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■■■ 「古事記」解釈 [2023.1.8] ■■■
[歌鑑賞97]三吉野の小室岳に
【天皇】吉野行幸時の蜻蛉島寿ぎ
美延斯怒能みえしのの 袁牟漏賀多氣爾をむろかたけに 志斯布須登ししふすと 多禮曾たれそ 意富麻幣爾麻袁須をふまへにまをす 夜須美斯志やすみしし 和賀淤富岐美能わかをふきみの 斯志麻都登ししまつと 阿具良爾伊麻志あくらにいまし 斯漏多閇能しろたへの 蘇弖岐蘇那布そてきそなふ 多古牟良爾たこむらに 阿牟加岐都岐あむかきつき 曾能阿牟袁そのあむを 阿岐豆波夜具比あきづはやくひ 加久能碁登かくのこと 那爾於波牟登なにをはむと 蘇良美都そらみつ 夜麻登能久爾袁やまとのくにを 阿岐豆志麻登布あきづしまとふ
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    即 幸阿岐豆野 而 御猟之時
    坐御呉床 爾 虻咋御腕
    即 蜻蛉[阿岐豆]來 咋其虻 而 飛
    於是 作御歌 其歌曰

三吉野の  吉野の
小室岳に  小室岳に
鹿猪伏すと  猪鹿が棲息していると
誰そ  誰が
大前に白す  天皇の御前で上奏したのか
八隅知し  八方に御威光を発す 📖「古事記」が示唆する枕詞発生過程
吾が大王の  吾が大君の
鹿猪待つと  猪鹿を待つと(いうことで)
胡坐に坐し  椅子に御坐されて
白妙の  白い織物の
袖着装束ふ  お袖をお召しになっておられた
手脛に  その御手に
虻齧きつき  虻が喰い付いた(ところ)
其の虻を  その虻を
蜻蛉早咋ひ  やってきた蜻蛉が一気に食べてしまった
斯くの如  この様なことで
何に負はむと  何かに名前を付けようと(いうことで)
そらみつ  そらみつ
倭の国を  この倭国を
秋津洲と云  秋津洲と云うことにした

これは、神(天皇)が御言葉を発して座すことで、地名が授けられるという形式で書かれた譚。しかし、その論理はよくわからない。 📖枕詞「蜻蛉島」考

しかし、これは次の歌で葛城之一言主大神への畏怖に繋がるプレリュードでもある。秋津洲という呼称はすでに大倭帯日子国押人命の宮である葛城室之秋津嶋宮で用いられており、本来の命名者は異なることが示されていると言ってもよいようなもの。📖秋津嶋の蜻蛉洲言い換え理由

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