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■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.21] ■■■
[歌の意味54]「記紀」歌の決定的違い
前もって一言。この項は100%推量。

歌とは韻文である。従って、散文と文字表記上は同じであっても、発声上の読み方は大幅に異なっていておかしくない。ただ、音の記録は無いので、そのルールはほとんどわかっていない。(国語改革で忘れ去られているが、散文でさえ表記文章はママ読みできなかった。現在でも、慣習読みとしてその様な部分が残存している。)

それを踏まえて考えてみた。

まず、漢文である国史に於ける収載歌の発声だが、ずっと後世であるものの、歌謡集藤原公任撰:「和漢朗詠集」c.a.1013年に繋がっていると思われ、この書の題名が語っているように、漢詩同様に、収録歌は朗詠する習わしだったと見る。編年事績集に埋め込まれている公用音(漢音)の音素表記独立歌なので、漢詩朗詠の音と揃っているから、両者を同居させても違和感は生じない。
しかし、1文字1音素の表記で同じ文面に見えても、非公用音(呉音)に徹している「古事記」歌は地文と一体化した非独立歌であるから、この様な朗詠には適していない可能性があろう。地文と歌全体で、倭語の韻文を形成しているからだ。(おそらく、表記文字からその韻文の発音が想定できるように多大な努力が図られている筈。しかし、そうは言っても、その再現どころか予想さえできないので、どうにもならないが。)

現代人からすればたいした違いに思えないかも知れないが、背景を考えればその重大性もわかろうというもの。・・・
文字化で、それ迄の舞踏歌謡一体の伝承叙事表現をバラバラに分解することになるので、様式も変えざるを得ない。歌は独立化され、眼で文字を丹念に読み込み、頭で解釈する"鑑賞"に替わる。文字化敬遠の話語族にとってはそれこそコペルニクス的転回に等しい変化だろう。(コミュニティの人々が大事にしてきた筈の、独自の膚感覚を捨て去ることを意味しており、公的に規定された一律化された"学び"なくしては味わうことさえできなくなって行くのは自明。一旦、バラバラにされた表現を再構成して復活させたものがオペラと考えると解り易いかも。)

ただ厄介なのは、<歌謡>という概念は曖昧なので、その捉え方は人によって違う点。そこで、<歌>関連文字を自己流に整理してみることにした。尚、「古事記」で用いられている文字は【歌】と【詠】だけ。(口偏文字は後世の歌用語であり、言偏の【謡】は律令国家が朝廷外の伝承作品を取り込むに当たって用いるための文字。)
≪うたう≫
【哥】
 哥≒[単なる]聲
  ≒聲奏樂
【言】
  ≒長歌  ・・・ 詩文朗詠
  [漢文]儛詠@序文
  少女答曰:「吾勿言 唯爲詠歌耳」@📖御真木入日子はや
  此歌者國主等 獻大贄之時 時恒至于今 詠之歌者也@📖檮の生に横臼を作り
  爾 遂兄儛訖次弟將儛時 爲詠曰@📖立つる赤幡見れ者…歌でなく地文扱い
 謌≒歌[の言葉]聲
 謡/謠≒流行歌(e.g. 民"謡", 童"謡") [日本では能の声楽"うたい"]
 謳@斎
【−】
 歈@呉
 豔@楚
【口mouth【口呪器
   哇≒淫歌
    ---仏教伝来後---
    唄≒誦經(念経[貝葉]的讀聲音)
    唱≒倡導歌
     ---芸道確立後---
     吟≒呻聲(吟誦)
     咏(⇐詠) 嘔(⇐謳)⇒歐/欧≒嘔吐的聲

以上、素人流の整理でしかないが、インプリケーションはこんなところ。

先ず、<歌謡>という用語だが、宮廷歌謡だけでなく、労働歌謡や童謡も含む広い概念。従って、「記紀」歌謡という言い回しは、ジャンルを超えるための変奏バージョンも収録されていることを示唆していることになる。話の筋と合わず、なんだかわからないが、全く別な歌謡から引いて来たとすれば、現代人的には納得がいくから、そう考えたくなる。しかし、それが通用するのは、様々なジャンルの歌謡の定着を勧めるようになった律令社会から。

なんと言っても重要なのは、<歌を詠む。>の意味。
詩文的に朗詠することを指すとすれば、本来は漢文で用いるべき語彙。
逃避行中の皇族であることを宴席の舞踏で突然明らかにした話では、<詠>であって、<歌>ではないのも道理。明らかにOn the spot basisのオリジナルな内容だから、即興伴奏を付けることは難しそうだし、奴婢クラスの少年に<歌う>力があるとも思えないから、ここは言葉を<詠う>となろう。突然登場したクーデター予言少女や吉野國主は、形式は歌だが、伴奏がつかないということだろう。

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