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■■■ 「古事記」解釈 [2023.1.13] ■■■
[歌鑑賞102]百礒城の大宮人は
【天皇】天語歌酒宴では享楽三昧でよし、と
毛毛志記能ももしきの  淤富美夜比登波をふみやひとは 宇豆良登理うずらとり 比禮登理加氣弖ひれとりかけて 麻那婆志良まそばしら 袁由岐阿閇をゆきあへ 爾波須受米にはすずめ 宇受須麻理韋弖うずすまりいて 祁布母加母けふもかも 佐加美豆久良斯さかみずくらし 多加比加流たかひかる 比能美夜比登ひのみやひと 許登能ことの 加多理碁登母かたりごとも 許袁婆こをば
⑮(5-7)-(5-7)-(5-5)-(5-7)-(5-7)-(5-6)-3-6-3

    即 天皇 歌曰
注釈付き。
    此三歌者 天語歌也
百礒城の  ももしきの 📖毛毛志記能がその後の進展を規定した
大宮人は  宮仕えの人々は
鶉鳥  鶉(の様に)
領巾取り懸けて  頭巾を懸けて
鶺鴒  鶺鴒(の様に)
尾行き和へ  尾羽を振り合って
庭雀  庭雀(の様に)
髻華住まり居て  動き廻っていて
今日もかも  今日も又
酒御付くらし  酒宴で過ごしている
高光る  輝かしく光を放つ
日の宮人  日の宮廷の人々

事の語り事も  (伝える)語り事も
此をば  この様な(次第)

<高光る輝かしく日の皇子>に豐御酒奉らせ、との皇后の前歌に対応する御製。

今日もかも 酒御付くらしの<高光る日の宮人>に対する歌になっており、正式の宴であり、臣下を鳥に見立てて、祭祀の重要な役割を果たしていることを告げていると言えよう。

粗相で殺される寸前だった三重の采女の歌は、纏向の日代の宮の歌。続く皇后は高市を引いているから、軽嶋明宮(or 軽之境岡宮 軽之堺原宮)の歌かも。そして御製は長谷朝倉宮ということになる。たった3歌で、朝廷の新嘗祭を巡る叙事詩が完成しているとも言える。
ここらは、「古事記」の編纂主旨と合致しており、太安万侶としては大いに頷くところがあろう。 📖安万侶と阿礼のお好みシーン 📖大悪有徳天皇の魅力を余す所なく記載

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