→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.29] ■■■ [820] 太安万侶:「漢倭辞典」志斯 英単語は古書からその変遷が辿れる。と言っても、そう古い訳ではないが。📖🇬🇧英英辞書にはその辺りが記載されている。動詞の文型についても、Hornbyがあり、英語史がそこらから垣間見える。 日本語はそういかず難儀することになるが、それは古文がまだまだ現役だからで、英語の様にはいかない。しかも古文といっても、古事記叙事、平安貴族の和文、武家書物、室町芸能本、江戸大衆文化の目的と文体上の違いは無視できるほど小さい訳もなく、さりとて別々にすれば膨大煩雑化で頭のキャパシティを越えてしまう。ただ、この流れで、現在の言葉の変遷を追うことは可能ではあるものの、現代人があまねく古文を齧っているだけに、その価値はたいしたものではなかろう。 但し、その変遷を知ると、祖語をうすうす想像できそうな場合もあるので、意味が薄いと言う訳でもないが。 ところが、ここに大きな問題が隠されている。こうした推測が当たっていると考える論理的正当性が不明だからだ。「古事記」成立以前の記録が無いだけに。しかも推定トレンドの参考にしている文章とは、漢語語彙とその文法の影響下にある言葉。 朝鮮古代語復元というまるっきりのフィクションとは異なるものの、当たる可能性は高いとは言い難かろう。(助詞や助動詞の由来が記載されている辞書もある。視点がわかるので読み物としては面白い。) ・・・儒教型焚書や強権的語彙使用強制を行っていそうにない国だし、専門家の眼でトレンドが読めるなら、外挿しているだけだから十分と言う勿れ。可能なのは条件が揃った一部と見るべきでは。・・・「古事記」は話語の文字表記書であるにもかかわらず、日本語書物が普及し始めると、人々は読むことができなくなっていた程なのだから。「古事記」の倭語が、まるっきりの外国語同様だったのだから、当時の人々の言語の延長線上で考えるのは無理があろう。 そうなると、古代書が発掘されない限り、由来の検討の手がかりゼロとなるが、そうとも言い切れない。 「古事記」があるからだ。 どの様な視点で太安万侶が倭語語彙の漢字を選んだか、推定できる可能性が僅かにせよ残っている筈。 ・・・そんなことを感じさせる助詞があったので、ついつい思い巡らしてしまった。📖前置助詞(下) 「 ここでは、●をどうするかという問題。 ≪−≫がお勧めだが、現代人が普通に読めば、ソリャ、≪ 「古事記」は避けているが、≪ 要するに、我々が之をすぐに助詞だと思ってしまうのは太安万侶が決めたから。対応文字≪乃≫≪能≫でも音は伝わるが、これぞ助詞<の>らしさが一番出ていると考えたに違いない。📖[安万侶文法]現代"の"文法との繋がり そんな風に思い始めると、それでは太安万侶は助詞<し>をどうしているのか見たくなる。こちらの助詞は、定義が今一つはっきりしないし、分類もいくつかの説があるからわかりにくいが、だいたいこんなところということで。 ○割り込み用法しか無い、強意の副助詞"し" …一般に、現代語翻訳は困難とされる。 ○間投助詞"や"に連続する、強調の副助詞"し" さっと用例を眺めるとこうなる。助詞でなさそうなものも入っているが。・・・ ≪ 阿夜 ≪ ≪ 「・・・故 仕奉御前 而 成程。 漢語では< 強意の<し>の表記としては< さて、それでは< 太安万侶推定の、助詞<し>の由来が強調指示語であり、その意味が<これ>だったと考えるのが素直だろう。 ・・・この考え方が正しいかはどうでもよいこと。 助詞の由来を探るなら、最古の話語を文字表記している「古事記」の中味を俯瞰的に吟味し、太安万侶の考え方を想定することを出発点とすべきと思う。 (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |