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■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2014.9.13 ■■■

見方が分かれる芳香花木

芳香樹をいくつか取り上げた。そのついでということで、時期外れになってしまったが、梅雨時に香りが立つ花木を追加しておこう。
   芳香で清浄化する花木[2014.4.19]
   虫蝋木[2014.6.4]
   南伝花香木[2014.6.5]

先ずは、杜甫の漢詩でのご紹介ということで。
もちろんフォントにはクチナシ色を。というか、着色金団の感じか。沢庵色と言った方がよいかも。
   ■■江頭四詠 梔子■■
   梔子比衆木、人間誠未多。
   于身色有用、與道氣傷和。
   紅取風霜實、青看雨露柯。
   無情移得汝、貴在映江波。


小生には、抒情的な景色が思い浮かばないので、さっぱり面白くないが、まあそういう作品もあろう。
クチナシは東南アジア原産かと思っていたが、杜甫が取り上げるくらいだから、おそらく中国のモンスーン地域だろう。

日本では、どういう訳か、クチナシと言えば、たいていの人の脳裏には「お前のような花だった」という歌詞が浮かんでくるらしい。余程の大ヒットだったのだろう。
この歌からは、薄幸な女性のイメージしか出てこないが、花の香りは極めて強いし、甘さを感じさせるので、なんとなしのチグハグさが気になっていた。(咲き終わった花弁が美しくないからか、と思ったりして。)

と言うのは、広尾に住んでいた時には、駅への近道ということで日赤広尾の植え込み横をよく通ったから。そこに、白い花が咲くと、その辺り一面に甘い香りが漂っていたもの。
そう言えばご想像がつくかと思うが、"雨上がりに"、"その香りのやさしさに包まれ"、退院の日を想ってお散歩する方々の姿を彷彿させる花ということ。
従って、不幸を暗示する花とはとても思えないのである。どちらかといえば、華やかさをを感じさせる香りではなかろうか。

・・・などと考えていたのだが、最近、どうしてクチナシの歌が生まれたのかを教えてもらった。"私の履歴書"(遠藤実) [日経 2006.6.27]にその経緯が明かされている。・・・

「くちなしの花」(1973年)は題名が最初に決まっていたという。
曾野綾子さんがレコード会社のディレクターに戦没学徒の遺稿「くちなしの花」を紹介したことが発端。ところが、作詞家は、その香りをすべて消し去り、細った指と昔のサイズの指輪の情景に変えてしまった。だが、作曲家はココにえらく感応してしまったという。結婚式どころか、指輪さえも買ってやれなかった時代を想い出し、涙が止まらなかったそうだ。

まさに演歌的なお話。

小生はこの手の話は好みではない。
クチナシ/gardeniaの花なら、キャサリーン・ヘップバーンの「旅情/SUMMERTIME」(1955)である。
古すぎて、今や、知る人も少なさそうだが。

その映画の何処に小振りの八重ガーデニアが登場するかは、御覧になるとよかろう。
もちろん、最後の別れにも登場するが、そこではなく、この作品の肝ともいえるシーンを聞き耳をたてて。
ヘップバーンの台詞をじっくりと堪能されるべし。
さすれば、アメリカではBall に誘う際に、男性が女性に贈る花であることがわかる筈。女性はその花の香りで幸福感に満たされて時を過ごせることになる。しかし、彼女の場合は、・・・ということになる。

アメリカ人の感覚では、クチナシが「お前のような花だった」とはならないのである。


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