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■■■ 「古事記」解釈 [2023.6.29] ■■■
[733] 意・音・字の合理性を欠く
後半前半📖はクドクド述べているものの、指摘したかったことは漢語の本来的特性。
 1つの意味
   ⇒1音節の音
      ⇒1つの文字
(出自は表意文字とされただけ。)
これが、大きく変わって来た。
 だいたい1つの意味
   ⇒2音節の音
      ⇒2つの文字(完全な表音文字。)
ここで重要なのは、一意性がほぼ成り立っている点。漢字を導入しているにもかかわらず、倭語〜日本語はこのルールを完璧に無視。非合理性の極致とも言える決断に映るが、相対話語で相手の気持ちを慮るコミュニケーションを基本としていれば、当然の姿勢であったろう。言葉が通じないモザイク的社会を嫌って、語彙乱立と自然淘汰で結構といったところ。

同義語はどの言語にもあるが、ともあれ、日本語語彙の雑種性は半端ない。現代に至っても、新語彙が続々導入され続けているのは御存じのとおり。それは当たり前で、東京港区では、新規登録率で国際結婚がとうに1割をこしているらしいし、非母国語生活者もそこらじゅうにいる訳で。1例として、漢字≪飯≫の語義で見ておこう。驚くことに、呉音は消滅しているようで、そうなるとどの言葉が一番古層なのかわからない。・・・
[義①][synecdoche㊦]穀類を炊いた食品:
ハン めし いひ  ままこと ボン@呉音 シャリ舎利 ライス *
[義②][synecdoche㊤]食事/餐
*riceの語義は稻⇒米⇒飯である。

「古事記」では、そこらの対処をよく考えて文字を選んでいるように思える。例えば、「古事記」仮名"あ"📖は厳選されていると見てよいと思う。
≪ア≫
  婀娿呵痾啊・・・
  亞堊椏錏啞堊鐚亜悪・・・
  烏鴉雅・・・
  吾我妾僕
  或(啊)呀
  嗟乎 嗚呼 噫于
≪ア
  安按鞍鮟晏案・・・
  闇暗黯喑諳・・・
  俺罨庵掩菴・・・
  厭黶・・・
≪ア_
  【】 腳/脚/肢
  【網】
  【有】
  【畔】 畝
  【蛙】 哇娃鞋
  【余/(餘)】
  【鞅】
この辺りで選択が済むならどうということもないが、以下の様に📖、文字数が2桁になってくると一体どの様に対処しているのか、大いに気になってくる。
(之の変形)(〃) [萬]…志
志 子 斯 為 師 紫 新 芝  科 令 士 色 所 史 始 [+萬]…之水四司詞思偲信歌詩旨次此死事准礒 僧為使石知指令時足磯至資賜祗巳氏寺柿姿寒殺在刺屍支私糸紙歯式慈侍示清矢有試貲嗤肆屣
ジ [萬]…士 @呉音
士 自  字 不 事 辞 下 師 志 勿 [+萬]…寺侍 仕司時尽慈耳餌児弐爾 示次緇

しかし、漢字の意味を直接考慮に入れたのでは、「古事記」仮名という位置付けから大きく逸脱してしまう。そうなると、表意文字ということで、その文字イメージが文脈に一番合致していそうな文字を選ぶというのが良さげ。多分に情緒的で、厳密性を欠くものの。(漢語はすでに文字自体の由来にもとずく見方はしなくなっており、「説文解字」に記載されるものの、誰もそれを気にして用法等に反映させている訳ではないから、漢語発想を取り入れていることにはならないし。)

ここらには、絶対ドグマをどう考えるかという悩ましい問題がある。・・・
  口頭言葉表象記号(文字)
  表象記号(文字)口頭言葉の意味
つまり、意味(頭)⇒発声(口)⇒聴取(耳)⇒意味(頭)という話語の世界は文字表記化によって下記の2段階に分けられるものの、文字の"読み方"を覚えさせられるからといって、上記の下段はあり得ない。(理屈っぽいが、重要な事なので。・・・"ほん"とは、"本"という図形に付けられた名称では無い。)
  意味(頭)⇒仮想発声(頭)⇒図形記述(手)
  図形の視覚での把握(目)⇒仮想聴取(頭)⇒意味(頭)
要は、口頭発声の語彙と表象記号の紐付けを頭に叩き込んでいるだけ。これが文字表記の大原則。

しかし、そうかも知れぬが、そうとも思えないというのが、日本語母国語者の大部分の感覚だろう。

ここに雑種言語成立の鍵があると思う。

論理的に整理されている非雑種的言語の方が、言語習得上で労力の極小化が図れるので合理的と考えがちだが、実際はそうではなさそうだからだ。
と言うか、そうとでも考えなければ、日本語を母国語にしている社会は、他の言語と比較すれば、異常と見なしても構わないほど、読み書き能力のレベルが高いことを説明できそうにない。つまり、文字に意味的イメージを持つことで、言語能力が一気に高まる仕組みになっているとしか思えない。(漢語社会では、遠の昔に単なる記号化を済ましており、文字にイメージを抱くのは、今や日本語話者だけ。)

しかし、そうなるのは、ある意味当然かも。・・・他言語では、ザックリ言えば、語彙は<1意⇒1音⇒1文字(列)>となるのに対し、日本語は<1意⇒多音>にして<1音⇒多字>、その上に<多音⇒1字>が当たり前なのだから。

文字に対して、音だけでなく、イメージを抱くような体質が出来上がってしまえば、漢字だけでなく、その書き換え文字(省略形の片仮名・美的書体にもなる平仮名)にもイメージを覚えるようになるから、文字そのものに特別な意味が含まれるとのいわば呪術的な見方(音義説)が受け入れ易いものになること必定。・・・
真言mantra明呪vidyā心呪hṛdaya陀羅尼dhāraṇī@密教の呪文としての音義>とmantraの頭文字<種字bījākṣara
空海[774-835年]:[辞書]「篆隷万象名義」830年頃 [真言宗経典:言語学]「声字実相義」
契沖[1640-1701年]:「和字正濫鈔」(仮名遣の書)

(仏教では三karma(身業・口業・意業)観念があり、それぞれ身体deha+言葉vāc+manasを意味する。密教修行では、印を結び、真言・陀羅尼を唱え、仏を思い浮かべることになる。・・・三業はVeda的でもあり、古代からのインド土着的な人間の行為の見方そのものと見てよさそう。当然ながら、3業並列ではなく、先ずは意思ありき。)
<一音(一行)一義説>
多田義俊[1698-1750年]:「以呂波訓義(声母)伝」
平田篤胤[1776-1843年]:「五十音義訣」「古史本辞経」
橘守部[1781-1849年]:「助辞本義考(一覧)」
富樫広蔭[1793-1873年]:「言霊幽顕論」
堀秀成[1820-1887年]:「音義全書」「仮名本義考」「言霊妙用論」


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