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■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.27] ■■■
[643]愛情と哀情の違い
<愛>の訓読みは既に示した様に一意的ではない。当然ながら、様々な意味に用いられるので、曖昧な表記にならざるを得ない。📖愛の考え方の違い
これは、純粋話語である倭語の多義性という文化から発生していると云うより、中華帝国が<愛>の意味を統制できなかったことに由来していると考えるのが自然だ。
要するに、漢語に於ける語義が極めてブロードなので、この漢字を倭語の表記に用いることになると、ほぼ好き好きの意味で使うことになってしまう訳だ。・・・
 【純形容詞】
     _ or (⇒[はし-け]-や-し)
     美 or うつく
     悲/哀 or かな
     憂 or
     愍 目苦し or めぐ
 【動詞由来形容詞】
     厭 or いと(お)
     慈 or いつく
     親 or した
 【接頭辞】
     真名 or まな
 【漢語動詞化】
     アイ
 【漢語倭語音素化】
     

このなかで、異彩を放つのが<かな>。
悲恋は現代でも愛の形態として、歌謡の主要テーマであるから驚くべきことではないものの、一対一の男女間の恋の歓びとは余りに対極的だからだ。と云うか、<かなし>とは普通は離別による苦悩を意味しているから、それを同一文字で平然と表現する気分に納得できないものを感じる訳である。

「古事記」は、明らかに、そこらを問題視している。

<愛>の情念表記としては、以下に示すように、【伊邪那岐命・神避之伊邪那美命神@黄泉国】と【⑪天皇・沙本毘古王・沙本毘売】が主体となっているが、後者の記述に<哀情>が登場するから。
その一方で、連綿と続いて来た女系制の毘古-毘売に身を捧げる愛もあると指摘している訳で。📖最初の三角関係譚の意味

【伊邪那岐命・神避之伊邪那美命神】
伊邪那岐命詔之:「我那邇妹命乎」・・・故 其所神避之伊邪那美神者 葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也
追往黃泉國 爾 自殿騰戶 出向之時 伊邪那岐命 語 詔之:「
我那邇妹命」・・・爾 伊邪那美命答白:「悔哉 不速來 吾者爲黃泉戶喫 然我那勢命」
伊邪那美命言:「
我那勢命・・・」・・・爾 伊邪那岐命詔:「我那邇妹命・・・」
  [歌無し]<亡妻忘れ難きの愛>

【⑪天皇・沙本毘古王・沙本毘売】  📖沙本毘賣命譚は大衆路線的
沙本毘賣命之兄 沙本毘古王 問其伊呂妹曰:「孰夫與兄歟」 答曰:「兄」 爾 沙本毘古王謀曰:「汝寔思我者 將吾與汝治天下」・・・即 白天皇言:「問妾曰"孰夫與兄" 是不勝面問故妾答曰"愛兄歟"」
此時其后妊身 於是天皇 不忍其后懷妊 及
重至于三年・・・於是 天皇詔:「雖怨其兄 猶不得忍其后 故即有得后之心」
  [歌無し]<伊呂兄妹の愛>

【⑪天皇・沙本毘売】
故 天皇 不知其之謀 而 枕其后之御膝 爲御寢坐也
爾 其后 以紐小刀 爲刺其天皇之御頸 三度擧 而 不忍
哀情 不能刺頸 而 泣涙落溢於御面
・・・御頸 雖三度擧
哀情忽起 不得刺頸 而 泣涙落

<哀情>なる言葉は耳慣れないが、国史ではそのような熟語は使われていない。<哀>も、逝去/喪失によって心に痛手を負った悲哀の感情 "哀悼の痛念"としての用例しかない。
沙本毘売の天皇に対しての思いが、意味とされている"哀悼の痛念"を意味する訳ではなかろうから、かなり複雑な心境を表現するために用いられていると見てよさそうだ。
「古事記」では、これ以外に<哀>文字は用いられていないから、特別な用法ということになろう。
≪哀≫[音] アイ オ [訓] あわ-れ-(む) かな-しい/む  …閔 [「説文解字」] 既殯 哀情殺 而後 祭也 [「通典」喪廢祭議] 喪則致其哀 擗踊哭泣 盡其哀情 [「孝經注疏」]
  --- 国史の≪哀≫用法 ---
  <音表記の注記>
   可愛此云
  <人身御供の喪失悲哀感>
   毎年為八岐大蛇所呑 今此少童且臨被呑 無由脱免 故以哀傷
  <逝去の悲哀感> [卷四孝徳天皇]
   阿倍大臣薨・・・挙哀 而 慟・・・悉随哀哭
   ・・・皇太子聞二造媛徂逝 愴然傷恒哀泣極甚

しかし、太安万侶が勝手に<哀情>なる熟語を用いることは考えらない。自らの老いの状況を考えてしまい、深い悲しみが募って来た、との漢詩の用例を引いたと考えるのがよさそう。・・・
上行幸河東 祠后土 顧視帝京欣然 中流與群臣飲燕 上歡甚 乃自作「秋風辭」曰:
  秋風起兮白雲飛 草木黃落兮鴈南歸
  蘭有秀兮菊有芳  攜佳人兮不能忘
  泛樓船兮濟汾河  中流兮揚素波
  簫鼓鳴兮發棹歌  歡樂極兮哀情多
  少壯幾時兮奈老何! [「文選」卷四十五45 武帝/劉徹(前156-前87年)]


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