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■■■ 「古事記」解釈 [2022.6.30] ■■■
[545]毛毛志記能がその後の進展を規定した
小倉百人一首の"百"番は順徳院(1197-1242年)の歌。[「続後撰集」雑下1202]
 百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
…"百石木の-大宮"という定番表現をしたいところだが、そんな言葉に感興を覚えるようなご時世は遥か昔。それが大宮無き一句に凝集されていて、冒頭で先ずは一本。
それに続く句も秀逸。
今は、旧態依然とした建物の軒端がかろうじて面影を残すが、そこも軒端忍が余りあるほど繁っていて荒れ放題と突き放つ。そこまで没落してしまったものの、かつては有り余る栄華を誇っていた貴族文化を"偲ぶ"心が、"忍ぶ草"の掛け言葉になっていて、伝統を引き継ぐ技量の高さと品格を示している訳である。

小生の漢字表記だと、こうなる。
 百敷也 布流紀軒端乃 忍布尓毛 奈保阿麻利安流 武可之那理家里
「萬葉集」収載歌の<ももしきの>は以下の表記である。・・・[巻一#29]百礒城之 [巻一#36]百礒城乃 [巻一#155]百礒城乃 [巻三#257]百礒城之 [巻三#260]百式乃 [巻三#323]百式紀乃 [巻四#691]百礒城之 [巻六#920]百礒城乃 [巻六#923]百石木能 [巻六#948]百礒城之 [巻六#1005]百師紀能 [巻六#1026]百礒城乃 [巻六#1061]百石城乃 [巻七#1076]百師木之 [巻七#1218]百礒城乃 [巻七#1267]百師木乃 [巻十#1852]百礒城 [巻十#1883]百礒城之 [巻十三#3234]百礒城之 [巻十八#4040]毛母之綺能

このような漢字表現は現代からすれば読みにくいこと限りなしだが、日々、句読点無しの漢文を見続けていて、表意文字に慣れてしまうと、かえって文字から来るイメージが心に沁みる効果が期待できたのかも知れない。
しかし、もともと話語の語彙とは多義というか、その場の状況で相対しての意思疎通のなかで言葉の意味が決まるもの。文字化で、それが否定されたかと思いきや、「古事記」のお蔭で、漢文的公定解釈路線に入り込まなかった。
古代から続いてきた言葉の多義性と、表現自由の息吹が消されずに済んだ訳だが、そのため、文字で描かれている場を自分で想像せざるを得なくなった。当然、雑念が止め処もなく浮かんできて、厄介で面倒なことこの上なし。
従って、一旦、文字化すれば、倭の古代歌謡⇒「古事記」⇒「萬葉集」⇒「古今和歌集」は予期されていた不可逆過程に思えてくる。一歩づつ日本語を整えて来たのである。

もともとは、聴き手に向かって詠み手が放つ、その場に合わせた肉声表現だったが、そのなかに含まれる文芸的粋を昇華凝縮させて形式を整え、目で読む歌に磨きあげようとしたのだから、この路線以外にはとりようがあるまい。

その象徴ともいえるのが<百石木の>⇒<百敷や>。

<ももしきの>は、あしひきの📖 つぎねふ📖 あまだむ📖 つのさはふ📖 やすみしし・たかひかる📖 蜻蛉島📖 敷島の📖、という枕詞群の代表と云えるかも。
その文字化を実現させたのが、稗田阿礼と太安万侶コンビ。「古事記」に自作の歌を収録してはいないが、"倭⇒和"歌の祖と呼ぶべき方々である。
  [歌102]【天語歌御製】百礒城の[毛毛志記能] 大宮人は 鶉鳥 ・・・

ついでながら、枕詞について-一言。

小生の見るところ、3つの役割があると思う。
❶比喩的用語による形容(重畳表現)
  …どの言語にも存在
敬称と呼ばれる冠詞と似たところがある。H.I.M.[Her Imperial Majesty] the Queen、訳せば皇帝陛下女王のような用法。王権だけでなく、神権でもHis Holiness the Popeが使われているし、煬帝@隋の受け取った国書には、日出處天子倭国王多利思比孤と記載されていたらしいから、東アジアでは、別号を並べての自称は普通の習慣だったと考えられよう。それぞれの称号は意味があって発生したものだが、いずれ単なる意味不要の慣用句でしかなくなる。
上記のような語彙が歌に起用されれば、倭の慣習的用法に合わせることになる。極く自然なこと。
❷語呂合わせの埋め草(半戯句)
  …五七五のリズム感保持
ここまでは、必要条件的な特徴。
枕詞の本質はコレ。・・・
❸シーンの共有感醸成(事績想起)
  …反文字文化の名残的表記

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