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■■■ 「古事記」解釈 [2021.11.13] ■■■
[316] [私説]"朝臣"称号人気を予期していたか
天渟中原瀛真人天皇@飛鳥浄御原宮/大海人皇子/[40]天武天皇[在位:673年-686年]に編纂の命を受けた太安万侶は、八色の姓("真人"-朝臣-宿禰-忌寸-"道師"-臣-連-稲置)のうち📖日本型道儒国家の特徴、非皇族では朝臣が一番高位であるから、殿上人は皆そう呼ばれるようになると踏んでいたきらいがある。[参考→《多臣賜姓》]📖太安万侶の地位情報の危うさ

「古事記」では基本、"臣 連 首 直"といった、以前の表記に拘っている。臣と皇統譜を結びつける上では、それが実情を一番よく見せてくれるからだろう。朝臣という称号は、上奏の署名"正五位上勳五等太朝臣安萬侶"で使っているだけ。

そもそも、朝臣という用語は曖昧なところがある。・・・
  《朝臣》
  音:チョウシン
  訓:あさ-おみ⇒あそ
[阿曾][美]⇒あそ-ン
この朝臣という用語だが、中華帝国的には"一朝天子一朝臣"のセンスを感じさせるようだ。朝廷の高級官人(大臣)を意味しているに過ぎず、卿のような、官位名とは違う。おそらく、高級官僚のソサイエティの通俗的語彙なのだろう。
訓だが、文献的には、"あそみ"が最古の用語とされている。つまり、もともと倭語だったと示唆していることになろう。換言すれば、"あさ-おみ"⇒"あそみ"という音素欠落で生まれた言葉ではなく、たまたま"あそみ"≒"あさ-おみ"だったのでピッタリの当て字と化したことになろう。

但し、歌で用いる場合、語尾の"ン"音は文字表記されないので、朝臣は用いられていないと考えることになっているようだ。・・・
  《アソ[阿曽]》-《み[美]
  音素的表記で、漢語に存在している用語ではない。従って、歌中では、"あそみ"ではなく、"あそ-ン"と見るしかないが、み[美]という接尾語を外した、"あそ"という言葉も単独で使われていた可能性もありそうな気がする。
つまり、称号として使われる前に、"あそ"になんらかの意味があった言葉かもしれないということ。論拠を調べてはいないが、一説に、崖地/掘削した斜面とも。もっとも、そんなことがわかる訳が無いと思うが。


そんな状況で、アソという言葉を使っているのではなかろうか。
阿蘇の時代、親衛隊だった天皇直轄の高位の人々を指す言葉として用いていると考えたらどうだろう。もちろん、100%想像で、傍証皆無。よく見かける無理矢理の言葉類似性をあげつらう馬鹿話のレベル。

・・・このようなつまらぬことを考えているのは、冒頭で示したように、太安万侶が朝臣称号を賜わったのは40代天皇からで、"阿曽"を用いた御製は16代天皇と、遥かな隔たりがあるから。
16代天皇期でも、朝臣という用語はすでに知っていたとはいえ、称号として使われていない時代である。このことは、通俗用語としてすでに朝臣が広がっていたことになる。思うに、意味的に"朝夜見"舎人的に、朝廷の天皇直下の臣ということで多用されていたのでは。
[16]代大雀命/仁徳天皇が豊楽ということで、女嶋に行幸。
その島では、鴈が卵を生むと聞いて、・・・
   たまきはる 内のアソ 汝こそは 世の長が人
    虚見つ 倭の国に 雁卵産むと聞くや

小生はユーモアあふれる掛け合いと見た。📖鴈産卵の戯歌も収載
このセンスからみて、アソは朝臣ではあるものの、吾兄との意味を含んでいると考えるべきと思う。

ちなみに、「萬葉集」を検索すると、有名な柿本朝臣人麿を筆頭に、題詞では朝臣はいくらでも出てくるが、本歌では以下の戯れ歌での"阿曽"のみ。これは"ン"表記せずの原則に従った、"朝臣"を意味する語彙とされているが、冗談半分の時や、仲間うちで呼ぶ時はもともと"アソ"と謂っていたのと違うか。
からかっている時に使う言葉であり、漢字表記なら、"吾兄"とした方が歌の本意が通じ易いのではないかと。下賜された正式称号を用いた揶揄表現は普通は避けるものではあるまいか。

《池田朝臣 v.s. 大神朝臣》
池田朝臣嗤大神朝臣奥守歌一首 [池田朝臣名忘失也][「萬葉集」巻十六#3840]
  平群朝臣が穂積朝臣を嗤咲(あざ)ける歌一首
[原文]寺々之 女餓鬼申久 大神乃 男餓鬼被給而 其子将播
[訓読]寺々の 女餓鬼申さく 大神の
   男餓鬼賜りて その子産まはむ

大神朝臣奥守報嗤歌一首[「萬葉集」巻十六#3841]
[原文]佛造 真朱不足者 水渟 池田乃阿曽我 鼻上乎穿礼
[訓読]仏造る ま朱足らずは 水溜まる
   池田の朝臣が 鼻の上を掘れ

《平群朝臣 v.s. 穂積朝臣》
或云 平群朝臣<嗤>歌一首[「萬葉集」巻十六#3842]
[原文]小兒等 草者勿苅 八穂蓼乎 穂積乃阿曽我 腋草乎可礼
[訓読]童ども 草はな刈りそ 八穂蓼を
   穂積の朝臣が 腋草を刈れ
穂積朝臣和歌一首[「萬葉集」巻十六#3843]
[原文]何所曽 真朱穿岳 薦疊 平群乃阿曽我 鼻上乎穿礼
[訓読]いづくにぞ ま朱掘る岡 薦畳
   平群の朝臣が 鼻の上を掘れ

「古事記」の御製での"アソ"も、もともと馬鹿げたタネを見つけ、戯れ歌を始めたかったからという状況から見て、同じような用法と見た。遊びも控え、真面目一方で仕える老臣を、軽くからかったのであろう。そこまで、ツーカーの関係ということ。

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