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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.29 ■■■

原初穀類

穀類の話がポロ。・・・
都稻名重思,其米如石榴子,粒稍大,味如菱。
杜瓊作《重思賦》曰:
 “霏霏春暮,翠矣重思。雲氣交被,嘉穀應時。”
 [卷二 玉格]
フ〜ンで読み飛ばしてしまう箇所だが、読み込んでみたい。

この文を軽視しがちなのは、"玉格"篇に収録されているから。なんだ、道教祭祀用の特別な穀類か、で終わってしまいがち。
しかし、「酉陽雑俎」全巻を通して読んでいれば、成式がそれだけのことで、引用する気になるとは思えない。
一見、些末に映る話だが、何か気付きがあったと考えるべきでは。
今村与志雄は、地名[都]の解説が詳しいし、人物[杜瓊]像と/作品[《重思賦》]全文が記載されている「真誥」を引用している。(学者の立場上、その先のimplicationを語ってくれないので残念至極だ。)

「真誥("真人のお告げ")」はもちろん、道教経典である。・・・
都山上,樹木水澤如世間,但稻米粒幾大,味如菱,其餘四穀不爾,但名稻為重思耳。杜瓊作《重思賦》曰:霏霏春茂,翠矣重思。靈氣交被,嘉穀應時。四節既享,祝人以祀。神禾鬱乎,浩京巨穗。我玄台,爰有明祥。帝者以熙,此之謂矣。(此更説都中事,仍複及重思耳。説祝人有祠者,不容有蒸之義,當即是前所雲獻奉仙官故也。又鬼年限足,應受餘生,亦複死便有祠事矣。杜瓊字伯瑜,蜀人也。博學有才思,注《韓詩》,兼明數術,逆記魏當代漢,仕劉禪時,為鴻臚太常。延熙十三年亡,年八十餘耳)。 [陶弘景:「真誥」巻十五 闡幽微第一]
  「重思賦」
霏霏春茂,翠矣重思。靈氣交被,嘉穀應時。四節既享,祝人以祠。神禾鬱于浩京,巨穗我玄臺,爰有明祥,帝者以熙。此之謂矣。都稻名重思,其米如石榴子,粒異大,色味如菱,亦以上獻仙官。
 [「道跡靈仙記」@正統道藏電子文字資料庫]

「真誥」の末尾に、成都人 杜瓊[180-250年]のことが書いてあるが、占星術に精通し、"默寡言"な人だったらしい。詩経解釈書「韓詩章句」著述者であり、もちろん官人。

さて、地名だが、都は四川盆地東南縁に位置し、現在の重慶の一部。風光明媚な地域ということになろうか。(長江三峡の近隣だし、双桂山と呼ばれる森林公園もあるようだから。もちろん、山には、様々な詩人の碑があるのは言うまでもない。)
しかし、観光宣伝には記載されていない超有名な地が近くにある。中国最大規模と言われる墓所である。どうしてそうなるかと言えば、道教72福地の45番「平都山」があるから。
 "平都山。在忠州,是陰真君上升之處。” [→道教世界]
教団的見地からすれば、五斗米教創出の地だし、仙人「葛洪」の地とも言える。

成式が「玉格」に所収したのはそんなところからだろう。だが、道教は土着信仰をとりこんで成立している宗教だから、ココは巴族あるいは蜀族が崇拝していた山であったと見てよかろう。
おそらく、それは、古層の冥界あるいは幽界信仰。天に上れなかった祖先の供養を必要としていた筈である。
そうなると、「重思」なる穀類とは、稲や小麦以前に食糧とされていた植物を指すということではなかろうか。

この辺りは内陸ではあるが、比較的湿潤であり、温度帯的には亜熱帯性に近い。本来的には、稲作適合地。鬼神に供える穀類を稻と呼んでいるが、どう考えてもそれは植物分類上の稲ではない。
稲作が始まる以前の穀類を指しているのだと思われる。
それは何か。・・・コレこそ、成式先生の関心事では。

さて、古代の東アジアでの主要作物は9種である。穀類の全体感をつかむために、ザッと眺めておこう。・・・
今雲六米者,九穀之中,黍,稷,稻,粱,,大豆,六者皆有米,麻與小豆,小麥三者無米,故雲九穀六米。(別為書,釋經辨其物也。) [周禮註疏/卷十六]

石榴子というから、鳩麦や数珠玉の変種ではないかという気がするが、そのようなものが古代儀式に使われる必然性はなかろう。"重思稻"とは上記の穀類のうちのどれかの原種と考えるのが自然。
ともあれ、粒稍大で味如菱というのだから、稲ではないと見てよかろう。
もちろん、菌による変性食料の[マコモ]や、菽(豆類)の変種を稲を呼ぶことはありえないから、それ以外の種で「重思」と名付けられた変異種があったと見てよいのでは。
まず、麦系だが、北部で主流の小麦は、おそらく西域由来。かなり遅くなってからから入ったと見てよさそう。粉食しかできないので、碾臼が不可欠だが、古代中華帝国の遺跡から出土していない。
古代中華帝国の麦とは現代の大麦の可能性が高い。石榴子のような変種は考えにくい。
北部での、周流の種はアワ/粟だったと思われる。印度西北部が出自だと思われるが、人が東アジア内陸部に入った頃からの植物ではないか。日本にも一番古くやって来た種と見てよかろう。キビ/黍も同様だろうが、栽培環境上の棲み分けがありそう。これらは稲に比べて粒が小さいのが特徴。アワは、しばしば小米と呼ばれている位だ。従って、"重思稻"に該当する変種はありそうにない。
残るはコウリャン(高粱)。
大麦、粟、高粱の3種がそれぞれの地域の気候環境に応じた、春撒き、夏撒き、秋撒きの選択ということで古代から栽培されていたと思われる。
この高粱だが、日本ではモロコシと呼ばれたり、アフリカ出自と言われるソルガム/Sorghumとされているが、名前は知られているものの実際にはほとんど馴染みがないと言ってよかろう。日本では嫌われたことになる。ただ、中国酒の原料名としてよく知られてはいある。(酒用のモチ性があるのかも。)
華北から東北で作られるとされるが、sもともとはモチ性を好む南の方の植物の適応拡大では。つまり、四川→中原→華北→東北といった伝播ルートで次第に栽培し易い形に変えられたということ。実際、高粱の別名は蜀黍だし。
そうなると、"重思稻"は、この古種の可能性が高そう。

つまり、揚子江中流域の山麓扇状地辺りで栽培種化に成功した水稲が四川辺りに伝わってくる前の南の主要作物はコレだったということ。もちろん、気候状況に応じて、アワ、ヒエ、キビ(印度渡来)も用いられたであろうが、祭祀で重視される酒はもっぱらこの"重思稻"だったと見てよいのでは。

四川辺りの視点から言えば、「禾」はこんな構成になろうか。
モロコシの漢字がわからないのが、どうも今一歩ではある。稷という可能性は無いのだろうか。
   糯/モチイネ 粳/ウルチイネ
   /モチアワ 粟/ウルチアワ
   黍/モチキビ /ウルチキビ
   _/モチモロコシ 蜀黍/高粱[コウリャン]/ウルチモロコシ
   稗/ヒエ, 印度稗
新しい時代になると、これに、四石稗と玉蜀黍/トウモロコシが加わる。
モチモロコシが最古の栽培穀類では。そうなると、禾とはこの象形かも。
   「禾類」, 「米と粟と稲」, 「米と禾と粢」

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎 1」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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