表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.8.19 ■■■ 壷中天の費長房方相氏について書いていて、[→] 費長房の一行話があったので、気になってしまった。その辺りを考えてみたい。費長房は、知る人ぞ知る名前。文章のなかに紛れ込んでいるだけだと、フ〜ンで通り過ごしてしまうレベルの知名度だと思う。懇切丁寧は今村註記なかりせば、注意を払うべき人物であることに全く気付かないであろう。 と言うのは、費長房こそが、"壷中天"の人だからだ。そう言われた途端、どんな逸話が残っているのか知りたくなってくるだろう。 と言うのは、"壷中天"系の話は、どれにしても、何故に、その主人公が選ばれ、どういう目的で別世界に招待されるのか、その脈絡がどうも今一歩理解できないからだ。 ただ、流石、成式先生だけのことはあり、それを多少解明してみせてくれてはいる。 仙薬作りの手伝いをさせようとの野望が隠されているとの指摘。実に秀逸。 → 「杜子春の元ネタ」 しかし、費長房の話はそう解釈する訳にはいかない。 秘密を知ってしまったことが発端になっているからだ。監視が仕事なのだから、ありえそうなことと言えよう。そして、ついつい仙人の仲間に引きづり込まれたという調子のストーリーになっているが、これも自然な展開と言えよう。 但し、それはいかにも言葉の綾。人々の動きを注意深く眺めていて壺の秘密を知ったなら、官吏なのだから、教えないと娑婆での生活ができなくなるゾと間接的な言葉で脅したに違いなかろう。と言っても、富を得ようということではなく、官吏生活に飽きがきていて、できれば止めたいという願いがあったので、両者妥協の産物ということだと思う。・・・ 費長房者,汝南[@河南省東南〜安徽省阜陽]人也。曾為市掾。市中有老翁賣藥,懸一壺於肆頭,及市罷,輒跳入壺中。市人莫之見,唯長房於樓上見之,異焉,因往再拜奉酒脯。翁知長房之意其神也,謂之曰:「子明日可更來。」長房旦日復詣翁,翁乃與倶入壺中。唯見玉堂嚴麗,旨酒甘肴,盈衍其中,共飲畢而出。翁約不聽與人言之。後乃就樓上候長房曰:「我神仙之人,以過見責,今事畢當去,子寧能相隨乎?樓下有少酒,與卿与別。」長房使人取之,不能勝,又令十人扛之,猶不舉。翁聞,笑而下樓,以一指提之而上。視器如一升許,而二人飲之終日不盡。 [「後漢書」巻八十二下 方術列傳第七十二下 費長房] (後漢の代、)費長房という汝南の人の話。 (とある市場で、監視役人を務めていた頃のこと。) 市中に薬売りの老人がおり、商売が終わると、いつも、一箇の壺の中にパッと跳び込んでいた。 市の人々はそのことを全く知らなかったが、費長房だけは樓上から、これは異なことと、密かに見つめていた。 : 求めに応じて、老人は費長房を連れて壺中に。 : そこは玉堂嚴麗の世界で、酒も肴も最高と、まさに素晴らしき世界。そして、もてなされたのである。 : (その後、娑婆に帰り、もらった護符で、方士として活躍することになる。) : (そして、符を失ない、衆鬼魅に殺されてしまう。) 方士としても、影響力は甚大だったようである。定説では由来が違うようだが、重陽節(弟子に当日の禍発生を予言。)を生み出した人らしい、 中華帝国では、どういう訳か、瓢箪とか壺の中には閉ざされた別世界が存在し、それは現世の縮図でもあると考えていたようだ。 小生には、ソリャ、極小の箱庭でしかなかろうとしか思えないが、それをどういう訳か、大宇宙空間と感じるのである。古代呪術時代のドラッグ的幻想を引き摺っているのではと言いたくなるような見方である。 これは、仏典を源流とすると思われる、"吐出一壺"@譬喻經の話とは次元が全く違うし、その主旨は異空間への迷い込みでもないのは明らか。 → 「仏典の影響力」、「異界の時間」 従って、考え方を変えれば、壺を、洞窟中に存在する別天地(洞天福地)の表象と見なすことも可能である。もちろんインテリ階層でしか通用しない話だが。 考古学的に、洞天表象の法器の有無が確認されているのかは知らぬが、道教体質から想像すれば、"四方"海に浮かぶ特殊な薬酒壺が存在した可能性があろう。 ところで、話はとぶが、「徳利亀屋」というお話をご存知だろうか。1931年まで実在した八王子八日町の旅籠の名前だから、創業者の創作のように思えるが、江戸期からの伝承話とされている。・・・ → 「まんが日本昔ばなし」東京むかし話の会 日本標準 1975年) (「小さくて大きな話、ふしぎな徳利」@東京のむかし話/各県のむかし話) こんなストーリーである。・・・ 何故なのかさっぱりわからないが、突然、江戸麹町の呉服商"亀屋に汚い年寄りがやってきて、店頭で露天商をさせてくれと。店主了承。 なんと、徳利一つのみの持参。そこから様々な古道具を取り出して売るのだ。 見ていた店主は当然驚く。その徳利をよく見せてくれるというので、御招待にあずかる。 立派なお屋敷に住む隠者だったのである。 それは、持主の望みを兼ねる魔法の徳利だった。 これまた理由は定かでないが、あんたは人徳があるから、それを譲ると隠者が言い出す。 特段の望みもないので、固辞。 ただ、死ぬ前に、名勝や古跡を見たいと。それなら徳利に入れば簡単、というので試した。 物見遊山を十分堪能し、帰ってみると、そこは八王子だった。麹町に戻ると、そこは昔とは一変。店などなく、知らぬ人しかいない町。 そこで八王子で「徳利亀屋」という旅籠を始めた。これが大繁盛。 これは江戸期の町人文化の一コマであり、もっぱら落語のタネだったから、訳わからずが、かえって秀逸とも言えるのだが、唐代の"壷中天"話はそう考える訳にはいかないのである。 ただ、この話は費長房の異界訪問がベースにあるのは明らか。 大きな違いは、壺中「天」ではなく、壺中"游"であること。これはなかなかに鋭い視点と言えよう。道を究めたいなら、この"游"が必要との比喩話と見ていることになるからだ。 つまり、実際に外"游"などしなくても、その場で内省することで"游"はできるという話かも。・・・ 初,子列子好游。 壺丘子曰: 「禦寇好游,游何所好?」 列子曰: 「游之樂所玩無故。人之游也,觀其所見; 我之游也,觀其所變。 游乎游乎!未有能辨其游者。」 壺丘子曰: 「禦寇之游固與人同歟,而曰固與人異歟? 凡所見,亦恆見其變。 玩彼物之無故,不知我亦無故。 務外游,不知務内觀。 外游者,求備於物;内觀者,取足於身。 取足於身,游之至也;求備於物,游之不至也。」 於是列子終身不出,自以為不知游。 壺丘子曰: 「游其至乎!至游者,不知所適;至觀者,不知所視。 物物皆游矣,物物皆觀矣,是我之所謂游,是我之所謂觀也。 故曰:游其至矣乎!游其至矣乎!」 [「列子」仲尼篇] 列子は、初めの頃、ブラブラ歩き回る("游")のが好きだった。 そこで、師の壺丘子が尋ねた。 「"游"がお好きなようだが、 一体、そのどこが面白いのかネ。」 列子答えるに、 「"游"の楽しみの核心は、旧くないモノに出くわして玩ぶ心。 但し、人々の"游"の場合は、単に観察するだけ。 私だと、同じ観察でも、 変化を発見して愉しむので、違いがあります。 と言うことで、"ぶらりぶらり"は真に有意義なのですが、 その意義を認識している人はいないようです。」 壺丘子、ここぞと一言。 「あんたの"ぶらりぶらり"と、皆のブラブラになんの違いもありゃせんゾ。 それを、あくまでも違うと固執してどうするのかネ。 おおよそ、人が見るモノは、すべからく変化している訳で。 "旧きモノ無し"を玩んでいるが、 自分自身が旧きモノで無くなることに気付いていないのでは。 外での"游"にご熱心の余り、内なる自分の観察を忘れてはいまいか。 外での"游"に注力する人は、外部のモノに意義を求めているにすぎず、 内向きの"観"に注力する人は、自分自身を眺めて満足感を見出すもの。 そんな満足感を得る人こそ、"游"の至高と見なすべき。 外のモノの観察に熱を上げるのは、"游"としては、はなはだ足らずということ。」 これを聞かされ、列子は外を歩き回ることをしなくなった。 自分でも"游"など知らぬという状況に。 そこで壺丘子は再度諭す。 「君の"游"は至高に達したゾ! 至高の"游"には、"游"の行為に踏み切ったとの意識が無い。 至高の"観"も、同様に、"観"ているとの意識が無いのである。 換言すれば、 モノに向かえばそれは"游"であり、かつ"観"でもあるということ。 これこそが、吾輩が言うところの、"游"、"観"なり。 それだからこそ、君の"游"は至高に達した、と称えたのである。」 (参照) 張靜二:"「壺中人」故事的演化─從幻術説起" 佛學與文學─佛教文學與藝術學研討會論文集 佛學會議論文彙編2 1998 (C)法鼓文化 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |