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■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.10] ■■■
[656]阿波岐原小考
阿波岐原は地名で、阿波岐は植物名と思われるが、何を指すのか判然としていない。タイトルからすると、そこに切り込みを入れるという大層な思いがあって書いているように映るかもしれないが、逆。この想定はそれほど難しい訳では無く、広く深く検討する必要もほとんどないのでは、という素人の感想を述べておきたくなっただけ。
是以 伊邪那伎大~詔:
「吾者到於"伊那志許米志許米岐" 穢國 而 在"祁理" 故 吾者爲御身之禊」
…「吾は 到来してしまった。醜目醜めき穢き国に。そうなると、吾は為さねば。<御>身体の禊を。」
而 到坐 竺紫日向之橘小門之"阿波岐"原 而 禊祓也
国史に、ほとんど類似記述の引用(第五段一書[六])があり、そこでは微妙に異なる<筑紫日向小戸橘之檍原>となっているが、一書[七]で<檍 此云阿波岐>とある。「記紀」読みを原則とするなら、<檍>は<阿波岐>の翻訳漢字と見てよかろうとなる。
伊弉諾尊既還乃 追悔之曰:
「吾前到於不須也凶目汚穢之處 故 當滌去吾身之濁穢」
則 往至 筑紫日向小戶橘之"檍"原 而 秡除焉


その漢字<檍>だが、漢文で用いられてはいるものの、大陸で、どの様な樹木か曖昧そのもの。にもかかわらず、どうしてこの木が<阿波岐>と認定できたのかはなはだ疑問。
ただ、国史は当時の英知を集めたプロジェクトであるから、<檍>で間違いないと考えざるを得ない。そこで、初代天皇の宮に係る樫に当たるとか、もちの木、あるいは青木であるといった比定がなされている。しかしながら、これは植生を考えるとありえそうにない選定で、未詳と言う以外にあるまい。・・・
≪檍≫
[弓材]@「說文解字」 橿@「廣韻」 杻@「爾雅」 萬歲樹@「陸璣」 𣟥@「韻會」 栲@「毛詩故訓傳」 冬青@「樵香小記」
橿かし/萬年木@昌住:「新撰字鏡」 もち 冬青そよご

ところが、ここで、"「記紀」読みせず"の原則を貫くと、全く異なる推定になる。・・・と書けば、そんな馬鹿なことはなかろうとの意識しか生まれないだろうが。その思い込みを払拭してお読みいただければと思う。

まず第一歩は、太安万侶は<阿波岐>は漢字翻訳できないと判断したと見ること。そうなれば、この樹木は大陸に生えていないことになる。
しかし、<阿波岐>というポピュラーでは無い名前をママ用いたのである。読者はナンダカナ―となること必定であり、それを目指す記述の訳がないから、この表記には何らかの意味が籠められている筈。どう思って読めばよいのである。

そもそも、この地名は<竺紫+日向+橘+小門>と、説明がとんでもなく長い。従って、おそらく、それに意味があるのだろう。
ただ、それはこの場所がどうして選ばれたのかを示すものだからだ。
なかでも光るのは、<橘>の記載。現代で言えば、"日向夏"(南島系の遺伝子を持つ蜜柑類)にあたろう。要するに、黒潮に洗われる地で、日光が燦々と降り注ぐ地であることを意味している。日本海側ではない。
そうなると、<阿波岐>の暗示している木とは、となるが、文字通り"阿波の木"とも読める。それは、現代ならヤマモモ📖で、伊豆半島以南の黒潮沿岸の山で見ることができるが、そのような木ではない。すると、台湾〜南島-南九州-阿波-紀伊で見かける<小賀玉木おがたまのき📖南伝花香木と考えるのが自然だ。辞書で招霊の木とされている樹木で、呼名の核は赤玉の実(種子)にあるのは確かだが、南洋系信仰であるから、聖なる用途に使われた来た理由は軽い芳香(御香おか)だろう。言うまでもないが、さかきしきみ📖日本の製香木の原型。

この様に書くと、よくある思い付き的樹木比定に映るだろうが、そのような魂胆がある訳ではない。細かなことはどうでもよく、「古事記」を俯瞰的に眺めるとこれ以外にあるまいという結論に過ぎない。・・・「古事記」は冒頭から、いかにも島嶼海人の観念としか思えない宇宙創成が描かれており、その後も一貫して、その視点での記述と思しき内容が続く。この感受性の有無で、この様な結論に達するか否かが決まるだけの話。

例えば、3貴子には、遠洋航海の最高守護神(太陽・月・風への畏敬尊崇)イメージが色濃いと見る。そもそも、住吉3神・墨江3前大神がその前段で生まれ、それぞれ3段階の流れと3深度を意味しており、この様な3~信仰パターンは海人特有と言ってよかろう。

この流れから言うと、墓所の基本は洞窟への遺骸放置である可能性が高く、黄泉国とはそのイメージと見ることもできる。禊は清浄な海水による洗骨儀式(正式葬儀の第一段階で、南島ではなかなか廃れなかった。)の類似祭祀に映る。(神道は葬儀を回避しており、宗教として独立して成立していないことになるので、注意を要する。)
出雲の御陵から、禊の地に往くのであれば、本貫地たる淤能碁呂島が望ましいと思うが、"阿波へと繋がる島"の小さな離島では、禊の適地とは言い難く、黒潮が洗う阿波を目指すのが筋と見る。少なくとも日本海側は候補地としてあり得ない。だからこその地名の橘。
ところが、実際には伊予之二名島でなく竺紫島が選ばれている。その理由は不透明だが、天孫降臨の地も竺紫島が選ばれているところから見て、古代の海人からすると、土佐(須崎湾や下流地域[四万十川・仁淀川・物部川]には遺跡はあるものの。)〜紀伊にかけては、瀬戸海側と繋がる上での使い易い浜や港が決定的に欠けているということか。(現代でも、航行する船側から眺めれば、隼人域の志布志湾以北の日向地区には細島・油之津を始めとする良好港が続いており、河口も多いとの印象を持つことになる。他と比較すると古代船の目視航海に向いている地域と言えそう。)

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