→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.25] ■■■ [267] 家宅6神の意味理解できず ・・・"大"は美称で、"毘古"は男神(彦)だから、この神は「屋」ということになるが、根を示唆する状況に無いのにこの文字を屋根と見なす理由は薄弱と見て、漢字の意味から死霊の板家的ニュアンスありという主旨でまとめてみただけ。 たまたま、字義から家的解釈になってはいるが、そこに注目している訳ではないので、いい加減な仮説であっても書いておかねばという気分。 屋根信仰があってもおかしくはないから、多数の見方に従っていても、どうということはないが、神生み冒頭にそのような話を収載したとなると、太安万侶の知性のレベルはたいしたものではないということになるからだ。マ、そうかも知れないのだが、全体を通して読む限り、ピカ一知識人に映るので、そんなことはありえまいと踏んだが、本当のところはどうなのだろうか。 (「国史」編纂プロジェクトメンバーは、多分、高度な教育を受けた秀才だろうが、お蔭で矛盾なきよう、多方面忖度の書を作成することになる。"権威"を示すたもの書であるから、「古事記」とは似て非なる内容となる。従って、「古事記」読みの参考にはすべきではない。太安万侶は、危ない箇所では難癖をつけられても言い逃れできるように配慮している筈だが、有能な官僚が問題ある部分に気付かない訳ではない。従って、そんな部分では、必ずストーリーを加えたり、文字を変えるなどして、太安万侶が示唆したかった点が見えないように十分な配慮を施して記載していると考えてよかろう。)📖御名代と御子代の違い指摘の鋭さ と言うことで、神生みの段。 ここは、頭から、イメージがさっぱり湧いてこない神名が並ぶ。現存する神社で祀られていそうにないので、とりあえず羅列しただけに映り、実に退屈な箇所。これでは、それぞれの神の意味を考えようという気力も湧かない。 それに、神の役割仮説を創出したところで、どうせ限りなくハズレに近いだろうということで、考えようとの気分にもなりがたい。 ただ、14嶋 35神との総合注記と小計があるので、<神生み>の全体構造だけはすぐに分かる。 <国生み> ↓ <神生み> 【初め】10神 ⇒【河海持別】 8神 ⇒【風・木・山・野】 4神 ⇒【山野持別】 8神 ⇒【天鳥船・大宜都比売神】 ⇒【火之迦具土神】 ⇒【火傷後の神々】 ↓ ⇒ (火神由来神) 8神 ⇒ (火之迦具土神屍体神) 8神 と言っても、【初め】の神々だけは、どういう役割を果たしているのか、はなはだわかりずらい。・・・📖㊤神統譜を読む難しさ 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】[海神] 【9】 【10】[妹] [自大事忍男神至秋津比賣神] 并 10神 よくわからないので、この10神については、極く一部触れたにすぎない。せいぜいが、4番目に登場する大戸日別神が大戸比売神と2文字共通な点が気になるという位のもの。📖竈神はインターナショナルな視点で眺めたい もっとも、ご存じのように、2〜7は住居関連(材料と構造)の神々[家宅6神]とみなすことになっている。家宅五祀という祭祀観もあるから、ミクロで見れば、その辺りに落ち着くのは自然な流れと言えよう。 石土 石巣≒石砂 戸日別≒出入口/門 天之吹≒屋根葺 屋≒屋根 風木≒家の対風守護 しかしながら、<神生み>を"家宅"という用語から始めるのは、西洋的世界構造の流儀からすれば納得感ゼロ。<嶋生み>の次が、突然<家宅生み>になり、続いて<自然環境生み>となれば、一体その住人はどうなっているのかとなるからだ。(尤も、ドグマ思考ありきの儒教的統制世界に馴染んでしまえば、そんなことは全く気にならなくなる。口では批孔の紅衛兵が語録"命"と化す訳で。) 西洋的教育を受けていれば、何もない世界に土地ができたら、続いて、そこに生命体が登場するというのが、フツーのセンス。家を作ってから、海・山や生命体を創出するという順番はおよそ考えにくい。 つまり、"家宅"を持ち出したら、思考を停止するしかなくなる。 と言うことで、かなり困難ではあるものの、この10神の位置付けを考えてみようと。江戸期から、膨大な数の学者が頭を捻って来て、どうにもならないのだから、無駄なことは自明ではあるものの。 【1】事 10神代表としての枕的役割としないと、これに続く神々が"家宅"と"自然環境"と繋がらない。ヒエラルキーがあるようには思え ないから統括役と考えるのも難しかろう。 それに、まとめ役なら全体をカテゴリー的に定義できそうなものだが、結構難しい。"家宅"と"自然環境"を一括する概念となると、せいぜいが、神々に囲まれた社会とするしかなさそう。但し、最後の対偶神は交流の地なので少々性情が違っているから、まとめるのは無理か。 事/叓/𠭏…状況(自然界事象+人類所作がもたらす社会現象) 物有本末 事有終始 知所先後 則近道矣 [「禮記」大學] 【2・3】石土+石巣 これは、石の地ということでの対偶神では。 石 ①=厂(山の崖)+口(転がっている岩石)…常識ベースの通説 ≒岩{=山+厂/山崖+口/岩]…論理欠如の3段トートロジー的説明 ②=厂+祝禱収納呪器…白川説(岩石信仰との強引な解釈) 谷[=八+八+口]も似ているが白川説では該当せずとされる。 ③≠厂+口(mouth)…意味不明 石=岩とする理由が判然としない。石の"□"型の部分の意味も、上記のどれも説得力不足と言わざるを得まい。 《□的文字》 ロ/片仮名(呂) 口/くち(mouth) 囗/くにがまえ /サイ(祝禱収納呪器…白川説) そうなると、発想を変えるべきで、この□は道具(石器)を意味しているのと違うか。崖から転がり落ちたというか、岩から剥がしたものが石ということになる。使い物になる石への信仰であって、石ならなんでもという訳ではなかろう。 従って、おそらく、□形以外の象形も存在していたと見る。 へ or △=磬(石製祭祀用体鳴楽器)⇒声 =殸+石…バチを持って吊りさげた石を叩いている象形 ⇒[日本仏教:金属器化]鏧 この文字が岩石信仰系の表記に合っている。・・・ 磐=般+石…巌での祭祀 …磐座 磐境…神籬 つまり、祏≠示+厂+祝禱収納呪器。 【4】戸日 📖竈神はインターナショナルな視点で眺めたい 【5】天之吹 家宅神の名称とすると、屋根を葺くとなる。 【6】屋 📖大屋毘古神の位置 【7】風木(津) この神名は、木を音で読めとの不可思議な読み註付き。家宅神の名称とすると、"かざモク"と読むとナニガナニヤラだから、津は助詞ではなく、"木津"として繋げざるを得なくなる。 思わず、これは倭語では無く、風木という漢語としたくなる。 【8】綿 この神だけ海神と記載されている。 【9・10】速秋 水戸(=湊)と記載されている。 以上、わかったことは、家宅神とする論調は、類似名の収集分析結果を示しているだけで、何のインプリケーションも無いという現実。何故そのような神々が最初に登場するのか説明ができない以上、ほとんど意味を成していない。 繰り返すが、普通に考えれば、嶋が出来たのだから、次ぎは青草と呼ばれる生命体が生まれて、土着信仰の原初創出となろう。それこそが葦原中国に於ける神生みと考えるからだ。 そのような考え方とは相容れない"家宅神生み"が神生みの最初ということになれば、「古事記」は読む価値の薄い書と言わざるを得まい。適当に伝承断片を集めて、古代から連綿と続いている国であるとの風情を醸し出せば十分という編纂方針であることを意味するからだ。 しかし、それは考えにくい。 一般論でしかないが、そのような書は、たとえ一世風靡したところで、そのうち消え去るもの。最古の書として、写本が残存しているのは、一部の知識人が貴重な書と評価したからこそ。 この書の存在によってメリットがあるとも思えない人々が大切に保ち続けて来たのだ。 よくわからないものの、倭に於いては、古くは人格神の観念が全く無かったことを、再度、書き留めておこうという意図で書かれた部分である可能性もあろう。 こんなことは、言葉では簡単に書くことができるが、そこには深淵な思想が存在するので注意せよ、と。 つまり、ヒトという主体概念自体が存在せず、客体概念も無いから、そんな観念が生まれるのだ、と主張したかったということ。すべてが包括的で主客分離されていない観念なので、現代人も、飛鳥の人々にも、すぐには理解し難い話である。 太安万侶が序文で道教的な国であるように描いているのは、必ずしも天武天皇の思想への共鳴感披歴だけではなく、主体と客体が分離できない"気"の世界で生きていたのが倭人と見たのかも。 それが、自動詞"成る"の根本思想ということになるし、"生む"も、主体-客体関係の概念を欠いているとしたら、現代の他動詞概念とは違うのかも。 ・・・「古事記」には哲学書的な風合いも兼ね備えていることになる。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |