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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.21] ■■■
[歌鑑賞79]あしひきの山田を作り
【木梨之輕太子】志良宜歌同母兄妹婚決意
阿志比紀能あしひきの  夜麻陀袁豆久理やまたをづくり 夜麻陀加美やまたかみ 斯多備袁和志勢したびをわしせ 志多杼比爾したとひに 和賀登布伊毛袁わかとふいもを 斯多那岐爾したなきに 和賀那久都麻袁わかなくつまを 許存許曾婆こそこそば 夜須久波陀布禮やすくはたふれ
⑩(5-7)-(5-7)-(5-7)-(5-7)-(5-7)

    天皇崩之後
    木梨之輕太子 所知日繼 未即位之間
    奸 其伊呂妹 輕大郎女 而
    歌曰

あしひきの  📖枕詞「あしひきの」はポピュラーだが
山田を作り  山田を作ると
山高み  山が高いので
下樋を走せ  地下に樋を埋設して水を通わせるものだが
下問ひに  そのように(人に見つからないように)隠された樋(の如くに)
我が問ふ妹を  我が訪ねて行く妻を
下泣きに  隠れて忍び泣いている
我が泣く妻を  その泣いている妻を
今夜こそは  今夜こそは
安く肌触れ  心安く肌を触れあって(睦みあおう)

2首6組からなる「軽物語」の最初にあたる、禁忌破りの近親相姦の恋歌。
📖[私説]「軽物語」は極めて非大衆的 📖太安万侶流の歌分類
皇位継承に絡む戦いの箇所を除けば、地文が乏しく、歌に分類名称が付いているから、軽兄妹だけの歌曲として人気があったことを示していそう。音が美しいのかも知れない。

しかし、注目すべきは、禁忌破りであるにもかかわらず、すべて同情的に扱われている点。だからこそ、文芸としての価値が認められていると云うこともできよう。
ともあれ、概ね、「古事記」文学中の最高傑作とされて来たようだ。
我々に残されたものは勿論詩人の空想を通した物語であって史実ではない。そこではすべての歌が主人公の感情の咏嘆でなくてはならない。さうしてこの物語ではそれが完全に出来てゐる。その意味でこの物語は古事記の諸物語中の絶頂である。[和辻哲郎:「日本古代文化」岩波書店1934 pp263]
と云うより、太安万侶としては、この歌物語をピカ一にするために練りに練って記載したのだと思う。二人が歌う歌曲であるから、キャスト名は軽太子と軽大郎女になるのが当然であるにもかかわらず、亦名 衣通郎女の方に関心が集まるように注を挿入しているほど。
  御名所以負衣通王者 其身之光自衣通出 也
これなら、「古事記」読者は、軽太子もその魅力に取りつかれて当然と感じるだろう。

この歌物語の冒頭歌は熟考の上に創られたように見える。およそ恋愛とは無縁としか思えない山田から始まるからだ。しかも、取り上げたいのは、不可欠な水を取り込むための、人から見えない流路。地下にこっそりと造るので<下樋>と呼ばれているが、その比喩として<下泣き>を持ってくる芸当はそう簡単にできることではなかろう。
これによって、同母兄妹婚が禁忌とされてはいるものの、相思相愛なら、それがコソコソ行う背徳行為ではないとの主張が、はっきりと伝わることになるからだ。

歌物語として編纂するなら、ここは、禁忌破り止む無しとの決意シーンが似つかわしかろう。

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