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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.15] ■■■
[歌鑑賞43]この蟹やいづくの蟹
【天皇】矢河枝比売を迎えた大御饗酒宴での喜びの発露
許能迦邇夜このかにや 伊豆久能迦邇いづくのかに 毛毛豆多布ももづたふ 都奴賀能迦邇つぬがのかに 余許佐良布よこさらふ 伊豆久邇伊多流いづくにいたる 伊知遲志麻いちぢしま 美志麻邇斗岐みしまにとき 美本杼理能みほどりの 迦豆伎伊岐豆岐かづきいきづき 志那陀由布しなだゆふ 佐佐那美遲袁ささなみぢを 須久須久登すくすくと 和賀伊麻勢婆夜わがいませばや 許波多能美知邇こはたのみちに 阿波志斯袁登賣あはししをとめ 宇斯呂傳波うしろでは 袁陀弖呂迦母をだてろかも 波那美波はなみは 志比斯那須しひしなす 伊知比韋能いちひゐの 和邇佐能邇袁わにさのにを 波都邇波はつには 波陀阿可良氣美はだあからけみ 志波邇波しはには 邇具漏岐由惠にぐろきゆゑ 美都具理能みつぐりの 曾能那迦都爾袁そのなかつにを 加夫都久かぶつく 麻肥邇波阿弖受まひにはあてず 麻用賀岐まよがき 許邇加岐多禮こにかきたれ 阿波志斯袁美那あはししをみな 迦母賀登かもがと 和賀美斯古良わがみしこら 迦久母賀登かくもがと 阿賀美斯古邇わがみしこに 宇多多氣陀邇うただけだに 牟迦比袁流迦母むかひをるかも 伊蘇比袁流迦母いそひをるかも
㊵(5-6)-(5-6)-(5-7)-(5-6)-(5-7)-(5-6)-(5-7)-(7-7)-(5-6)-(4-5)-(5-6)-(4-7)-(4-6)-(5-7)-(4-7)-(4-6)-7 (4-6)-(5-6)-(6-7)-7

    明日入坐 故 獻大御饗之時 其女
    令取大御酒盞 而 獻
    於是天皇 任令取其大御酒盞 而 御歌曰

この蟹や  そこの蟹さん
いづくの蟹  何処のご出身?
百伝ふ  えらく遠方の
角鹿の蟹  敦賀からの蟹ですが
横去らふ  横歩きして
いづくに至る  何処を目指してるの?
伊知遅島  斎の島へと
美島に著き  御島へと
鳰鳥の  カイツブリのように
潜き息衝き  ほとんど歩かず ようやく息継ぎ
階だゆふ  さらに 段々だらけの
佐佐那美道を  笹藪土手の西岸道を
すくすくと  颯爽と
我が行ませばや  我は 歩いて行った訳ですよ
木幡の道に  すると 宇治の木幡辺りで
遇はしし嬢子  乙女に遭遇しまして
後方は  その後ろ姿は
小蓼ろかも  まるで紅色蓼の高い穂の様な
歯並は  ところで 歯並びは
椎菱なす  ドングリとでも呼べそうな
櫟井の  櫟本の
丸邇坂の土を  丸邇坂の地面を掘れば 📖鰐トーテム時代の追憶
初土は  最初の赤土は
膚赤らけみ  膚のようで明るすぎで
底土は  底は黒土になってしまうので
に黒き故  暗すぎ
三栗の  三栗の間の部分と同じ様に 📖三つ栗の意味を推定してみた
その中つ土を  中土を使って
頭著く  頭を突く様に
真火には当てず  直接火にぶつけずに煎って
眉画き  眉墨に
濃に書き垂れ  そんな 濃くて長めの眉目が素敵な
遇はしし女  乙女に遇ったのだよ
かもがと  このようにして
我が見し児ら  我の眼にした娘子と
かくもがと  かようなことをしたい
我が見し児に  我の眼にした娘子と
現たけだに  こようなこともしたい と想うものの こうして現実に戻って見れば
向かひ居るかも  (この宴席で)向かいに居る訳だし
い副ひ居るかも  隣り合っても居る訳だ

テンでバラバラ解釈が通り相場の歌である。📖枕詞 ささなみの志賀について

しかし、この歌を難しく考える必要などないのでは。
あくまでも"宮主"矢河枝比売への求婚・婚姻の宴会であり、歌の全体構成が見えてこない訳ではないのだから。・・・

<❶道行>
 ①この蟹や・・・
   角鹿⇒伊知遅島・美島⇒鳰鳥(琵琶湖)⇒佐佐那美道
 ②我が行ませばや・・・
   木幡の道
<❷乙女と遭遇>遇はしし嬢子・・・
【後方】小蓼ろかも
【歯並】椎菱なす
【❸眉墨】櫟井の丸邇坂の土を・・・
   ①初土
   ②底土
   ③中土
<❹乙女への恋心>

天皇の行幸は近江であって、敦賀ではない。この席にやって来たのは、その途中で木幡の道を通ったから。
従って、蟹の部分は付け足しであり、宴席に供された蟹の、流通ルートを知り尽くしていることを面白く表明したことになろう。要するに、和邇勢力が、これ以上考えられないほどの歓待してくれたことへの天皇としての対応ということになろう。

ここで、問題になるのは、蟹をわざわざ取り上げているので、矢河枝比売が関係している可能性もありそうという点のみ。この辺りは情報が不足しているので、残念ながら結論は出そうにない。"矢河枝"が蟹とは繋がらないから、無関係と考えることもできることもあって。
それに宮主の後ろ姿・歯並び・眉墨に蟹的姿を思い浮かべることができそうかについても、なんとも言い難しだし。

そんなことより、そもそも、このような容姿がどうして魅力的なのか、あるいは単純に特別な巫女としての装飾なのかを考える方が重要だろう。戯れ的な表現ではなく、真剣に描いていそうだし。

そこらに拘らざるを得ないのは、天皇の寵愛対象となる皇子が誕生するから。
  如此御合 生御 "宇遲能和紀"郎子也
この一行は単なる皇統譜記載レベルで読む訳にはいかないからでもある。

娶って皇子が生まれたという一般扱いではなく、はっきりと<御合>(国土創成の神婚用語)と記述されていて、明らかに特別な婚姻。糸魚川の翡翠の玉を象徴する沼河比売と、草薙剣保有の美夜受比売と同じ扱いということになるから、宇治にもなんらかのレガリアがあっておかしくない。ところがその手の情報が全く見当たらないし、宮主とされるのに宮も存在していないようだ。どういうことなのだろうか。

蟹云々は、そこらを解明してから考えるべきでは。

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