→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.11] ■■■
[253] 崩御年記載有無が意味する状況
🗓中華帝国との外交関係は史書に触れられているにもかかわらず、国史では無視することに決定したようで、記載が始まるのは第二回遣隋使から。これにかかわらず、史書との整合性を図りつつ対抗意識剥き出しの編纂との指摘もあるようで、いかにも官僚の一大プロジェクトらしさ芬々。

一介の官僚が、国家の方針に反する姿勢をとれる訳もなく、知識人ならそれに合わせた仕事に嫌気がさしてくること請け合い。
「古事記」には、そのセンスが持込まれていると考えるのが自然と思うが、そう考えてはならぬというのが現代社会の掟。太安万侶の時代とはいささか異にする。

「古事記」編纂で、なんといっても圧巻なのは、隋煬帝が倭国に使節を派遣したにもかかわらず、知らん顔をしている点。これは仏教のインターナショナル性の発揚でもあり、パワーバランス上の合理主義も見ることができ、一大結節点だというに。
ところが、序文では、技というより、伎を凝らしたように見える中華帝国型文章で終始させ、その内容も道教コンセプトを倭の概念と同一化したという不可思議な代物。上奏文であるから、下手な遊びをする訳もなく、これが当時の流行であろうが、驚くべき記述方針と言えよう。

それを踏まえると、天皇33段の冒頭の書誌的記載事項の定型記述がされていない箇所には、太安万侶の考え方が凝縮されている可能性があろう。

すでに絶対年代については触れた。記載して意味ありと見た箇所だけ掲載されていると見てよいだろう。📖干支で絶対年代はそれなりに読める 📖干支の紀年記載に拘るな
崩御年齢についても、魏書 東夷伝 倭人で倭国暦が農暦であるとされているから、百歳以上がおかしな訳でもない。その表記は寶歴的な数字でもあり、伝承をママ伝えるべきと考えたのであろう。・・・
【隋煬帝仁壽四年/604年十一月】
癸丑、詔して曰く、・・・
茲を念い茲に在るは、感哽を興言せん。
朕 寶曆を肅膺し、纂いで、萬邦に臨み、遵して失わず、心より先志を奉ず。


しかし、下巻に入れば5世紀。まだまだ古代とはいえ状況は大きくかわっている筈。

ところが、ここで寶暦無記載だったり、例外的に124歳崩御とされる天皇が登場する。これは別クチ。この天皇だけは、いかにも例外扱い。百あるいは八十を加えて宝暦にさせていたということかも。「古事記」は史書ではないから、改定する意義などないし。

つまり、この天皇の登場で皇位継承のルールが一変させられたたことになろう。それと同時に、記録散逸が激しくなり、残っている伝承も種々雑多にならざるを得ないことになる。
換言すれば、崩御年無記載とは、天皇並立や長期無即位があった可能性を意味する。(倭の宝暦記載は、崩御で継承との決まりあってのこと。それが遵守できなければ無記載やむなしであろう。)

書き方から想像するに、21代とは、"権力を簒奪できてこその帝位"という思想を貫いた天皇だったのだろう。お蔭で、今迄の継承スタイルは頓挫させられた訳だ。21⇒22代は正式継承無しになってしまい、崩御年齢は書けないことになる。

それでも、23代は、なんとか皇統断絶を避けて立てることができたが、御子無しで再度断絶の危機に直面。しかたなしに、23⇒24代は弟⇒兄のタブーと思われるような手を使うしかなかったから正式継承できず、またしても、崩御年齢は書けなくなったのである。

そして、25代は、21代を越えるかのような強引な天皇がしてしまった。
こうなると、男系直系継承ルール云々どころではない。実態的には女系を重視するしかない訳で、📖「上宮記」系譜を無視する理由そんなことが通用するということは、女系継承の流れも残っていたことを意味していよう。

倭国とは、神権が女性で、王権が男性という仕組みであると見られたいた訳だが、史書ではそのような体制の存在には触れていないらしい。どちらが天皇とも言い難しであるから当然だが、女系も一系ということではなさそうだが、パラレルに存在していたと見た方がよさそうである。
「古事記」のここらの書き方を見るに、この時代になっても、女系の観念が払拭されていないと指摘しているようなものだからだ。
そして、最終巻末はドラマティックそのもの。ついに女帝が公式に登場したのである。

<ポイント>
大喪の礼で喪主を務めることが、皇位継承者としての地位を知らしめていた時代が終わったのである。仏教の浸透で大古墳造営は終焉し、薄葬化が急速に進んだが、同時に、葬儀と皇位継承の連携が薄れてしまった点も大きな変化と見るべきということになろう。「古事記」は、仏教については直接触れていないが、間接的には記載している。

┼┼
┼┼
┌┤

┼┼┼├─┐
┼┼┼[25]
└─┬─┘
[29]
[30]
│└○
[34]…皇嗣記載(岡本宮天皇)
[31] [33] …「古事記」"完"
[32]
[27] [28]

---下巻---
[33]豊御食炊屋比売命/推古天皇 37年間統治 628年[壬子]崩御
[32]長谷部若雀命/崇峻天皇 4年間統治 592年[壬子]崩御
[31]橘豊日命/用明天皇 3年間統治 587年[丁未]崩御
[30]沼名倉太玉敷命/敏達天皇 14年間統治 584年[甲辰]崩御
[29]天国押波流岐広庭天皇/欽明天皇 寶暦無記載
[28]建小広国押楯命/宣化天皇 寶暦無記載
[27]広国押建金目命/安閑天皇 535年[乙卯]崩御
[26]哀本杼命(品太王五世孫@近淡海國)/継体天皇 527年[丁未]崩御@43歳
[25]小長谷若雀命/武烈天皇 8年間統治寶暦無記載
[24]意祁命(袁祁命の兄)/仁賢天皇 寶暦無記載
[23]袁祁王之石巣別命/顕宗天皇 8年間統治 __崩御@38歳
[22]白髪大倭根子命/清寧天皇 寶暦無記載
[21]大長谷若健命/雄略天皇 489年[己巳]崩御@124歳
[20]穴穂御子/安康天皇 __崩御@56歳
[19]男淺津間若子宿禰命/允恭天皇 454年[甲午]崩御@78歳
[18]水歯別命/反正天皇 437年[丁丑]崩御@60歳
[17]伊邪本和氣命/履中天皇 432年[壬申]崩御@64歳
[16]大雀命/仁徳天皇 427年[丁卯]崩御@83歳
---中巻---
[15]品陀和気命/大鞆和気命/応神天皇 394年[甲午]崩御@135歳
[14]帯中津日子天皇/仲哀天皇 362年[壬戌]崩御@52歳
[13]若帶日子天皇/成務天皇 355年[乙卯]崩御@95歳
[12]大帶日子淤斯呂/和気天皇 崩御@137歳
[11]伊久米伊理毘古伊佐知命/垂仁天皇 崩御@153歳
[10]御真木入日子印恵命/崇神天皇 318年[戊寅]崩御@168歳
[_9]若倭根子日子大毘毘命/開化天皇 崩御@63歳
[_8]大倭根子日子国玖琉命/孝元天皇 崩御@57歳
[_7]大倭根子日子賦斗邇命/孝霊天皇 崩御@106歳
[_6]大倭帯日子国押人命/孝安天皇 崩御@123歳
[_5]御真津日子訶恵志泥命/孝昭天皇 崩御@93歳
[_4]大倭日子鉏友命/懿徳天皇 崩御@45歳
[_3]師木津日子玉手見命/安寧天皇 崩御@49歳
[_2]神沼河耳命/綏靖天皇 崩御@45歳
[初]神倭伊波礼毘古命/神武天皇 崩御@137歳

 (C) 2021 RandDManagement.com  →HOME