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■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.21] ■■■
[812] 太安万侶:「漢倭辞典」倭語漢字文(下)
そもそも<変体漢文>なる呼名は、"解読不能。"とは言えないために名付けたようなもの。
およそ学問とは言い難い命名。太安万侶がどういう目的で、どの様に変態させたのか示せないのに、序文の説明を否定して漢文のカテゴリーに属すとするのだから。その意味は<歪曲漢文>あるいは<出鱈目漢文>以外にあり得ない訳で。(現行文法の否定論者を除けば、太安万侶がテキトーに倭文に当て嵌めたと解釈する以外にあり得まい。それをどうやって婉曲な表現にするかは好みの問題。)
解決の糸口が無い以上、この先もずっとこの状態が続くに違いない。

ただ、すでに述べたように、時間はかかるが、ヒッタイト語の文字表記化過程とウリなので📖、倭文の読み方は結着が付くだろう。太安万侶が、消滅した前16世紀言語の方法論を知っていた筈はなく、極めて普遍的な考え方に基づいていると考えるのが一番素直だからだ。
しかも、このヒッタイト語を変体アッカド語と考える研究者はいそうにないし。

もっとも、そうはなるまいと考えることもできるので、注意は必要である。ヒッタイト語とは、屈折語で日本語と同じSОV型であるとの思考がこの先も続くなら、とうてい無理。そこらを感じてもらうためにスキーム図を用意した訳で。📖簡素化すればこうなる。・・・
印欧音素[V & C]⇒音節[ccvc etc.]=名詞語彙[多音節+アクセント]
   ⇒名詞性情[屈折]
   ・・・//・・・動詞[名詞対応変態+活用]
        ⇒文節[品詞順列+文法詞辞]
         ⇒構造文[構成骨格]
漢 音素[V & C]声調付音節[cvvc etc.]=名詞語彙[単音節]
   ・・・//・・・動詞[名詞意義動詞化]
        ⇒文節[品詞順列]
         ⇒構造文[構成順列+補助詞辞]
倭 一拍の単位母音[V & cV]⇒動詞語彙[語幹]
   ⇒動詞性情[活用+膠着語尾]
   ・・・//・・・名詞[動詞意義表音変態での名詞化]
        ⇒名詞句[前置形容語+後置動詞化関係性助詞]
         ⇒動詞文[主題性順列の名詞句で装飾された動詞部]
見ておわかりの様に、倭語は基盤がほとんど一致していない。ところが、何故に、この3種が生まれたのかの説明ができないまま、差がわかり易く顕著なパラメータで分類し、統一文法用語で解釈しているのが実態。その視点で眺めている限り、「古事記」解読は推定文脈ベースの勝手読みから脱することはできないと思う。

倭語が屈折語でSОV型であると考えるなら、「古事記」は<歪曲漢文>で記載されていると見なすのが自然であり、その否定論とは、思想的思惑があるからと考えるしかないのでは。少しそこらに触れておこう。

もしも「古事記」がほぼSVО型で統一されており、ルール外しの理由が説明できるのなら、注意を払いながらの<変体漢文>で書かれているとの見方は正当と言えるが、それは無理筋。ここでの問題は、SVО型を、アプリオリに漢文型の導入としてしまう点にある。それはその通りだが、そうなると、それ以外の語順はトンデモ言語とせざるを得まい。即、「古事記」は<出鱈目漢文>ということになろう。
その様な記載例についてはすでに触れた。
<О1 V О2>という、驚くべき語順の用法がある。しかもご丁寧なことに<О2 V О1>も。📖<賜>で見える記述方法・・・
 爾
  【名動詞 【曙立"王"
   謂 【[倭-者+師木+"登美"+豐朝倉]-曙立"王"】

 乃 於其
  【隼人動詞 【"大臣"位
漢語や印欧語が堪能な人は<変体漢文>どころか、そもそも文章になっておらず、とても言語として読めたものではないと匙を投げるだろう。
しかし、倭語の世界ではそうなるまい。無理して意味を推定する必要もないし、文脈からの助力無しでも理解できるのでは。
このことは、この箇所こそが太安万侶の画期的決め手と言うことになろう。倭語は動詞語なので、普通なら文末に動詞が来る。それをする必要が無いのは、文字読みの場合は、文頭文末を最初に確認するから。つまり、文字列を見た途端に頭のなかで自動的に文章が創られることになる。上記では主動詞は自明であり、名詞には一切助詞が付いていないので、かえって容易く理解できる。漢語だと先ずは主語を探すことになろうが、主語格名詞はこの部分で必要では無いし、知らない動詞では無いし受動態ではないから、【名】や【隼人】を主語と勘違いすることもあり得まい。この文章では、格助詞は自明だから不要。

おわかりだろうか。
繰り返しになるが、倭語が屈折語でSОV型であると考えるなら、"この太安万侶表記は滅茶苦茶であり、まさに<歪曲漢文>そのもの。"との主張は100%正しい。上記の見方は戯言以上でも以下でもない。
面倒だから、わざわざ調べたりはしないと思うが、文献的にもそれは正当な論と言えるに違いない。

しかしながら、ここらも、実は曲者というか、「古事記」理解のバリアと化している。「古事記」の文を読むために参考になりそうな文献の性格が余りに異なっているから。(漢文国史と表音文字の歌集しか無い。)小生は脱口誦を図る書を参照すべきでないと思うが、一般には逆である。「古事記」では、発言引用は口誦叙事地文に含めており、歌だけを峻別して表音表記しているので、歌集の言葉をどこまで参考にできるのかもなんとも言い難し。
小生は、口誦叙事は、語り部の才覚でいかようにも替わるだけの自由度を持っていると見る。例えば、文の句切れや、句のつながり部分での表現が固定化しているとは思えないからだ。<爾><而>など、なにも無理矢理言葉にする必要もないし、場が盛り上がっているなら聴衆の反応に合わせて最適な言い回しにするのはお茶の子済々だろうし。文型にたいして意味がないのは、動詞型言語は主動詞を前置修飾名詞句がいくらでも順番不動で並ぶことが可能という点。従って、語り部としては、興が乗って調子付いてくれば、棒調子でなく動詞を前に出すのは常套手段であってもおかしくなかろう。
現代"話"語で、「そして、南極に行った。」とは滅多なことでは言うまい。普通は、「それでネ、行ったんだヨ、南極に。」の手では。「古事記」の中味は、正式な宴での叙事口誦だろうから、その様な口誦を行っていたとは思わないが、語彙の特徴あるアクセントやイントネーションを強調して雰囲気を盛り上げていたに違いなく、語順はそれを伝えていると考えればどうということもない。(日本語も南島語にも、同音異義語識別のアクセントが存在しているが、文字表記されることはなく、単語毎に周囲から教わることになっている。地方差が多そうだから辞書化は難しそうなのはわかるが、昔からの伝統のようで、その理由の解説は見たことが無い。)

ココを些細な勝手な思いとして読まないで欲しい。内容自体が正しいかなどどうでもよい問題で、この様に考え得る大元を考えて欲しい。「古事記」は稗田阿礼の口誦話語を文字化したものであり、記載内容から見て相対会話語を大前提としていることになろう。・・・倭語話者は余程の理由が無い限りわざわざ自分を主語としたり、相手を主語とする文章を話すことは無いから、主語記載の必要性など考える筈もない。互いに自明な事を言って冗長化させないことこそ、談話の基本エチケットだからだ。口誦叙事は歌込みの作品であるから、そのスタイルから離れることは考えにくい。
(日本"話"語の世界はシンプルで規則性が高い。主題が分かっている会話では、「昨日、招いた。」の動詞だけで十分。「私は、彼を、自分[私]の家に、招いた。」と言う必要は無い。日本語での意思疎通で重要なのは主語とか目的語ではなく、あくまでも主題。但し、それを動詞の主語が担えることが多いというだけ。文型構造主義文法は日本"話"語では通用しない。)

それを踏まえて「古事記」の読み方を考える必要があろう。言い換えれば、天竺[印欧]・震旦[漢]・本朝[倭]という3国観は非常に重要になってくる。とんでもなく遅れて(理由ははっきりしないが、嫌っていたと見てよいだろう)文字化したため、今もって談話の息吹を色濃く残している。それが、主語-述語の構造言語とは縁遠く、話題提起型の文章になってしまう理由だろう。コレを直視することこそ出発点だと思う。このことは、3国観では、異端言語ということになる。しかし、3国以外も視野に入れれば話者数では多数派に派に属している可能性もあろう。

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