─┤
_…無
継体天皇__妃妃妃妃妃妃____27, 28, 29
_…(若比売, 目子郎女, 手白髪←24, 麻組郎女←息長真手王, 黒比売, 倭比売, 阿倍之波延比賣)
27安閑天皇
_…無
28宣化天皇__
_…(橘中比売←24, 川内若子比売)
29欽明天皇__妃妃妃妃______30. 31, 32. 33
_…(石比売←28, 小石比売←28, 糠子郎女, 岐多斯比売, 小兄比売)
30敏達天皇__ 夫 嬪
_…(豊御食炊屋比売←29, 小熊子郎女, 比呂比売←息長真手王, 老女子郎女)
31用明天皇___ 夫 嬪
_…(意富芸多志比売, 間人穴太部王←29, 飯女之子)
32崇峻天皇
_…無
33推古天皇女帝【30后】
---
34______ 夫夫夫 嬪
35____女帝
36______妃妃
37____女帝
38_______ 嬪嬪嬪嬪 釆
39_______
40____
41女帝【40后】
42________ 夫 嬪嬪
43女帝
44女帝
45_______ 夫夫夫夫
46/48女帝
47________ 夫
49_____皇太 夫夫夫 宮3 嬬+
50______ 夫夫夫夫 女御5 宮12 嬬+

「古事記」最終段は33代だが、34代に繋がる系譜はその前で記載されている。(青字)国史ベースで補足してみると、女系というか、近親婚追求の姿勢は一貫していることがわかる。・・・
[29]欽明天皇
└┬△蘇我堅塩媛(蘇我稲目の女)=岐多斯比賣
├┬┬┬┬┬┬┬・・・
│●[31]用明天皇/大兄皇子=橘之豐日命
┼┼┼┼┼┼○桜井皇子=桜井之玄王
┼┼┼┼┼┼└┬△n.a.
┼┼┼┼┼┼┼├┬
┼┼┼┼┼┼┼
└┬△石比賣命([28]の御子)
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┌┘┼┼┼┼┼┼
[30]敏達天皇
└┬△[采女]菟名子(伊勢大鹿首小熊の女)=小熊子郎女
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│△┼┼┼┼┼
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└┬△[皇后]広姫=比呂比賣命(息長眞手王の女)
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○押坂彦人大兄皇子=忍坂日子人太子/麻呂古王
└┬△大俣女王(漢王の妹)=大俣王
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│△│┼┼
○茅渟王=智奴王
└──┬─△吉備姫王
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└┬──△糠手姫皇女/田村皇女=寶王/糠代比賣王
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┼┼[34]舒明天皇=@岡本宮
┼┼└┬──▲[35]皇極/[36]斉明天皇/宝姫王
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┼┼┼┼[38]天智天皇/中大兄皇子/葛城皇子
┼┼┼┼┼△間人皇女
┼┼┼┼┼│●[40]天武天皇=飛鳥清原大宮天皇@「古事記」序文
┼┼┼┼┼┼┼┼[36]孝徳天皇
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