→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.6.5] ■■■ [520]鉏文字について その前に、主旨を繰り返しておこう。 「康熙字典」に未収録で、漢籍に見当たらないと国字候補になってしまうが、それは単なるデータ整理でしかない。何時、何処で誰が何のために創作したのか皆目わからないというのに、雑多なままで一緒にする方法論が好まれる訳だ。資料がデジタル化されれば、精緻な分類や系譜的整理は瞬時にできるので、概念の意味が曖昧なこの手の仕訳はすでに意味が薄いと言わざるを得まい。しかし、用語化されてしまった以上、今後も使われ続けることになろう。 ここらについては、"弖"文字でも簡単に触れた。📖"弖"は助詞の代表 …漢籍に対応助詞がある訳もなく、国字扱いはその観点では妥当そうに映るが、砥≒𪿓の用法がある以上、同様な表記が存在した可能性が高い。従って、大陸で使われたことがないとの理屈が成り立つとは思えない。 ともあれ、この国字発想に従えば、「説文解字」未収録で漢籍にも見当たらないが、「古事記」に収録されていると、国字扱いにするしかなくなる。・・・ある王朝が使わなくなって消滅させられてしまった文字が、帝国辺境地域でのみ残存している可能性を頭から否定する考え方と言ってよいだろう。(もともと文字表記化を嫌っていた社会が、新たな文字を創作する理由は無かろうに。それに、漢字とは、中華帝国の天子が、帝国圏内化を望む非漢語族に正式に下賜することに意味がある。現代人ならいずしらず、太安万侶がそれを知らぬ筈はなく、勅命で作業している中堅官僚の立場で、中華帝国で使用されていない文字を用いることなど常識ではあり得ない。) つまり、国字と呼べる文字は、「古事記」成立後の後代に発生した新しい概念に対応するためのもの。不可欠なのは外来語対応。すでに使われていた文字を当てるかもしれぬが、便利さを考慮すれば、創字が多かろう。 【m法等文字】瓩 瓸 瓧 瓰 甅 瓱 瓲 粁 粨 籵 糎 粍 竰 竏 竡 竍 竕 竓 呎 この手の翻訳文字と、母国語概念の文字化が同じ発想に基づいていると考えてよいのかはわからぬが、面倒なので一緒に考えることになる。 金偏漢字を例に。・・・ 【釒国字】 【釒「古事記」用字】 金銀銅鉄 鍛<鍜> 鏡鈴<鐸> <鈕><錦>録 <鉤><釼>釣<鏑><鎌><鉏><鐙> 【釒現代用字追加】📖安万侶版倭語表記用当用漢字集 鉱 鉛 銑鋳鋼錬鈍錯 鐘 銘 針鉢銃銭錘錠鎖鑑 鎮鋭 このなかで気になるのが< 滅多に見かけない文字であるが、現代になって、もスキ・クワという農具名は遍く知られており、おそらく古代から使われていた言葉であろうから、該当文字があってしかるべき。 候補となる文字自体は色々あるが、太安万侶はこの文字だけしか使っていない。 [除草翻土作業用農具]…大陸の乾燥気候土壌対象 耒…二/三つ叉 耡(頭)…長柄刀刃 鋤 鑱 耙…T形状多歯釘 鉏…曲がりスコップ的農具 e.g. 乃脫朝服 持鉏去草@「後漢書」巻八十一獨行傳"李善傳" 犁/𤛿…深層破碎土塊耕作用具 [掘泥土的挖掘器具(農業・土木・建築):スコップ的]…基本泥地の湿潤気候土壌対象 鍬/鏟 钁/鐝 太安万侶は実によく観察している。クワは大陸では泥地用で、それ以外の土壌はすぐに固化しがちなのでスキ使用が基本。ところが、本邦では多雨なこともあって土壌が柔で、山麓耕地でもクワを使うことが多い。従って、翻訳文字をどう当てるかは悩ましいものがあろう。 結局、クワ的なスキということで、総括的に表現できそうな文字を選択したと思われる。歌と地文で使って、それを示したということになる訳だ。(ここでは農具ではなく開墾用土木工具のようだが。) [歌99]少女の い隠るを 金鋤も 五百箇もがも 鋤き撥(ば)ぬるもの [袁登賣能 伊加久流袁加袁 加那須岐母 伊本知母賀母 須岐婆奴流母能] 故 號其岡謂<金鉏岡>也 この<鉏>は、神名等にも使われており、sho/so(zo)の様な音読みはされたことがなさそうである。 ここで終わりたいところなれど、そうはいかない。 ---「古事記」--- 其和邇將返之時 解所佩之<紐小刀>著其頸 而 返 故其一尋和邇わに者於今謂<佐比>持~也 (ちなみに、後世方言の存在を理由に、ワニとは鮫のこととされている。これには愕然とさせられる。鮫は魚であっても頸があるらしいし、水面に背を出して並ぶ習性があり、陸に上がって這いつくばることさえ可能と強弁してなんとも思わないのである。 📖和邇は鰐で鮫ではない) 爾天宇受賣命 謂海鼠云 此口乎不答之口 而 以<紐小刀>拆其口 故於今海鼠口拆也 爾沙本毘古王謀曰:「汝寔思愛我者將吾與汝治天下」 而 卽作八鹽折之<紐小刀> 授其妹 曰:「以<此小刀>刺殺天皇之寢」 故天皇不知其之謀 而 枕其后之御膝爲御寢坐也 爾其后以<紐小刀>爲刺其天皇之御頸 三度擧 而 不忍哀情不能刺頸 而 泣淚落溢於御面・・・ 「・・・爾誂妾曰: "吾與汝共治天下故當殺天皇"云 而 作八鹽折之<紐小刀>授妾・・・」 ---「播磨國風土記」揖保郡--- <枚方里>(土中上)所以名枚方者 河内国茨田郡枚方里漢人来到 始居此村 故曰枚方里 【佐比岡】所以名佐比者 出雲之大神 在於神尾山 此神 出雲国人経過此処者 十人之中 留五人 五人之中 留三人 故出雲国人等 作<佐比> 祭於此岡 遂不和受 所以然者 比古神先来 比売神後来 此 男神不能鎮 而行去之 所以 女神怨怒也 然後 河内国茨田郡枚方里漢人来至 居此山辺 而敬祭之 僅得和鎮 因此神在 名曰神尾山 又 作<佐比>祭処 即号佐比岡 フツーに考えれば、石器ナイフの発展形が金属器紐小刀だろう。スキ・クワと関係しているのは金属器であるというに過ぎず、関係性ありとの主張があるなら、それは政治的理由以外にありえまい。 尚、紐穴は元来は金属に開けるもので、紐は下げる用途ではなく、手首につけしっかり握るためのものだろう。柄の質が向上し、鞘穴に紐穴をつけてブル下げるように」なったと考えるのが自然だ。上記からすると、紐小刀は女性用で、男性は佩刀だったようにも思える。スキは農具だが、槍的な武器にも使われたが、刀の代替品になるとはとうてい考えられないし、武器が農具になることも考えにくい。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |